提案
「寝ているか。なら起こす気はない。でもどうしても謝りたいんだ」
きっと時間は夜。
どこか遠くに梟の鳴き声がする。
でも、誰か人の声のようなものも聞こえる。
しかしアステラは眠っていて、その声が何を言っているのか分からなかった。
ふかふかのベッド脇に誰かがいる気配はあったがそれが誰かもわからなかったし、知ろうとする気力もなかった。
「君はあれほど俺に気持ちを伝えてくれていたのに、ずっと信じてあげられなくてすまなかった」
瞼を開けるのも億劫だったアステラだが、声の主はなんとなく優しい気配がするので、リリーナかもしれない。
「君が俺なんかのところに来てくれるはずはない。君は第一王子の為に動いている。君は第一王子といる方が幸せ。そんな風に思っていたんだ」
「俺はいつも酷い態度だったのに、それでも愛想を尽かすことなく君はいつも楽しそうに話してくれた。そして酷い怪我も厭わずに俺を庇ってくれて、自分の家も地位も全部捨てて俺のところに来てくれた」
「そんなことをさせてすまなかった」
「でもまだ君は俺を、慕ってくれていると思ってもいいだろうか」
「もし可能ならば、君がいつも伝えてくれる気持ちを俺も返していけたらいい、と思っている。そうしても、いいだろうか」
「多分君ほど上手には出来ないが、その、善処する。長い目で見ていてくれると嬉しい……」
声の主が眠っているアステラに何を呟いていたのかは最後まで分からないままだったが、アステラの額のタオルを冷たいものに変えて、その声の主は部屋を出て行った。
去り際に、なんだか優しい花のような匂いが鼻を掠めたので、アステラは安心してまた深い眠りについた。
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そして季節は秋から冬になり。
しんしんと雪の降る白い朝、暖炉の火が温まってきたところでアステラは起き上がって、診察に来てくれた医者の前でフンフンと屈伸していた。
「よいよい。もう完治じゃ」
「本当ですか!ありがとうございます!」
「よう頑張ったのう」
あの日受けたアステラの傷は、ゲオルグの騎士団秘伝の薬と腕の良い軍医、そして十分すぎる程の睡眠によって予定よりも早く完治した。
矢が刺さった傷跡とその周りの皮膚が毒で青くなってしまったけれど、それ以外は怪我の前と大差ない。
身体も元通りに動くし、意識も正常だ。
しかし大きく変わったことは、アステラの身体以外のところにあった。
それはゲオルグを庇ったことで、アステラはいつの間にか侯爵家から勘当されて、もう貴族令嬢ではなくなっていたことだ。
まあ前世の記憶が戻った時点で、貴族令嬢なんて楽しくないと思っていたから別にいい。
だけど、勘当された令嬢にはもう身分がない。
あのゲオルグも流石に傷が治るまでは城に置いてくれていたが、完治したこれからは追い出されるだろう。
アステラは今やお金も無いただの貧乏人だし、下町で細々と生きていくことになりそうだ。
……でもゲオルグ王子の領地の下町に住めば、時々はリリーナちゃんも会いに来てくれるかな。
うん。リリーナは優しいから、きっと会いに来てくれるはずだ。
迷惑にならない程度に会ってもらって、手紙も書こう。
そんなことを考えていると、コンコンと扉がノックされた。
入ってきたのはゲオルグとリリーナだった。
「具合はどうだ」
「ゲオルグ様。もう完治です」
「そうか。だが傷跡は残っているんだろう」
「あ、はい」
矢に塗られていた毒の所為で青く血管が浮き出て、蜘蛛の巣のようなちょっと気持ちの悪い傷跡が背中に残っている。
が、まあ背中だし、普段は目に入らないのでそんなに気にすることもない。
「アステラちゃんの綺麗な肌に傷をつけた下手人、まだ追っているのですが見つけられず……本当にごめんなさい」
「謝ることなんてないよ。わたしは全然大丈夫だよ」
リリーナは悔しそうに唇を噛んだが、アステラとしてはリリーナが無事なだけで幸せだ。
アステラは最後にぎゅっとリリーナを抱きしめて、ぺこりと頭を下げた。
「長い間お世話になりました。じゃあわたしは今から荷造りしようかな。と言っても私物はほとんどないけど」
「え?」
「リリーナちゃん、週二回くらいは顔が見たいな。遠くからでもいいから。それから、手紙も書くから、5通に1通くらいは返事してくれると嬉しいな」
「え、え?」
最後の別れは笑顔でと決めていたアステラは、頑張って笑って見せた。
……社畜として生きてきた前世はあるけど、下町で家なき子みたいに生きた経験は無いんだよね。ちょっと心配だけど、何とかするしかないよね。
さて、少ない荷物の荷造りを始めますかと思って踵を返せば、「いや待て」と引き留められた。
声の主はゲオルグで、小さく眉をひそめていた。
「どこか行きたいところがあるのか」
「行きたいところは無いですけど」
「じゃあここが気に入らなかったという事か」
「この部屋がですか?こんなに広くて綺麗な部屋、中々ありませんよ」
「なら何故」
「だってこれ以上王子様に迷惑かけられません。わたしはもう平民ですし」
その通り、王子の城に居候する平民など聞いたことがない。
王族に仕えるのはたとえ馬小屋係でも、子爵以上の家の出身者でないといけないのだ。
しかしゲオルグは、意外なことを言い出した。
「君はここにいてくれ」
「え?」
「この部屋を好きに使え」
「いえ、でも」
「侍女兼護衛にこのレインドールもつける」
「リリーナちゃんを?」
冷酷な王子でも、流石に嫁入り前の女の子の肌を、青く気味悪いものにしてしまったことを申し訳なく思っているのだろうか。
アステラは少し悩んだが、「そうですよアステラちゃん!ここに滞在して、一緒に朝ご飯を食べてお昼ご飯も食べて夕ご飯も食べて、時々一緒にお風呂に入って一緒に寝ましょう!朝は私が起こしますし、髪も梳いてマッサージもしますよ!」とリリーナに言われたので、速攻で首を縦に振っていた。
……そうか。
ゲオルグの城に滞在すれば、リリーナちゃんと同じ屋根の下なのか。
しかも一緒に朝ご飯を食べてお昼ご飯も食べて夕ご飯も食べて、時々一緒にお風呂に入って一緒に寝て、朝起こしてもらって、髪も梳いてマッサージもしてもらえるんだ。すごい。