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3.出奔

 わたしがはじめて『未来を視た』のは半年前、父が事故で亡くなった翌日だった。

 家族としての情は正直なかったけれど感謝はしていた父がいなくなった喪失感。そして父に隠れて嫌がらせを繰り返している義母と義姉、三人残された屋敷でこのままどう生きて行けば良いのか途方に暮れていた。なにもやる気が起きずに寝台で膝を抱えていたとき、突然頭に映像が降ってきたのだ。義母がわたしの部屋へと押しかけてきて、アクセサリーや高価な服など、ありとあらゆる物を取り上げていく光景。

 普通ならば嫌な妄想だと一蹴しただろうけれど、父という抑止力がいなくなった状況では、あのお金にがめつい義母が直接手を出してくることはあり得ると思った。彼女は父が気まぐれでわたしに高い物を贈ってくれた時、鬼のような形相で睨んでくるような人だったから。

 嫌な予感がしたわたしは絶対に取り上げられるわけにはいかないペンダント―お母さんの唯一の形見である―を急いで服の中に隠したのを覚えている。一瞬見た光景では、さすがに身ぐるみまではがされてはいなかったからだ。ついでにいくつか小さな宝石も不自然にならない程度に隠したはずだ。まあ、残念ながら母の形見のネックレス以外は、後々見つかって取り上げられることになるんだけれど。


 結果的に、わたしが『視た』映像は現実になった。

 義母と義姉が笑いながら全部取り上げて、ついでに隙間風が吹くような屋根裏部屋に押し込められた。

 その後も水をかぶせられたり、階段から突き落とされそうになったりと、色々。ひどい時には本棚の下敷きにされたりだとか、花瓶を頭に落とされたりだとか。一歩間違えば命を落としかねないような光景を『視た』。当然わたしは、義母と義姉が、時には彼らの手駒になった人が、現実にするべく画策した行いを阻止することに奮闘した。何かを投げつけられたときには偶然を装って避けたり、そもそも現場に近寄らないようにしたり。

 余談だがそれでも色々彼らには被害を受けたのは苦い思い出だ。力に目覚めてから最初の方はあまり上手く使えなくて未来が視られず避ける術がなかったし、力がある程度扱えるようになってからもそうすべての嫌がらせを避け続けると不自然だから、時たま軽いものはあまんじて受け入れたという流れだけれど。

 とにかくそこまで重なれば、もはや疑う余地はない。わたしには、『未来を視る力』があるのだと。



 捨て台詞よろしく、胸を張って高らかに宣言したのが約一時間前。一国の王太子に対してあの偉そうな態度とか、警備兵がいたら普通に捕まえられたかもしれない。やり過ぎたことにすぐに気付いて、そそくさとその場を立ち去った。

 思い通りにことが運び、緩む口元をどうにか抑え込みながら屋敷の玄関を潜った途端、目の前が真っ暗になった。


「アシェラ! 居候のくせに何を着飾っているの? 早く掃除に取りかかりなさいな!」


 ばさっ、と視界を覆ったのがやたら華美な義母のドレスだと気付いたのは、ヒステリックな声が降ってきてからだった。緩慢な動作で頭に叩きつけられたらしいドレスを引きずりおろせば、こちらを睨む義母と目が合った。今日も化粧が濃い。

 長い期間準備してやり遂げた達成感で満たされていたのに、嫌悪感が広がっていく。帰った途端にこれとか、待ち受けられていたんだろうか。


「お母様。ドレス姿が見慣れないのは仕方ないけれど、アシェラは今日卒業パーティだったのよ」


 ああ、間違いなく待っていたなこのふたり。

 義母の陰から義姉が笑顔でこちらを覗いていた。腰まで伸びる金色のストレートヘアーを揺らして一歩こちらに近付いてきた。色素の薄い肌だからか一層目立つ真っ赤なルージュが、綺麗に弧を描いている。


「ああ、優しいお前がドレスをあげたんだったかしら」

「あれはもう私の趣味じゃないもの。あの子の役に立ったなら良かったわ」

「全く、着る人間が違うだけでこうも貧相になるのねぇ」


 今日もこのふたりは街で散財してきたらしい。見覚えのないドレスに宝石、靴に至るまで全身着飾っている。ふたりとも決して見栄えは悪くない――むしろ世間的には大層良い外見をしているのだけれど、生憎とその内面が腐りきっているのでわたしとしては見ているだけで吐き気がした。


「ところでアシェラ、随分と楽しいパーティだったみたいね?」


 赤が吊り上がる。ついでに釣り目がちな瞳が三日月形に歪んで、個人的な恨みフィルターを抜きにしても義姉は邪悪としか言えない笑みを浮かべていた。

 ―――ああ、やっぱり今日の婚約破棄事件は義姉の…いや、ダリアの差し金か。


「(あの元婚約者がダリアのことをやけに口にしていたから、何か色々吹き込んだとは予想していたけれど。流石に自分のアリバイ確保や日々の自衛に手一杯で、彼がダリアと接触していた証拠までは掴めなかったんだよね…)」


 わざわざ「楽しい」を強調するということは、今日のパーティで騒ぎが起きることを知っていたということだろう。それも内容を、事細かに。


「(ここでわたしが期待されているのは大方、「お義母様がせっかくくださった良縁がなくなってしまいました」と悲しそうな表情を作って、頭を下げること。家から追い出されたくないなら、下手に出ろと)」

「あらどうしたの? 言葉にならないほど楽しい時間だったのかしら?」


 早く答えろという催促。

 彼らと過ごしたのは二年余りだというのに、考えていることが手に取るようにわかってしまう自分に嫌気がさした。まあ、強制的に鍛えられた察しの良さは対人関係で活かせているから、勉強になったのだと思っておこう。

 それに、期待されている反応が分かるということは、その逆もまた然りなのだし。


「そうですね…おふたりに伝えなければならないことはありました」

「何で私たちがお前の話を聞かなければならないのよ。つべこべ言っていないで早く掃除でもしなさい」

「まあまあ、お母様。この子がこんなことを言うなんて珍しいではありませんか。聞いてあげましょう?」


 「卑しい者に時間を使ってあげようなんて、ダリアは本当に器が大きいわね」などと言いながら我が子の頭を撫でている義母に、わたしは小さく首を傾げた。この反応からして、婚約破棄について義母は何も知らないようだ。ダリアの独断ということか。

 ダリアの真意は分からないけれど、特段気にする必要もないだろう。なぜならば。


「お義母様、お義姉様。わたし、今日限りでこの家から出ていきますね」


 彼らと金輪際関わらないわたしには、もう関係のないことだから。

 満面の笑みで言い放ってやれば、全く予想だにしていなかったのだろうふたりはぽかんと口を開けて呆然としていた。

 そうそう、その顔が見たかったの! 思わず口の端が吊り上がってしまうのは許してほしい。


「…何を言い出すのかと思えば。今日のことが余程ショックだったのかしら?」

「あらお義姉様。どうしてそう思われるのです? 本日はずっとお義母様とお出掛けされていて、わたしのことなど存じ上げないはずですよね?」


 ダリアの表情が一瞬強張る。すぐに誤魔化すように扇を取り出し、顔を隠すように広げた。貴族らしく優雅な仕草ではあったが、わたしはそれが彼女の動揺した時の癖だと知っていた。ルージュに負けず劣らず真っ赤な扇の下で、どんな言い訳を考えているのだろう。

 わたしの婚約は父が亡くなってすぐ、義母が決めたものだ。お金しか見ていない彼女の狙い通り、そのまま結婚していれば大金がイリシオス家に入ってきたはず。それをダリアが独断で潰したのであれば、いくら彼女を溺愛する義母であろうと多少なりとも責められるだろう。


「…先日、私の耳に入ってきたのよ。今日の卒業パーティで、あなたが婚約破棄されるかもしれないという噂がね」

「何ですって!?」


 義母のヒステリックな叫びに、思わず噴き出してしまった声がかき消されたのは幸いだった。そんなピンポイントな噂が何故ダリアの耳に入るのか。家同士の決まり事である婚約の危機を事前に知っていたにも関わらず、何故当日まで黙っているのか。矛盾しかない彼女の言い分だが、義母は間違いなく気付いていない。


「本当なのアシェラ!?」

「ええ、事実ですわ。今日の卒業パーティで一方的に婚約破棄を告げられました。…お義姉様が事前にご存じだった、というのは驚きましたけれど」


 ダリアに向けて細めた瞳を向けてやれば、彼女はすっと扇を鼻先まで引き上げて目を逸らす。この場で一番状況を理解していないだろう義母の視線も、促されるようにダリアへと向いた。流石にヒントをあげれば義母も何かおかしいと感じたらしい。


「(今だ!)」


 瞬間、わたしは瞳を閉じて意識を集中させた。こめかみに力を集中させるイメージ、とこの半年で身に着けたコツを実行する。この状況を打開できるような未来でありますように、と祈りを込めて。

 ばちっ、と脳に電流が走ったような感覚の後、すぐに頭の中で映像が流れだした。



「この恩知らずが!」


 真っ赤な扇―おそらくダリアが手にしていた物―を振り下ろす義母。怒りで扇に負けず劣らずの色に顔を染め上げている。

 反応しきれずその一撃を頬で受けたわたしが床に転がる。


「今まで! 何の役にも立たないお前を! この家に置いてやっていたというのに!」


 そのまま倒れ伏すわたしを、義母は何度も扇で殴り続けた。その後ろで、ダリアはくすくすと嗤い続けている――――



 嫌な未来にわたしは唇をひん曲げながら瞼を上げた。と、同時に鬼の形相で義母がこちらを振り返った。


「ダリアは後で話を聞かせなさい。それよりアシェラ、婚約破棄されたですって!? この結婚でいくら動くと思っているの!? 今すぐに相手の家に行って謝罪なさい!」

「嫌です。約束を破ってきたのは向こうの方ですし、何より婚約自体わたしの意思ではありませんもの」


 生憎とどんなやり取りの末に義母が直接的な暴力に訴えかけだしたのは分からない。

 ―――なら、わたしがやることはひとつだ。


「だいたい、わたしは家を出ていくと申し上げているでしょう。どうしても相手方の妻となる人物が必要なのでしたら、お義姉様がいらっしゃるでしょう? お金が欲しいのはそちらなのですから、おふたりだけで何とかなさったら?」


 煽って、煽りまくって、タイミングをこちらで作れば良いだけだ。分かりやすく扇というポイントがあるのも幸いだ。とても警戒しやすい。

 義母とダリアはわたしが今まで見せたこともない反抗的な態度に驚いて顔をこわばらせた。次いで義母はみるみるうちに顔を赤く染め上げていき、肩を震わせ始めた。狙い通りすぎて思わず笑ってしまったわたしに、とうとうその細ーい堪忍袋の緒が切れたようだ。


「こ、この…っ」

「あ!」


 怒りに我を忘れているらしい義母が、乱暴にダリアの手から扇を奪い取る。大股で一気に距離を詰めてきた義母の流れるような動き、何も知らなければわたしは首を傾げて立ち尽くしていただろう。

 まあ生憎、これから何が起こるか知っているわたしは両足に力を込めるんですけれども。


「この恩知らずが!」


 目の前に影がかかったタイミングでわたしは後ろに跳ぶ。その影である義母が扇を振り上げるのは同時だった。

 一切の躊躇なく振り下ろされた扇は当然空振る。空気を切り裂く勢いが良すぎたらしく、義母は「ぎゃ!?」間抜けた声を上げて前につんのめって転んだ。元婚約者といい、人って振り下ろす力が強すぎる場合、何かに受け止めてもらえないと引っくり返るのね。わたしは受け止める気なんて全く、これっぽっちもないので彼らには大人しく転がってもらいましょう。


「あらあら、避けるだけのつもりだったのに…」

「お母様!」


 思わず本音がこぼれてしまったけれど、幸いにも義母は床にへばりついているし、ダリアは慌てて義母に駆け寄っているしで、誰にも拾われなかったようだ。ダリアに抱き起された義母は受け身を取れなかったのか頬が赤く腫れていた。顔面から突っ込んだらしいが、当然罪悪感など全く湧いてこない。

 冷めた目で寄り添うふたりを眺めていると、義母が血走った目でこちらを睨み上げてきた。そういえば、このふたりを見下ろすなんて初めての光景かもしれない。


「お前! こんなことをしてただで済むと思っているの!?」

「お義母様が勝手に転ばれたのでしょう。わたしに責任を押し付けないでください」

「お前が避けなければこんなことにはならなかったわ!」

「何でわたしがいつまでもあなたたちの言いなりにならないといけないの?」


 いい加減、この茶番に飽き飽きしてきた。どこまで行っても彼らにとってわたしは都合の良い駒で、言いなりになるお人形で、自分たちが善だと捉えるための悪役であるらしい。

 もう猫を被る必要もないし、何よりこの家から出ていくのだし、貴族らしい言葉遣いも仕草も不要だ。仁王立ちして左手を腰に添え、今まで散々いじめ倒してきた二人に右手の人差し指を突き出した。


「今後一切あなたたちに関わる気はないので、わたしにも関わらないで。イリシオスの名前も捨てるのでご心配なく。この家からも何かを持って行く気もありません。どうぞ頑張って財政管理なさってください! まあ、強欲ふたりがいたらすぐお金なんてなくなりそうですけれどね!」


 すでにあなたたちが家の仕事を放棄しているせいで、色々回らなくなっているし!

 捨て台詞よろしくそう叫ぶわたしを見るふたりの顔は本当に滑稽だった。ついでに騒ぎを聞きつけて集まってきた使用人たちの顔も。いつまででも眺めてやりたかったけれど、これ以上この人たちに時間を使うのが勿体ない、とわたしはさっさと後ろへと振り返った。二度と潜ることはないだろう扉を潜る際、「待ちなさい」とヒステリックな叫びが聞こえた気がしたけれど、当然待ってやる義理などない。

 ばたん、と扉が閉じれば先ほどまでの喧騒が嘘のように静寂が広がっていた。目の前の庭は見慣れたものだが、まるで世界が変わったかのように新鮮に映った。


「あっははは、いい気味ー!」


 長い期間かけた今回の出奔計画が上手くいったことに、口から漏れだす笑いを収めることができない。学園の廊下では自重したスキップをしながら、わたしは庭を駆けていった。




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