29.ルクリオスの過去4
翌日、ルクリオスは指定された通り前日と全く同じ時間にマーサの元を訪れた。
「…ひとりで来たのかい。昨日の大人たちはどうしたんだい?」
「マーサ殿とふたりで話したいからと近くで待機してもらっている。誰にも見られないようにしているから心配しないでほしい」
「おやおや、こんな老いぼれとふたりきりで話したいとは。惜しいねぇ、わたしがもう数十年若かったら良かったんだが」
からからと笑うマーサは昨日と同じようにお茶を差し出した。さらにはシフォンケーキが目の前に置かれる。ルクリオスは行儀よく挨拶してから、ケーキを一口頬張った。昨日のクッキーと同じく、やはり美味しい。
「それで、わざわざひとりで来てまで今日は何の話がしたいのさ」
「ん? オレが話す内容は分かっているんじゃないのか? すでに未来を視ているんだろう?」
「わたしだって何もかも見通しているわけじゃないよ。昨日はいつもと違う出来事だったから、防犯のために力を使って詳細まで把握していたけど…リオスくんたちが危害を加えるような人らじゃないのは分かっているからね。今日は君が来るところまでしか知らないんだ」
ケーキはルクリオスだけに用意したものなのか、昨日と同じく向かいの椅子に座ったマーサの前には彼女分のお茶だけが置かれている。
そういうものなのか、とルクリオスはもう一口ケーキを口に含めた。彼も極端に魔法を使いすぎると寝込んでしまうため、彼女も何らかのデメリットを抱えているのかもしれない。おそらく必要以上に力を使うことを避けているのだろう。魔法使いにとってそういったデメリットを人に知られることは弱点になり得る為、ルクリオスはそれ以上追求しなかった。
「オレは昨日も言った通り、あなたの考えを理解したい。何故魔法を嫌っているのか知りたいんだ」
「…わたしは嫌いだなんて言ってないはずだがねぇ」
「オレが間違っているのならはっきりとそう言ってほしい。そうであれば謝罪して、このまま帰るから」
ルクリオスは昨日のマーサの反応からすでに確信していた。彼女が自身の未来視の力を良いものと考えていない、と。しかし彼女が認めないのであれば聞き出すことは不可能だし、何より嫌がる相手を無理やり問い詰めるほど悪趣味ではない。彼女が「間違っている」というのであれば本当にこのまま帰るつもりだった。
何日もかけてライリット国まで来ておいて手ぶらで帰るのは送り出してくれた兄に申し訳なかったが、本人にその気がないのに協力を取り付けられるわけがない。子供ながらにその辺りの分別はついていた。
しばし無言が続いたけれど、マーサはやがて負けたというようにため息をついた。
「…やれやれ、まさかそんなところに食いつかれるだなんて思わなかったよ。今まで来た人らはあれだけ冷たくしたらすぐ帰ったんだがね」
「え、今まで…?」
「そうさ。君がわたしの元まで辿り着いたんだ。ほかにもこの偉大なる魔女に力を貸してほしいって泣きついてきた人間は何人もいたさ」
全員断ったけどね。
そういうマーサの言葉はルクリオスには届いていなかった。正確には驚きすぎて耳に入っていなかった。
「(そういえば兄様がマーサ殿を見つけるの、ずいぶん早かったような…もしかして、すでに過去使いを送ったことがあるんじゃ…?)」
「ルカならもしかしたら、『魔女』も話を聞いてくれるかもしれないね」、そう言いながら頭を撫でてくれた兄を思い出す。真偽は定かではないけれど。あの聡い兄が、ルクリオスが思いついたことを考えつかないわけがない。
「わたしは嘘が嫌いなんだ。だから正直に言うが、リオス君が言う通りさ。わたしは自分の力を良いものだとは思っていない…正確には、思えなくなったというべきかね」
マーサの言葉に、思考にふけっていたルクリオスは我に返った。顔を上げれば、彼女は昨日の別れ際と同じように薄く微笑んだ。その瞳に、深い悲しみを感じるのは気のせいだろうか。
「―――昔は誇りに思っていたよ。魔法使いというだけで生きにくい世の中だったが、それ以上に誰かの役に立てる力だとね。だからかつて、わたしはレフィルト国で声を上げたし、流行り病という事件の収集に全力を注いだ。わたしの力は大勢の命を守れるものだという、一種の自己陶酔もあったかもしれない…」
こと、とマーサが手にしていたカップを置いた。そのまま己の両手をおもむろに組み合わせる。ルクリオスも彼女に倣うようにフォークを置いて、姿勢を正した。何となく、真剣に聞くべきだと思ったのだ。
「レフィルト国から逃げた後も変わらなかったよ。あちこち放浪して、何か見過ごせないような事件が視えたら防いだりしてね。ある意味ヒーロー気取りだった。実際、わたしが助けた人たちはみんなわたしをそう扱ってくれたからね…そうして、いつの間にか『偉大なる魔女』って誰かが呼んだそれを名乗るようになってさ」
あの頃は完全に調子に乗っていたねぇ、とマーサは笑う。確かに口元も、声も笑っている。それでもやはり彼女の瞳に、暗い光が宿っているようにルクリオスには見えた。
「この力があれば何もかも守れると、疑っていなかったんだ…」
「…何か、守れなかったのか…?」
「………娘さ。自分の命よりも大切なあの子を、わたしは守れなかった」
マーサの瞳が一層暗く沈んだ。対するルクリオスも、思わぬ返答に言葉を失う。
組み合わされたマーサの手が、きつく握りしめられた。まるで自分自身で、自らを傷つけているかのような力強さで。
「あの子は、孫を産むと同時に亡くなった。…そうなることを、わたしは事前に知っていたんだ。子を産めば、あの子の体が耐えられずに命を落とすって。そういう未来を視たからね」
顔から笑みが消えたマーサを、ルクリオスは無言で見つめることしかできなかった。『原因』を潰せば良かったのではないか、などと口にすることなど到底できない。子供の彼でも、それが命を天秤にかける行為だと分かっていた。
「こんな力があったところで、何の意味もなかったよ…」
「………」
「…辛気臭い話をして悪かったねぇ。でも分かっただろう? リオスくんみたいな真っ直ぐで素敵な志を持っている人が頭を下げるような価値、わたしにはないよ。
―――わたしは、『偉大』だと自分に言い聞かせないと、力も満足に使えないようなただのおばあさんさ」
マーサの表情が笑みに切り替わる。その笑顔は引きつっているわけでもなく、一見自然なそれだった。一瞬前まで確かに見えていた暗い顔が錯覚かと思えてしまうくらいに。
ルクリオスはやはり何も言えなかった。マーサの娘が亡くなってしまったことは不幸な事故だ。絶対に彼女のせいではないと思うけれど、無関係の人間が簡単に口にして良いことではないと幼心に感じる。
「(『偉大』だと自分に言い聞かせないと力も満足に使えない…それってつまり、マーサ殿は力を使うため、無理に偉大なる魔女だと名乗っているということか…?)」
自分で自分に言い聞かせなければ、力を使えないということだろうか。
そんな馬鹿なと思ったけれど、すぐに思い直した。リリーはトラウマのせいで魔法の力が弱まってしまった。その人の精神面で魔法に影響が出るという事象を、つい最近目の当たりにしたばかりではないか。
「さて、これで君の質問には答えられたかねぇ?」
ぱしん、とマーサが手を打った。まるでこの話はこれでお終いだと言われたようだ。
ルクリオスは頷くしかなかった。まだ幼い彼は、今の彼女にかけられる言葉を持ち合わせていない。残すのは申し訳ないからと、残りのケーキにフォークをのばす。
「…あの子――孫には、わたしのようにこの力に振り回されてほしくないんだ。だから君の誘いには乗れない。すまないね」
マーサの孫。自分と同い年くらいの女の子。魔法が使えるのかは不明。
昨日からのマーサの話で、ルクリオスが彼女の孫について知っていることはそのくらいだった。ただマーサがそこまで大切に思っている子ならば、ぜひ会ってみたいものだと彼は頭の片隅で思う。残念ながら、目の前の彼女は会わせてはくれないだろうが。
ごくり、とルクリオスは最後のケーキのかけらを飲み込んだ。
「ごちそうさまでした。それに貴重な話をありがとう」
「いえいえ、お子様に聞かせるのはあまり褒められたものじゃなかったね」
「聞きたいと言ったのはオレの方だ。自分の考えがすべてではないというのが分かった」
「その年でそこまで悟るだなんて、レフィルト国の未来は明るいねぇ」
これ以上、彼女をレフィルト国に誘うつもりはなかった。彼女の考えも聞くこともできた。
もうここに留まる理由はないと、ルクリオスは立ち上がる。本音を言うとどこか居心地の良いマーサともう少し一緒にいたかったけれど、彼女はそれを望まないだろう。また彼自身も、立場の都合からそう長くライリット国に留まることはできない。
出入口へと足を進める。見送ってくれるつもりなのか、マーサも後ろから付いてきていた。ルクリオスはドアノブを握り、後ろを振り向く。窓から差し込む光が、ちょうど彼の顔にかかってエメラルドグリーンの瞳がきらりと煌めいた。
「かつてレフィルト国は間違いなく、あなたに救われた。何よりオレの父はあの流行り病にかかっていたんだ。あなたが声を上げてくれなければ、もしかしたら父は助からなかったかもしれないし、そうすればオレはここにいなかったかもしれない。
―――オレにとって、マーサ・シプトンは間違いなく偉大なる魔女です」
マーサが目を見開く。はく、と彼女の唇が震えたけれど、その口から言葉は出てこない。
ルクリオスはにこりと笑って、ドアノブを引いた。幸い人通りはない。一応目立たないよう、市民と同じような服を今日は着てきたのだが、誰にも目撃されないのが一番安全だろう。
一歩外へと踏み出す。ドアノブから手を離すと、ドアが少しずつ閉まっていった。
「―――――ありがとう、ルクリオス殿下」
マーサがそう言うのと同時に、ドアが閉まった。振り向いたルクリオスの目にはただの扉が映っている。
彼女がどんな表情で最後の言葉を言っていたのか、ルクリオスは知ることができなかった。




