22.クリンゲル店
いくつもの違反行為をしたガラットは、減給と二週間の謹慎を言い渡されたそうだ。オリバーさんは被害者側であること、さらには剣を取り出しこそすれ、庭は一切傷つけていなかったことから特にお咎めなしとなった。ちなみに関係者として事情を聴かれたため、取り巻きズのこともしっかりと話しておいた。彼らもきちんと減給処分となったらしい。
昨日は結局騒ぎに巻き込まれ、その後の後処理も含めて解放されたのは夕方になってからだった。本来ならあちこち散策する予定を立てていたのだけれど、生憎とそんな元気は残っておらず。さすがに疲れ果てたわたしは、家―正確にはリオスさんの別邸―にそのまま帰った。
当事者だったオリバーさんはわたしたちよりも長時間拘束されていたため、昨日は騒ぎを聞きつけたリオスさんの別の部下が送ってくれた。聞けばリオスさんの指示だったらしい。彼自身はオリバーさんの上司として、警備隊本部側で騒ぎの収集に遁走していたそうだ。
そうだ、というのは今朝家に来たリオスさん本人から聞いたから。昨日の騒ぎの疲れがあるだろうから今日は『貸し』―わたしが隊員さんたちの未来を視る件―を返してくれなくて良いと、リリーさんが用意してくれた朝食を一緒にいただきながらそう伝えられたのだ。
わたしはありがたくお言葉に甘えさせてもらった。疲労が残っているのはもちろんあるが、一番の理由は「街の散策がしたい!」だった。ひどく自分勝手な理由だということは分かっている。しかし初めての街に来て、しかもこれから身を落ち着かせようとしている場所に来て、まだわたしは一度も歩き回れていないのである。街の様子を見たいという気持ちが非常に強いのは当然だと主張させてほしい。
それに、わたしはこの国に来たら絶対に行こうと決めていた場所がひとつだけあったのだ。
『アシェラがそっちで元気にやってんなら良かったよ』
「連絡が遅くなってしまってすみません、リンさん」
『いやいや、そんなん気にしなさんな。新しい国で暮らすなんて大変だろうさ。便りなんざ後回しになって当然だよ』
通信の『魔道具』の向こうに、カラカラと笑うリンさん―ライリット国でものすごくお世話になったリンベル酒場の店主で恩人―の姿が見えた気がした。懐かしさに口元を緩めていると、向かいに座る女性が盛大に吹き出した。
「よく言うよ。『アシェラっていう可愛らしい女の子が店に来なかったかい!?』って毎日のように連絡寄越しておいて」
『ちょっとシャラ!? 余計な事言わないでくれるかい!?』
通信機からがしゃんっ、という音とリンさんの悲鳴が聞こえたことから、何やらひっくり返してしまったようだ。おそらくこの時間は料理の仕込み中だろうから、調理器具でも落としてしまったのだろう。
「あーあ、相変わらずおっちょこちょいだねぇ、リンは」
そう言って笑うシャラさん。目元を細めたその表情が、リンさんとよく似ていた。
シャラさんはリンさんのお姉さまだ。以前使った音を記録する『魔道具』を作ってくれた、『記憶を保存する』魔法使いでもある。
元々リンさんから「レフィルト国に行ったらシャラの元を訪ねな。力になってくれるからさ」と聞いていた。まあ例の『魔道具』を作ってくださったお礼をしたいと思っていたため、たぶんリンさんの言葉がなくても会いに行っていたけれど。
シャラさんはご夫婦でお店を経営していた。しかも魔法を商品として扱っており、このレフィルト国の魔法に関連するお店では一番と言っても良いくらい繁盛しているらしい。朝このお店を訪ねる予定だと言ったとき、リオスさんが教えてくれた。
わたしが先ほどお店の扉を開いたときは運よく他のお客はおらず、人の良さそうな奥さん――もといシャラさんが「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。そこでリンさんの知り合いであること、『魔道具』のお礼を言いに来たことを伝えれば、彼女はにこりと微笑んで奥に通してくれたのだ。案内された先はシャラさんたちの居住スペースで、戸惑うわたしに彼女は通信用の『魔道具』を差し出した。人の頭くらい大きい水晶玉だ。こんな大きな『魔道具』は初めて見る。
『魔道具』の形は魔法使いがどんな道具に魔法を込めるかで変わってくるけれど、通信用のそれは有効範囲が長くなればなるほど強い魔法を込める必要があるため、道具も大きくなりがちだと聞いたことがある。大陸の端と端にある国同士を繋ぐような『魔道具』であれば、これほどの大きさが必要ということか。
「妹があなたの連絡を、首を長ーくして待っているようなんだ。かけてあげてくれない、アシェラちゃん?」
そこで『魔道具』を借りて、繋がったリンさんに今までの経緯を話した。セントラムで事件に巻き込まれたということも包み隠さず伝えれば、リンさんは「何て身勝手なやつだい!」自分のことのように犯人に対して憤慨してくれた。リンさんの娘さんであるベルちゃんは残念ながら買い出しに出かけていて不在だそうだ。ちなみにベルちゃんはわたしが旅立った日に本当に財布をポケットに縫い付けたらしく、落とすことはなかったらしい。ただ出かけるにはその縫い付けたスカートに必ず履き替えなくてはならなくなってしまったと嘆いているとか…なんかごめん、ベルちゃん。
『そういえば先日、王太子サマが店に来たよ』
「え? ジニアス殿下がですか?」
ライリット国の王太子と言えば、ジニアス殿下しかいない。国を発つ日にものすごい無礼を働いてしまったわたしは、何か面倒をリンベル酒場に残してきてしまったかと冷や汗を浮かべた。
『アシェラことを色々聞かれたよ』
「だ、大丈夫でしたか…?」
『ああ。アシェラ、あの王太子サマに事情を話したんだろ? あんたの話が本当かどうかの裏どりだー、とか言ってたよ。アシェラの人となりについても聞かれたから、あんな良い子は滅多にいないって常連さんと話しておいたからね』
「すごく脚色されている気がするんですが」
『嘘なもんかい。実際、王太子サマがアシェラの家…何だっけ、イス? シオ? について調べているってもっぱらの噂だよ』
「…イリシオスについて、ですか?」
『そう、そんな名前の家!』というリンさんの肯定に、わたしは思わず両手を握りしめた。どうやら本当に、ジニアス殿下はイリシオスという腐っても高位貴族に斬りこんでくれたらしい。あまり褒められたものではないと思いつつ、義母やダリアに対してささやかな復讐が遂げられたことに少し喜んでしまった。
そんなお互いの近況を話しているうちに、気付けば随分と長く話してしまっていた。
『さて、そろそろあたしも店の準備に取り掛からないとねぇ』
「あ、ごめんなさいリンさん、長い時間引き留めてしまって」
『なぁに言ってんのさ。アシェラと話せるのが嬉しくて長話しちまったのはあたしの方だよ。また連絡おくれよ、ベルも話したいだろうからさ』
「はい、是非!」
『健康には気を付けるんだよ!』そう言ってリンさんとの会話は終わった。何の音もしなくなった水晶玉。その表面に、満面の笑みを浮かべた自分の顔が映り込んでいた。
「リンと本当に仲良くしてもらったみたいだね。あの子のあんな嬉しそうな声、なかなか聞かないよ」
「わたしの方が色々お世話になってばかりでしたけれど…」
リンさんとベルちゃんがいてくれなかったら、わたしはあの国で今頃どうなっていたか分からない。少なくとも、彼女たちがいなければわたしはレフィルト国の土を踏むことはなかっただろう。
「謙虚な子だねぇ。リンがあんなに可愛がっている理由が分かる気がするよ」
「あら、シャラさんったらお上手ですね。さすがレフィルト国随一のお店を経営なさっていらっしゃるだけあります」
「ははっ、返しもうまいねぇ。ますます気に入ったよ。うちのお店でも働いてほしいくらいだ」
「良いんですか!?」と叫びそうになった口元を慌てて抑える。落ち着け、わたしは今リオスさんのお世話になっている身なのだから、そんな勝手に決めるのはまずい。それに彼の手伝いや、自分の夢を第一にまずは動くべきだろう。後者はまだ何も決まっていないが。
「(魔法の国で一番流行っている魔法のお店とかすっごくすっごく関わってみたいけれど!)」
一時の欲望に呑まれるべきではないと必死に心の中で繰り返す。水晶玉に映る自分の顔が険しくなっていることに、後になって気が付いた。
「…せっかくのお誘いですが、わたしにはまだやるべきことがありまして」
「その反応だと興味は持ってくれているみたいだね? 気長に口説いて行こうかな」
「ぅぐ、ものすごく揺らぎそうです…」
「面白い子だねぇ。従業員が無理なら、客としてはどう? 今ならリンの知り合い料金で安くしておくよ」
にこりと微笑むシャラさんに、わたしは考えるよりも前に頷いていた。おそらく瞳がこれ以上ないくらいに輝いていただろう。
シャラさんは椅子から立ち上がると、綺麗な仕草でこちらに一礼してきた。その表情は、先ほどのものとは異なりすっかりお店に立つ人間そのものだ。
「クリンゲル店にようこそいらっしゃいました。当店、『思い出』をお客様にお届けしております」




