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16.リリー

 リリーさんの言うご主人様とはリオスさんのことで、彼からこの家の管理人として任命されているらしい。以前は城でメイドとして働いていたが、色々あって今はこちらの仕事を担当しているそうだ。ちなみに服装指定はないので別に普段着でも良いようだが、仕事着として身に着け続けているとのことだ。


「オリバーさんとは幼馴染なんですか」


 頷くリリーさんは三メートルほど離れた先にいる。「リリは少々事情がありまして、他人と関わることが非常に苦手です。見ての通り怯えます」と教えてくれたオリバーさんは、残念ながらここにはいない。先ほど呼び出しが入ってしまい、仕事に戻らざるを得なくなった。その際、とんでもなく申し訳なさそうな様子でわたしとリリーさんを残して家を出て行った。彼にしては珍しく感情が表に出ていたが、それだけわたしたち二人を残していくのは心配だったのだろう。主にリリーさんのメンタル面で。

 怖いのであれば無理に一緒にいる必要はないだろうと、わたしは街の散策に出ようとしたのだけれど。「だ、ダメです…! ご主人様から、お、お客様はきちんと持て成すように、仰せつかっています…」と子犬のようにプルプル震えながら椅子を引いて座るように促してきた彼女を前にして、断れる人間がいるのなら会ってみたい。当然わたしは座って、今お茶を持て成されている。


「リリーさんはこの家にお住まいなんですか?」

「い、いいえ、ここにはあくまで、お仕事として来ているだけなので…終わったら、自分の家に帰ります…」

「そうなんですね。美味しいお茶もいただきましたし、わたしもそろそろ街を見て回ろうかと思―――」

「わ、私、な、何か粗相を…して、しまいましたか…?」

「いいえそんなことないです。もう一杯いただいても良いですか?」


 カップを差し出せばリリーさんはすごい勢いで近付いてお茶を注いでくれたかと思えば同じ勢いで先ほどの位置に戻っていった。最早芸術的な動きとすら感じる。あれだけ素早く動いているのに、一切抱えるポットからお茶を零していない。

 ものすごく真っ青な顔色なのに受け答えはきちんとしてくれるし、すごく丁寧に接してもくれる。どこまで話しかけて良いのか、そもそもどれだけ一緒にいて大丈夫なのか、完全に距離を測りかねていた。

 空気が気まずすぎるが、彼女の用意してくれたお茶が美味しいことだけは救いかもしれない。


「えっと、この家で入ってはいけない場所とかありますか?」

「い、いえ、ご自由にお使いください…客間は、と、整えてありますので、いつでもお休みになれます…」

「どうもありがとうございます。使って良い部屋の場所を伺っても?」

「は、はい…ご、ご案内します…」


 慌てた様子のリリーさんが足を縺れさせたのが分かった。あ、と思った時には遅かった。何とか転ぶことは耐えた彼女だったが、ポットが手から滑り落ちてしまう。ガシャンッ、と派手な音を立てて陶器が砕けた。


「…もっ、申し訳ありません…!」


 涙目でそのまま座り込んで割れたポットに手を伸ばそうとしたリリーさんに、わたしは慌てて駆け寄った。そのまま鋭い破片に触れそうになっているその手を摑まえる。そんなにパニック状態で迂闊に触れれば怪我をしてしまう。

 瞬間、頭の中で映像が流れだした。



「痛っ!?」


 リリーさんが小さく悲鳴を上げて手を引っ込める。その白い手の平に真っ赤な線が走っていた。そこからポタポタと雫が垂れていく。焦ったせいで思いの外強く破片を掴んでしまったらしい。結構深く手を切ってしまっている。



「ひっ、ひぃ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい…!」


 耳元で聞こえた恐怖に塗れた声に我に返った。視えていた映像がぶつんと途切れ、目の前には真っ青な表情で零れんばかりの涙を目元に滲ませるリリーさんがいるではないか。

 人が苦手な彼女に近付いてしまった上、手に触れている。怯えさせるのも当然な状況に、わたしは急いで手を解放し、ついでに両手を頭の横辺りにあげて何もするつもりがないと主張した。


「いきなり触れてすみません! ただ危ないから咄嗟に触ってしまって!」

「あ、あうぅ…」

「そのポットはわたしが片付けますから!」

「ぇあ、だ、ダメです、お客様に、そんなことは…!」

「そのまま破片に触るとリリーさんは怪我してしまうんです! そういう未来が視えましたから! だからわたしが片付けます! 大丈夫です、わたし家で散々投げつけられたカップとか花瓶とか片付けていましたから!」


 慌てすぎて余計なことまで口走ってしまったが、リリーさんが驚いて固まったのは幸いだった。テーブルから用意してくれていた紙ナプキンを回収し、ガラス片を踏まないように注意しながら膝をつく。紙ナプキンを広げ、注意しながらその上に破片を乗せていった。こんな作業は慣れたものだ。癇癪を起した義母にしょっちゅう陶器を投げつけられて、その片付けをやらされていたのだから。はじめはよく指を切ってしまっていたけれど、今はもうどのくらいの力加減なら怪我をしないか把握できている。素早く手で拾える程度の破片を回収してからわたしは息をついた。


「これで大丈夫ですね。後の細かいものを掃除したいのですが、箒はありますか?」

「あ…い、いえ、それは私が…」

「でも…」

「手を、つ、使わなければ大丈夫ですよね…? そ、それなら使わないように、片付けますので、わ、わたしに、させてください…!」


 必死な様子で食い下がられて、「じゃあお願いします」わたしはつい頷いてしまった。あまり出しゃばり過ぎても逆に困らせてしまうかもしれない。それに彼女の言う通り手を使わなければ怪我をする心配はないだろう。そう思ってわたしは一歩下がったのだが、リリーさんは何故かその場を動こうとしなかった。

 掃除用具を取りに行く様子もない彼女に首を傾げていると、そのまま深呼吸を始める。


「すー、はー…」

「?」

「お客様は、さ、下がっていて、くださいね…!」


 リリーさんは立ったまま両手を前に出した。手の平を下に向けて全身に力を込めるのが分かった。

 何をしているのだろう。そう首を傾げようとした瞬間、床に広がっていたお茶がゆらりと揺らめいた。


「え?」


 見間違いかという疑問は一瞬で吹き飛ぶ。

 シミのように広がっていた薄茶色の液体がぐるりと円を描きながら、ポットの落下地点あたりへと集まっていくではないか。液体はみるみるうちに面積を縮めていき、代わりに床からの厚みを増していく。やがて波打っていた液体は床から浮かんで球体を形作った。両手にすっぽり収まるくらいのサイズのそれは、ふわりと浮かんでリリーさんの手元に収まる。


「こ、これで、細かい破片も回収できたと、お、思います…あ、あとは私の方で片付けますので…」


 球体の中に、拾うのを諦めた細かい破片が閉じ込められているのが見えた。液体は細々とした破片を巻き込みながら床を這っていたらしい。何事もなかったかのようによく磨かれた床がピカピカと輝いている。


「今のって、魔法ですか?」

「あ、は、はい…私、水、というか液体を少しだけ操れまして…ほ、本当に、その、ほんの少しなんですが…」


 ―――この後、魔法に目がないわたしがリリーさんの力について質問攻めにしてしまい、我に返った頃にはすっかり怯えさせてしまっていたことは言うまでもないだろう。




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