32.襲撃
幸いにもリリーさんはわたしの言葉をすぐに信じてくれた。視えた映像のショックで震えが収まらず、足元が覚束ないわたしを支えながら彼女は時計台への道を急いでもくれて。
冷静に考えれば突然、自分の住んでいる街の有名な建物が爆発するなど戯言も良いところだと思われるだろう。それでも疑うことなくすぐに信頼を寄せてくれたリリーさんには感謝しかない。この時のわたしはそこまで考える余裕はなかったけれど。
主にわたしのせいでなかなか縮まらない時計台との距離に気持ちが急きながら、ようやく辿り着いた時計台。問題の最上階に急ぎ向かおうとしたわたしを止めたのはリリーさんだった。
「どうして止めるんですか!?」
「す、すみません…でも、少し落ち着いてください…」
「落ち着いてなんかいられないです! だって爆――」
「アシェラ様!」
いつもの様子からは考えられないような強い口調のリリーさんにびくりと肩が震えた。ついでに彼女の両手で口も塞がれたので、完全に言葉が遮られた。しかしそれで良かったと気付いたのは、周囲の人たちが何事かとこちらを遠巻きに見ている様子が目に入ってからだ。
「(こんな人込みで「爆発」なんて言葉を使ったら、騒ぎになるに決まっているじゃない)」
その事実に気付いて…正確には気付かせてもらって、一気に頭が冷えていく。
先ほどまでは余裕がなさ過ぎて分からなかったけれど、よく見ればリリーさんの手も震えていた。当然だ。大勢の人が被害に遭うような規模の爆弾騒ぎだなんて、怖くないわけがない。
リリーさんの腕にできるだけ優しく触れた。はっとしたように顔を上げた彼女に、冷静になったことを示すために頷く。わたしの様子が打って変わっていることを分かってもらえたのか、リリーさんはおそるおそるといった動きでゆっくり手を外してくれた。
「―――年に一度の大時計が見られる機会ですよ!? 落ち着いてだなんていられないですって!」
わざと声を弾ませた。少し大きめの声も意識した。表情も完璧に笑顔を取り繕う。
目の前のリリーさんは驚いたように目を丸くしたけれど、こちらに注目していた周囲の人たちはすぐに興味を失ったように視線を外していった。よし、すごくアホっぽかったと思うけれど、周りからの注意を逸らせたのならそれで良い。
「すみませんリリーさん。こんなところで騒ぐだなんて軽率でした」
「ぁ、い、いいえ、私こそ、無理やり口を塞いだりしてしまって…」
「いえ、それはむしろありがとうございました。それでリリーさん、わたしを止めたのはどうしてですか?」
「あ、は、はい…私たちがこのまま最上階に行っても、一般の方たちがいっぱいいらっしゃいますし、そこでこっそり例の物を探すのは難しいと思うんです…何より時間もありませんし、こ、ここは他に協力を仰ぎましょう…」
「協力、ですか?」
はい、とリリーさんは頷いて、わたしの後ろを指す。
彼女の指先を辿ってみれば、そこには警備隊の制服を着た男性がひとり立っていた。
その警備兵へと駆け寄り、怪訝な彼を何とか建物の陰へと誘導した。もちろん人に聞かれないように。どこかで見た顔だと思いながら、しかし詳細は思い出せないままわたしは急いで説明した。もちろん未来視の力のことも。
リリーさんには強く止められたけれど、さすがにどうやって知ったのかという事実がこのままでは説明できない。だから正直に話したのだけれど。
「…はっ、言うに事欠いて『未来視の魔法使い』って」
目の前の警備兵は、鼻で笑った。
「即位記念祭に『未来視の魔法使い』が現れるなんて、そんなできた話があるわけないでしょ、お嬢さん」
「はい? 今お祭りは関係ないでしょう?」
「お嬢さんこそ何言ってんの? 即位記念祭の、それも当日に陛下が魔法使い重用政策を決めるきっかけになった『未来視の魔法使い』を名乗る女性が現れた挙句、事件の予言をするなんてさぁ…どこの小説だよって話だと思うけど?」
「え…?」
一体何の話なのだろう。
与えられた情報を整理しきれず、固まるわたしに彼はもう一度笑って―どう見ても嘲笑のそれを浮かべて―「作り話にしては面白かったよー」背中を向けて去っていった。
リリーさんが食い下がっている姿が見えるけれど、わたしは足が縫い留められたように動かない。
「(陛下が魔法使い重用政策を決めるきっかけになった、『未来視の魔法使い』? それを名乗る女性?)」
この時になって、わたしははじめて『気付いた』。いや、むしろ今まで何故『そう』思わなかったのだろうとすら思う。自分以外の『未来視の魔法使い』を、わたしは”知っている”。それに年齢から考えてもぴたりと当てはまるだろう、女性を。
必ずしも”そう”ではないだろう。だって先ほどの警備兵からは件の『未来視の魔法使い』の名前も、容姿も聞いていないのだから、今わたしが思い浮かべている人物とは全くの別人の可能性だってある。
それでも。わたしはどこか確信していた。
未来視の力は非常に希少だという。そして魔法は血縁者の中で同じような力に目覚めるパターンが多い。
―――あの人は、何でもぴたりと言い当てた。「偉大なる魔女」と言いながら。まるで、未来に起こる出来事を見てきたみたいに。
「…おばあちゃん…?」
結局例の警備兵を説得することはできなかった。
リリーさんが呆けるわたしのもとに悔しそうに戻って来て、一旦中央広場に戻ろうと提案した。何でもオリバーさんがそこの警備グループに配置されているらしい。オリバーさんならば絶対に信じてくれるから、彼からリオスさんに連絡を取って動いてもらう方が確実だろうと。
このまま時計台の最上階に行って自分たちで爆弾を探すのはどうだろうと悩んだけれど、運よく見つけられたところでろくに知識もないのに対処ができるはずもない。目的地から遠ざかることは少し躊躇ったけれど、失敗できない以上確実な方法を取るべきだろうとわたしも頷いた。
先ほど聞いた『未来視の魔法使い』については気になっているけれど、今はそれどころではないと頭の片隅に無理やり追いやった。
「(とにかく今は目の前のことだけに向き合う…!)」
気を抜けば、先ほど視えた地獄絵図が脳裏をよぎって足が竦んでしまう。その度に何とか自分を奮い立たせて、とにかく来た道を走り続けた。幸いというべきか、裏道のためか人通りが全くないため全力疾走できた。
中央広場まで半分くらいに来たところだった。後ろのリリーさんを振り返れば、あまり体力がないのか息を切らせながら何とか付いて来ていた。わたしはリンベル酒場で鍛えられたので体力にはそれなりに自信があるけれど、メイドをしているとはいえ貴族令嬢である彼女はそうもいかないだろう。
気付かなくて申し訳ないという気持ちを抱えつつ、今更ながらいつもの癖でと持ってきていた身体強化の『魔道具』をかけてあげよう、と足を止める。同時に、またもや視界が暗転した。
リリーさんに近寄り、わたしが『魔道具』を彼女に使っている。―――その頭上から、影がふたつ躍りかかってきた。その影はわたしとリリーさんの上に覆いかぶさり、ふたりはそのままひっくり返された。
いきなりの事態にわたしたちが必死にもがいているのが分かる。しかしその影――頭からつま先まで真っ黒い布で全身を包んでいる男相手。性別の違いもある上、完全に引き倒された状態ではなす術もない。
突然の襲撃者たちは、何も言わずに懐から短剣を取り出した。それを同時に振り上げて…
ばちっ、と視界が切り替わった。
またしても視えた嫌な映像に、冷や汗と動悸が止まらない。しかし放心している暇はないと、わたしは手の甲を抓って無理やりどこかに飛びかけていた意識を引き戻した。
「リリーさん!」
そのまま地面を蹴って、足元が怪しい彼女へと飛び掛かる。自身に身体強化をかけながら。
説明している時間などない。驚いた様子で足を止め、立ち尽くすリリーさんを両手で抱きすくめて庇いながら、そのまま地面を転がった。
建物の上から影がふたつ落ちてきたのは、それと同時のことだ。
「っ、立ってくださいリリーさん!」
「え? え?」
「早く! 逃げますよ!」
腕の中のリリーさんにも身体強化をかけてから、事態についていけていない彼女に声をかけた。三回ほど地面を転がったせいで少し目が回ったけれど、直前に自身を強化したおかげで痛みはあまりない。
突然の襲撃者たちは避けられたことが想定外という様子だったけれど、綺麗に着地してすぐにこちらを振り返った。そしてその懐から、短剣をきらりと光らせる。かろうじて顔が見えたけれど、いかにもごろつきといった風貌だった。当然ながら見覚えはない。
「ひっ!?」
「早く!」
剣に顔を青くするリリーさんの手を掴んで、わたしは今いる通りよりもさらに細い横道へと飛び込んだ。知らない道だ。それでも躊躇っている暇などなかった。
「(いったい何だっていうの!?)」
ばくばくと心臓が早鐘を打っていた。
強盗か何かだろうか。それにしては無言でいきなり剣を抜くだなんて不自然だ。理由は分からないけれど、あの男たちはわたしとリリーさんの命を狙っているということだけは確かだ。
狭い通路を必死に走る。魔法のおかげか、一定の距離を保てている。セントラムでアドングたちに追いかけられたときもこんな感じだったと、一度経験したことがあるからかどこか冷静に考えていた。二度としたくない体験だったけれど。
「(どうにかこのままの距離で、どこかの通りに…!)」
そう考えた瞬間、またしても脳内に映像が広がった。
走るわたしとリリーさん。その目の前に、黒い影がまたしても降ってきた。三人目だ。驚いて足を止めれば、その手にはやはり短剣が握られている。
慌てて後ろを振り返れば、そちらには最初の襲撃者がふたり。完全な挟み撃ちだった。
まずい。そう思うと同時に視界が今の景色に切り替わる。
足は動かしながら必死に視線を動かすけれど、そこは一本道だった。民家ですらない、ただの通路。
心臓が掴まれたような感覚がした。何も考えつかない。
「あ…」
なす術なく、絶望的な声が滑り落ちただけだった。
そうこうしている間に、視えた通り目の前に黒い影が下りてきた。そうしてやはりわたしとリリーさんは足を止める。当然後ろからも足音が聞こえる。逃げ道がない。
リリーさんが息を呑む気配がした。にじり寄ってくる三つの影から距離を取りたくて、彼女と寄り添いながら壁際へと後ずさりする。すぐに背中が壁にぶつかった。当然だ、ここはただの狭い通路だ。
必死に頭を巡らせる。『魔道具』で限界まで体を強化して体当たりすれば、ひとりをひっくり返すことくらいは可能だろうか。彼らの壁さえ突破できれば、先ほど追いつかれなかったことを考えても走って逃げることはできる。
「(…考えている暇はない)」
目の前の迫ってくる影に、わたしはやるしかないと覚悟を決めた。ぎゅ、と『魔道具』が嵌っている右手の人差し指を反対の手で握りしめた。そのまま念じ――ようとしたわたしの手に、何か暖かいものが触れた。
「い、言ったはずですよ…『何かあったら私がお守りします』と」
その「暖かいもの」がリリーさんの手のひらだと気付いたのは、彼女の背中に庇われてからだった。




