ゆっくり…のはずが?
……まあ、夜にゆっくりお茶を飲むのは好き、だけど……。
アステラは、ふかふかのソファと大きな暖炉のあるゲオルグの部屋に招待されて、メイドが用意してくれたお茶を飲んでいた。
アステラの前に座っているゲオルグは、ティーカップから口を離して大きな窓の外に広がる景色を眺めている。
そしてメイドは何かあったらベルを鳴らしてくれと言って去ってしまい、部屋には二人しかいない。
静かだ。
それに、もしもアステラが暗殺者だったら、とっくの昔にゲオルグの首に刃物を突き立てていたくらい隙だらけな状況だ。
アステラは何となく、漂うこの雰囲気にむずむずしてわざと明るく声を出した。
「えーと、ゲオルグ様は星を見ているんですか?星が好きなんですか?」
「あ、いや。そういう訳ではないが」
「じゃあ雪ですか?雪、積もってますもんね」
「いや、雪を見ていた訳でもないが……」
「そうなんですか。じゃあ月ですか?今日の月は一際綺麗ですね……って!これは別に深い意味は無いですよ!あ、ゲオルグ様は夏目漱石知らないからフォローしなくて大丈夫か……」
「なつめそうせき?」
「ああ、すみません。こちらの話です」
……ああもう。
夏目漱石知らないゲオルグ王子相手に何をテンパってるんだろ。
アステラは焦りをリセットするように、ティーカップの中身をグイッと飲み干した。
「熱っ」
しかし淹れたてのお茶が熱いのは常識だ。
思いっきりお茶を飲んでしまったアステラは涙目になった。
「え?一気に飲んだのか?!熱いに決まっているだろう!大丈夫か、ほらこれを」
ゲオルグが冷たい氷水をコップに汲んで素早く手渡してくれたので、アステラは助かったとばかりに飲んで口を冷やした。
一瞬で水膨れが出来てしまった口の中だが、ゲオルグの素早い気づかいのおかげで、痛みは直ぐに引いた。
「ありがとうございます。お手数かけちゃいましたね」
お代わりをしたコップの水を飲み切ってから、アステラは頭を下げた。
アステラがもう大丈夫だと言ってもゲオルグは心配そうだったが、その整った顔で優し気にされるのはやっぱりソワソワするからやめて欲しい。
アステラが口を火傷しようと、以前のように冷ややかな顔で無視して欲しいのに。
……急に優しくされても困る。
しかしこれは感謝されてるだけなのだと言い聞かせ、アステラは何食わぬ顔で新たな話題を切り出した。
感謝されてるだけだから、考えすぎるのも良くない。
普段通りにしていれば、ゲオルグも自然と以前の塩対応に戻るかもしれないし。
アステラは今夜は適当な話題で時間を稼ぎ、適当なところで切り上げるつもりだった。
「ゲオルグ様は意外と読書もされるのですね。あ、そういえば学術大会にて地学の論文で賞を獲っていましたっけ!」
「君も学術大会では錬金術の発表をしていたな」
「ふふ、錬金術は得意なんです。今度は水を濃縮して干ばつの酷い国の援助が出来ないかと考えているんです」
「すごいな」
「いえいえそれほどでも!うちの国は水資源は豊富ですからね」
「そうだな」
「一昔前は水の都として観光客もたくさん来ていましたよね。今は同盟もいくつか破棄されて国家間の交友に制限が多くなってしまいましたが、また昔のように国と国との間も平和になると良いですね」
「ああ」
「わたしは色々な国に行ってみたいです……くしゅん」
「くしゅんくしゅんくしゅん!」
「大丈夫か」
大丈夫、と返事をする前に次のくしゃみがやってくる。
アステラは急に酷い悪寒に襲われてブルリと震えた。
暖炉で火が赤々と燃えているというのに、何故だろう。窓も開いていないし、冷たい外気が入ってきている訳でもない。
急いでクッションを引き寄せたが、背筋がゾクゾクとするのが止まらない。
「そんなに寒いのか」
「はい、そのようです。どうしてですかね、こんなにあったかい部屋なのに」
「さっき二杯も氷水を飲んだからだろう。少し心配だったんだ」
「あ、そうか……くしゅん!」
そういえばそうだった。
口を火傷して、氷水を二杯ガブ飲みしたんだった。
冬にそんなことをすれば、いくら暖かい部屋にいようと冷えてしまうのは当然だ。
「わたしってば、こんな雪の日に氷水を二杯も飲むなんてお馬鹿さんですよねえ。あ、でもゲオルグ様が温めてくれたら、転んでもただでは起きない良いアイディアなのではないでしょうか、なーんて!」
「えっ」
「ほらゲオルグ様の方が暖炉に近いソファに座っていますし?並んで隣に座って手でも握ってくれたら、わたしもすぐ悪寒が収まるに違いありませんよね!くしゅん」
以前のゲオルグはアステラがセクハラ発言をするとすぐに部屋から叩き出していたから、今回だって流石に嫌がってくれるだろう。
現に、ゲオルグはアステラを見つめたまま固まっている。
「ほらほらゲオルグ様、ぼんやりしてるとわたしが隣に座っちゃいますよー?くしゅん」
アステラが追い打ちとばかりにくしゃみをしてゲオルグの隣に迫ると、ゲオルグはパッとそっぽを向いた。
やっぱりアステラに近づかれるのは嫌だったようだな、とアステラが安心したのも束の間。
ゲオルグは少し体の位置をずらして、人が一人座れる分のスペースを開けてくれた。
「わかった」
「え?」
「ここに」
「いや、え?」
「……座ってくれ」
ゲオルグが小さく隣に空いたスペースをポンポンとした。
その勢いでアステラはつい、ポンと空いたスペースに腰を下ろしてしまった。
だけど、何だこの状況は。
座ってしまったが、やっぱり尋常じゃない程近い。
先日のカフェで座った時なんて比べ物にならない程近い。
この距離は、下手をしたらお互い本当に触れてしまう。
急いで立ち上がろうとしたが、その前にアステラの上に分厚い毛布が下りて来た。
「毛布もかけておくといい」
「えっ」
「クッションも」
「あの」
「眠くなったら寝ても構わない。俺に寄りかかってもいいから」
「その」
「それから手、だったか」
……いやいやいやいや!!!
確かに熱くなってきた!もう悪寒なんて全然しない!
もう十分。これ以上座っていられないです!!!!
「やだなあ冗談ですって!そんな責任感じて無理矢理一緒にいてくれなくても大丈夫ですよ。暖炉の傍はゲオルグ様が使ってください!わたしはもうそろそろ部屋に帰りますので!おつかれさまでしたまた明日ごきげんよう!」
「待て」
立ち上がって毛布を返し、逃げだしたアステラはそのまま廊下を爆走し、自室に駆けこんで扉をバタンと閉めるはずだった。
なのに、ゲオルグがアステラの手首を掴んで引き留めた。
「俺は無理矢理君といるわけじゃない」
「えっ」
「以前の俺の態度が君を不安にさせているのかもしれない。君が起きている時に伝えなければと思っていたことを今話させてく……」
「し、真剣な顔して何ですかでもそろそろ寝ますすみませんごめんなさいさようなら!!!」
ゲオルグの美しいアイスブルーの瞳がじっと見つめてきたことに動揺したアステラは、力任せにゲオルグを振り切って、今度こそ逃走した。