危機
アステラの家、レイユースの屋敷にて。
一番大きなサロンで、選び抜いたお茶とお菓子を広げたテーブルにリリーナを招待し、アステラは今日も自分がどれほど第三王子を好きか話をでっち上げることに全力を尽くしていた。
「アステラちゃんはどうしてゲオルグ第三王子殿下を想うようになったのですか?」
「それはね、話すと長くなるよ」
「是非聞きたいです」
「えっとね……」
アステラはリリーナに少しでも疑われてはいけないと、綿密に計画を練った。
題して、『リリーナハッピーエンド計画』だ。
この計画のキモは、リリーナに大切な親友だと思ってもらう事と、時間が許す限りリリーナと恋バナをして、アステラはゲオルグが大好きなのだとリリーナに強く教え込むことだ。
勿論優秀なアステラはその頭脳をフルに使い、いつ自分が第三王子のゲオルグを好きになって、どのように過ごして来たか矛盾なく創作したシナリオも準備済みだ。
そしてリリーナへの愛を語る勢いで主語だけ変えて、ゲオルグ大好きを装えば完璧だ。
「本当にゲオルグ様が尊すぎる。同じ世界に生まれてこれただけで本当に幸せ。今日もゲオルグ様が生きていてくださっていると考えるだけで、わたしは生きていける」
「アステラちゃん、そこまでゲオルグ殿下のことを……!」
「ゲオルグ様を生み出してくださった神に感謝。ゲオルグ様を育ててくださったこの大地に感謝。ゲオルグ様と同じ時代に生まれたことに感謝」
「ゲオルグ殿下も幸せですね!ゲオルグ殿下だって絶対にアステラちゃんのことを好きにならずにはいられないはずです!」
アステラの熱い告白を聞き、リリーナは感激して目を潤ませていた。
本当は全部リリーナへの想いなのだが、そこは長年培ってきた令嬢の演技力で悟られないようにしている。
「わたし、ゲオルグ様が誰か他の方と結婚でもしてしまったら、死んじゃうかもってくらい好きなの!!」
「アステラちゃん!アステラちゃんのように美人で優しくてかわいくて面白くて素敵で魅力的な女の子なら、絶対にゲオルグ殿下も好きになります!絶対です!だから死んだりしないでください!私も応援していますから!」
「美人で優しくてかわいくて面白くて素敵で魅力的な女の子はリリーナちゃんだけどっ、リリーナちゃんには何があってもずっと応援に徹していて欲しいの!」
「はい、お任せください!!!」
アステラはリリーナが強く頷いたのを見届けて、「ありがとう!」と念を押した。
リリーナとは美味しいものを食べたり、一緒にパレードを見に行ったり、一緒に洋服を選んだり、順調に仲良くなれている。
それに、暇があればこうしてゲオルグ好きアピールが出来ている。
正直に言えば、第三王子なんて男性として見たことさえなかったが、何とか順調に事が進んでいる気がする。
……このまま上手くいってくれるといいけど。
懸念があるとすれば、それはリリーナがゲオルグの城で働き始める日。
その日、きっとリリーナはゲオルグと対面する。
その時に運命の強制力が働いたりしなければいいけれど。
アステラは飾り棚の上にあった羅針盤のようなカレンダーを手に取った。
あと一週間でリリーナの初勤務の日がやってくる。
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リリーナがゲオルグの居城で侍女として働き始める日は、あっという間にやってきてしまった。
ゲオルグの城にはあまり近付きたくない。
第一王子派の家の令嬢で、何かあれば第一王子の取り巻きとしてイベントに参加するように要請されるアステラの顔は流石にゲオルグに覚えられているだろうから、城の周りでうろうろしていると最悪とっ捕まるかもしれない。
だけど、リリーナの初出勤日なのだから、お祝いしてあげたいという気持ちもある。
……どうしよう。行くか、行くまいか。
アステラは早朝から腕組みをして暫く自室を徘徊していたが、キッと眉をつり上げて決意した。
行こう。
リリーナのハレの日を祝いに。
……だってリリーナちゃんの初出勤日は今日しかないんだもん。
アステラは使用人たちの目を盗んでこっそりと屋敷を抜け出し、よく懐いてくれている馬に跨って駆けだした。
まず向かうのは城下町の店で、リリーナに贈るための花と菓子を買う。
それから東の第三王子領にある彼の居城に向かうことにした。
アステラは大きな花束とお菓子、それから予備のお菓子まで買ってゲオルグの城に到着した。
大きな城の門前に到着すると、アステラは当然のように衛兵に止められた。
「レイユース家のアステラ様がこんなところに何用ですか?今日貴女がここに来る予定があるとは誰からも伺っておりませんが」
「ええ。約束などはありません。友人の見送りに来ただけですから」
「友人?この城に第一王子派の人間の友人などいないと思いますが」
「女子の友情は政治的なしがらみに左右されるものではありませんの」
派手なドレスを着ておらずとも、城の衛兵たちは当然第一王子派の家のアステラ・レイユースの顔を知っている。
曲がりなりにもライバル陣営の怪しい人間はすぐにでも追い返したいだろうがアステラが上位貴族なので無下には出来ず、衛兵たちは苛立った顔だった。
しかしアステラもリリーナを見送ると決めたのだから、すごすごと帰るわけにはいかない。
朝の鐘がなる時間に出勤だとリリーナは言っていたから、こうして門前で待っていればきっともうすぐ会えるはずだ。
こうして衛兵たちに睨みを効かせて門の前を陣取っていると、出勤しようとやって来たリリーナに無事会うことができた。
「あ、アステラちゃん?!どうしてここに?!」
「リリーナちゃん、初出勤日おめでとう!」
先ほどまで衛兵たちとギスギスやっていたアステラだったが、リリーナの登場にパッと顔を輝かせた。
そしてリリーナに駆け寄り、後ろで持っていた大きな花束を手渡す。
「はい、これどうぞ!」
「私が初出勤日だからわざわざお見送りに来てくれたのですか!?しかも、こんな立派なお花……!」
「推しの晴れの日だからお花は必須だよ。あと、このお菓子はこれから一緒に働く同僚の方に配ってね」
「お菓子は同僚の方に配るのですか?」
「そうだよ。リリーナちゃんが同僚の皆に良くしてもらえるように」
「アステラちゃん……!!本来なら私が用意すべきものなのに……ありがとうございます」
「ううん。初出勤日にお菓子持っていくなんて文化ここにはないもんね。リリーナちゃんは知らなくて当然だよ。推しに貢物をするのがわたしの幸せなんだから、気にしないで頑張ってきてね」
「本当にありがとうございます。アステラちゃんはいつも優しくて素敵で面白いですね。貴女はいつも私の憧れです」
リリーナは一瞬戸惑った様子だったが、アステラが推しに貢ぐ奇行を常日頃から行っていて耐性が付いているのか、すぐに笑顔になった。
大きな花束と大箱に入った菓子をアステラから受け取り、リリーナの両手がいっぱいになる。
花はちょっと荷物になってしまうかもしれないが、お菓子はやっぱり新しい職場には必須だ。
ブラック企業の社畜だったときは、クライアントにも絶対にお菓子を持って行っていた。
「じゃあリリーナちゃん、頑張って」
「はい。本当にありがとうございます、アステラちゃん」
そして嬉しそうに笑ったリリーナは、「では行ってきます」と頭を下げた。
……よかった。リリーナちゃんを見送れた。さあ帰ろう。
しかしアステラが愛馬の背に跨る前に、後ろから幾つもの厳格な足音が門に向かってやって来た気配がした。
先ほどまでアステラを威嚇していた衛兵たちがバッと頭を下げる。
アステラも、門をくぐろうとしていたリリーナも、その場で振り向いた。
背の高い影が目に映る。
もしかしてと思ったが、そのもしかしてだった。
手練れらしき近衛騎士や側近を連れてやって来たその人は、第三王子ゲオルグ・ヘルハイヴだった。
右眉の上に傷跡はあるが顔はかなり整っていて、濃いグレーの髪とアイスブルーの鋭い瞳が美しい。
……いやいやいや、見惚れてる場合じゃないって。ゲオルグ王子は冷酷な鬼畜王子だよ!
城の前でうろうろしていることがバレたら、切り殺されるかも。
それとも拷問?処刑?
問いただされる?
どうしよう。
しかし、ゲオルグは割と名の知れた令嬢であるアステラのことさえ無視するように城の中へ入ろうとしているようだった。
……うん。まあ、いくら何でも問答無用で切りかかったりはしないよね。
冷静に考えれば、いくらゲオルグでもそんな野蛮はしまい。
王位の継承をされたければ、行動一つ一つに正義に基づいた理由が要るのだから。
いきなり表れた本物のゲオルグに少し動揺してしまったが、この場は丸く収まりそうだ。
……と思ったが、アステラは自分の横で、ゲオルグに熱い視線を向けている人物がいることにハッと気が付いた。
「あんなにかっこいい方がいらっしゃるのですね……」
ポツリと呟いた、熱い視線の主はリリーナだった。
……まずい。
アステラは女の本能的に悟った。
これは恋する乙女を連想させる熱い視線だ。
間違いない。
設定の強制力なんかが発動して、やっぱりリリーナはゲオルグに惚れてしまいました、なんてなったらたまったものではない。
先手を打たなければ。
何とかしなければ、リリーナが危ない。
「げ、ゲオルグ様!」
アステラはゲオルグが城の中に姿を消す瞬間、間一髪のところで呼び留めた。
ゲオルグはぴたりと立ち止まりゆっくりと振り返ったが、その片手は腰の剣に添えられている。
彼の瞳が、完全にアステラを敵と認識している。
それを見たアステラは一瞬ビクリと身を縮めたが、すぐにシャンと背筋を伸ばして微笑んだ。
「あの、今日は良いお天気ですね。ふふふふ」
アステラは一触即発の張り詰めた空気の仲、努めて軽快な声を出す。
ゲオルグは当然のように返事をせず、アステラを射抜くように睨みつけている。
……怖い。
今にも首が落ちてしまいそうな空気と、プレッシャーに押しつぶされそうだ。
しかしブラック企業で働いていた時、鬼上司に怒鳴られながらプレゼンをした事がある。
罵られてテーブルをひっくり返されたこともある。
それを何度か乗り越えてきたのだから、アステラはまだ負けるわけにはいかない。
アステラはリリーナに渡すため予備で用意していたお菓子を馬の荷物入れから引っ張り出し、両手に抱えて一歩前に歩み出た。
そして大きく息を吸う。
「ゲオルグ様、それはそうと今日も本当にかっこいいですね!お顔が見られて幸せで、わたしは今日も一日頑張れそうです!」
「……は?」
ようやく喋ったゲオルグの小さな一言は、珍妙なものに対して呆れて漏れ出た呟きのそれだった。
そしてアステラの隣のリリーナをちらりと見れば、ゲオルグへの熱いまなざしはすっかり消え去っていて「アステラちゃん、頑張りましたね……!」とうれし涙をこぼしたようだった。
アステラからゲオルグへの恋心を散々聞かされてきた心優しいリリーナは、心から感無量の様子だ。
ホッとしたアステラはもう一押しとばかりに、もう一歩大きく踏み出した。
「ゲオルグ様、実はわたし、貴方のことがとってもとっても大好きなんです!」
「何を言っている。帰れ」
「いいえ!貴方は無口だけど色気があって、顔が整っていて手足が長くて、強くてかっこよくて、わたしはずっと貴方に惚れていたんです!」
「聞こえなかったか?いい加減にしないとお前は首だけで家に帰ることになる」
ゲオルグは小さな音を立て、腰の剣の柄を握り締めた。
ゲームで画面越しに見たら強そうでかっこいいと思ったかも知れないが、目の前で凄まれるとめちゃくちゃ怖い。
しかしアステラは、やっぱり前世のブラック上司の方が怖かったと思い直し、笑顔を作った。
「そんなに怖い顔をしないでください。ね、よかったらお菓子をどうぞ!城下町のパティスリーの、とっても美味しい季節のプチタルトアソートです」
しかし、アステラが差し出したお菓子は、割って入ってきたゲオルグの従者によってあっさりと地面に叩き落とされた。
「さっきから黙って聞いていれば、何を考えておられる?そもそも、レイユースのような第一王子派の家の者からの食べ物など、殿下が召し上がる訳ないだろう」
こうして、無残に地面に散らばったお菓子と佇むアステラ一行は城の前に取り残された。
「あ、あの、アステラちゃん……」
リリーナはまるで自分が失恋してしまったかのように涙を流して震えていたが、アステラは落ちたお菓子を屈んで拾いながら、全力で息を整えていた。
……こ、殺されなくてよかったあ~。
声をかけた時は死ぬかと思った。
そして嘘でも「好き」と言った時は死んだと思った。
っていうか、曲がりなりにも告白した令嬢に向かって「殺すぞ」は恐ろしすぎる。
あの王子、本当に鬼畜だ。
あんな奴にリリーナを渡すわけにはいかない。
……でも、超絶怖かったけど、いいことも分かったかも。
動悸が収まって頭が正常に働いてくると、アステラは次なる計画の足掛かりを見つけていた。
今回、ゲオルグ本人に向かって「かっこいい」とか「大好き」だとか言ったけど、それを見ていたリリーナの反応が想像以上に良かった。
あの様子でいけば、リリーナは自分の恋心に気づくことなくゲオルグを諦めてくれるのではないだろうか。
であれば、アステラはもう少しゲオルグを好きだとリリーナに見せつけた方がいいのではないだろうか。