14.身分証
結局、その日は微妙な空気のまま解散になった。リオスさんのスカウトの件も、わたしの夢が路頭に迷った件も宙に浮いたまま。
リオスさんから「警備隊に入る件は今度改めて返事をしてほしい」と言われて、今まで気にしたこともなかった壁にぶつかったわたしは頷くしかなかった。ついでに向かう場所は一緒だからと、リオスさんたちの馬車に同乗させてもらう話も放心している間に纏まってしまっていた。わたしとしてはこれ以上迷惑をかけたくなかったのだけれど、「まだ色々説明させてほしいから、その時間と引き換えだと思って」と言われてしまえばそう無碍に断ることはできなかった。レフィルト国までの足ができることはわたしとしては非常に助かる、という打算的な気持ちがあることは否定できないけれど。
そんなこんなで翌朝、迎えに来てくれたリオスさんに付いてレフィルト国所有の馬車に乗せてもらった。このまま国に帰るというリオスさんと、彼の部下―オリバーさんというらしい―の一人と一緒に。他にもいるのだそうだが、その人たちはアドングたちを移送するため別ルートで帰国するらしい。
気まずい以外は非常に良い旅路だった。公共の馬車よりも格段に良い乗り心地だし、速いし。
ただ、リオスさんの誘いにのったことでどうしても後悔していることがひとつ。
「あれだけ頑張って手に入れた身分証明書を使わなかったこと、残念で仕方ないや…」
心の声が思わず出てしまった。慌てて口を塞ぐも、当然聞こえただろう目の前の二人は不思議そうにわたしの方を見ている。
「身分証明書?」
「あ、はい…これです」
大きすぎる独り言を聞かせてしまった恥ずかしさに肩を縮こませながら、わたしは鞄からカードケースを取り出した。ベルちゃんがプレゼントしてくれた薄いグリーンのカードケース。透明なフィルムの向こう側に、先日卒業した学園名とわたしの名前が刻まれている。
大陸内でも上位を争うほど栄えたライリット最大の学園は、平民貴族関係なく、十代の少年少女が通う最大の教育機関。そしてその規模と歴史から、卒業と同時に渡される身分証明書は大陸全土で通じるものだった。ある意味でライリットという国が保証している人物ですよ、という証明になるからだ。ダリアがばら撒いた覚えのない悪評を鵜吞みにした貴族たちから後ろ指差されながら、それでも歯を食いしばって学園に通いきったのはこの身分証明書のためだけだった。腐っても高位貴族だったイリシオス家の名前を捨て、何もないただのアシェラとして見知らぬ土地で生きていく以上、これがあるのとないのとでは雲泥の差だ。というかそもそも、身分証明証がなければセントラムから先に渡れない可能性すらある。何か色々手続きを踏めば大丈夫だが、そうすると結構な期間が必要だと聞いたことがある。しかしこの身分証明書、ある意味国の保証さえあれば、セントラムの検査も問題なく通過できる算段だった。
ただ今回はレフィルト国のお墨付きの方々と一緒のため、わたしの身元は彼らが保証してくれているということで、苦労して手に入れたわたしにとっての『魔法のカード』は出番がなかったのである。
「アシェラ・シプトン…?」
せめてここでそのお墨付きの方々に確認してもらおう、と見せた身分証明書を受け取ったリオスさんが、ぽつりとわたしの名前を呟いた。その声がやけに緊張したように聞こえたのは気のせいだろうか。
「あぁ、はい。わたしのフルネームです。一応言っておきますが偽造とかしていないです」
何故か室内の空気がピリッとしたものに変わったように感じて、無駄に弁明してしまった。
本来ならば学園卒業まで名乗っていた「アシェラ・イリシオス」が印字されているはずだが、申請が受理されれば任意の名前に変更可能だった。というのもこの身分証明書はライリット国の技術が結集されているもので、表面に見えている名前はさほど重要なものではないからだ。原理は知らないけれどカードの中に持ち主と照合できるだけの情報が詰まっているらしい。ちなみに偽造はとても難しいと有名な代物だ。
卒業と同時にイリシオス家を出ていくと決めていたため、あらかじめ元の――おばあちゃんやお母さんと同じ『シプトン』で申請していた。
「そこは疑ってないから大丈夫だ」
「では何か他に気になることでも?」
「いや…ウチの身分証とはだいぶ違うなと思って」
「レフィルト国の?」
そういえばそういった情報は全く知らない。わたしの「気になる」という思いが全面に出ていたのだろう、リオスさんが苦笑しながら横にいるオリバーさんを振り向くと、彼は無言で自らの服の袖を捲った。
その手首に、何やらきらりと光る黒い石が嵌った腕輪が巻かれている。真珠のようなつるりとした見た目をしている六角形型の黒いそれ。
「これがレフィルト国の身分証です」
「…どれが?」
「この黒い石です。魔石と呼んでいる特殊な鉱石で、魔法で本人情報を記録させています。我が国ではこの石を装飾品として身に着けるのが習わしです」
聞けばこの石を傷つけさえしなければ、基本どんな形で身に着けても良いらしい。ある人はネックレスだったり、またある人は指輪にしていたりと様々なのだそうだ。
「綺麗ですね。全員こんな形なんですか?」
「今の王に変わってからこの形に切り替わったので、基本的に我が国の人間であれば皆持っていますね。以前は貴国と同じカード型だったと聞いていますが」
「こんな所にも魔法が使われているなんて素敵ですね。リオスさんはどういった形状なんですか?」
「…まあ、オレもオリバーと似たようなものだ」
「参考までに見せていただくことは…?」
「何でだよ、同じだぞ」
「見比べてみたいです」
「悪いが断る」
魔法というものに目がないわたしはリオスさんに食い下がってみたものの、何故か断固として拒否された。無理強いは良くないと少し肩を落としつつ、無言で腕から外してこちらに差し出してくれたオリバーさんに感謝しつつ、彼の魔石――正確には身分証を、角度を変えたりしてしばらく観察させてもらった。
こんなに小さな石に個人の情報が詰め込まれているだなんて、やっぱり魔法ってすごい。
「そろそろ町に着くな。一旦そこで休憩にしよう」
窓の外を見ると、森の先が開けて民家らしき建物が疎らに見えた。話している内に思いの外時間が経っていたようで、お腹が空腹を訴えていることに気付く。
まだまだ夢にまで見た国には程遠かった。




