窮地
アステラが出迎えの準備をしてゲオルグの城へ出向くと、使用人たちは歓迎してくれた。
そしてゲオルグたちの帰還は夕刻になるだろうとの情報を教えてくれた。
アステラはそれまでの時間、何となく周囲を見回ったり、衛兵に異常がないか聞いて過ごしていた。
……暗殺者、ナシ。多分、大丈夫。
場内を見回ってフンと腰に手を当てたこの時のアステラは、城から少し離れた場所に位置する鐘つきの塔の上で何か小さな光がチリリと光った事には気が付かなかった。
「ゲオルグ殿下がご帰還です!もうすぐご到着されるようです」
日が暮れ始めて辺りが橙色に染まり始めた時、使用人の一人が城内に駆けてきて、ゲオルグたちがもうすぐ城に到着すると知らせてくれた。
アステラはそれを受けて、出迎えの準備をする使用人達と一緒に外へ出た。
城の広い庭は何の異変も無くて、城の高い塀も相変わらず外敵から城を守ってくれている。
夕暮れ時はものが見にくくなるというけれど、ざっと見たかんじ、やはり異常はなさそうだ。
しかしアステラがくるりと向きを変えて360度周りを見回す前に、城の門が開いた。
ゲオルグたちが帰って来たらしい。
「あー、やっと帰って来たぜ」
「今回はちょっと長かったよね」
「こらこら若者よ、帰って防具を外し終わるまでが戦じゃぞ」
ゲオルグを囲んでいた先頭の騎士の集団は城内に入った途端ワッとリラックスした表情になり、疲れたと言ってその場に腰を下ろしたり、背負っていた武器を放り出して寝転がったりし始めた。
帰ってきてやっと落ち着けたと言うような彼らの表情からも、今回の遠征は相当厳しいものだったのだと予想出来た。
実働部隊の騎士たちがこうして疲れているのだから、それを支えたメイドのリリーナだって相当疲れたはずだ。
早く労ってあげたい。
アステラは準備していた入浴セットとレモンのはちみつ漬けを両手に抱え、リリーナを探しに飛び出した。
「リリーナちゃん、お帰り!」
「アステラちゃん!ただいまです!」
メイドがいるのは後列の従者隊だろうと思っていたアステラだったが、リリーナは騎士たちと一緒にもう城内に入っていたようで、すぐに見つけることができた。
「リリーナちゃん!お疲れ様!怪我はしてないみたいでほっとしたよ!」
「ふふ、今回もアステラちゃんが祈っていてくれたおかげです」
「これ、入浴剤!あとレモンのはちみつ漬けもあるよ!」
「ああ、アステラちゃん!ありがとうございます。でも実を言うとアステラちゃんの顔を見ただけで疲れは吹き飛びました」
「ふふ、わたしもだよ!」
リリーナの笑顔を見て、アステラは失った一か月分の元気がチャージ出来ている気がしていた。
……ああ、推しエネルギーの枯渇が満たされていく……。
リリーナはアステラと話しながら、背中に背負っていた大きな槍を武器庫に片付けていた。
そういえばリリーナは従者部隊ではなく騎士隊と一緒に城内に入ってきていたし、ゲオルグ専属侍女として彼の荷物を持っていたのだろうか。
……リリーナちゃんはか弱いんだから、あんまり重い荷物を持たせないでほしいなあ。
アステラがゲオルグを睨むと、ばちっと目があってしまった。
目が合うということはゲオルグもアステラに視線を寄越したということだが、睨んでいたのもバレただろうか。
少しだけ居心地悪くなったアステラは、誤魔化すようにゲオルグにも駆け寄った。
「ゲオルグ様、お帰りなさい!お怪我もないようで何よりです!会えなくて寂しかったです!」
「……声が大きい」
「お手紙読んでくれましたか?まあ返事を返す暇はなかったと思いますが、読んでくれていたら嬉しい限りです!」
ゲオルグはやっぱりアステラには碌に返事もせず、その場で重そうな防具を外しだした。
そのまま整備に出すため、外で脱いでそのまま荷馬車に乗せるつもりらしい。
リリーナがニコニコしながら見ているし、アステラはゲオルグが防具を外したり誰かに指示を出している間も、懲りずに彼に話しかけ続けた。
「ゲオルグ様、危ないことはしていませんか?『ガンガンいこう』じゃなくて、『いのちだいじに』ですからね!安全第一ですよ!」
「うるさいな」
「あ、そうだ。ゲオルグ様にもはいこれ、入浴剤です!浜辺のお花のいい香りにしてみました」
「いらん」
「湯船につからないってことですか?シャワーだけは駄目ですよ!時々は湯船につかってゆっくり癒されてください!ぼんやりする時間も大切です!」
「こら、勝手にポケットにねじ込もうとするな」
「だってこうでもしないと受け取ってくれないじゃないですか」
ハアと溜息を吐いたゲオルグは根負けしたのか、アステラがねじ込んだはいいもののポケットから落ちそうな入浴剤を懐の中へ移した。
後から捨てられるのかもしれないが、それはアステラにとってはどうでもいいことだ。
なぜなら、「アステラちゃん、ゲオルグ殿下が受け取ってくれましたよ!」と目を潤ませるリリーナの可愛さが全てだからだ。
「それにしても、ゲオルグ様は疲れていてもかっこいいですね。少し汚れていてもそれがまた絵になるというか」
「正気か。土塗れだぞ」
「土塗れでもかっこよく見えるなんて、これが噂の恋は盲目というやつですね。ふふ!」
「全く、盲目とはお前も可哀そうにな」
「可哀そうなんかじゃないですよ!っていうか、武装している時のゲオルグ様もかっこいいですが、こうして防具を外して無防備になったゲオルグ様もかっこいいですね!」
応援の眼差しを向けてくれるリリーナに応えるように言葉を続けたアステラだったが、自分自身の発した言葉にハタと動きを止めた。
ゲオルグが無防備になるのは、防具を外した時。
そして油断するなら、城にようやくたどり着いた今。
ゲオルグの息の根を止めたいなら、狙うはきっとこの瞬間。
アステラがハッと気付いたのと同時に、鐘つきの塔のてっぺんで何かが火の光を反射させてきらりと光った。
かすかな光。
しかしそれが何を意味するのか、気が付いたのはアステラと、アステラを見つめていたリリーナだった。
……なんでリリーナちゃんが気づいちゃったの。
アステラは咄嗟にリリーナを庇うために動いていた。
たとえ狙われているのがゲオルグでも、アステラが守るべきはいつもリリーナだ。
しかしゲオルグが狙われていることに気づいて動いたリリーナは、その身をゲオルグの盾に差し出していた。
ゲオルグを狙った刺客による銀製の太い針のような矢が、真っすぐにリリーナの心臓目がけて飛んでくるのが見える。
リリーナが死んでしまう。
アステラがどれほど頑張っても、リリーナはゲオルグの為に幸せになれずに殺される運命なのか。
アステラがいるこの世界でも、それは変えられないのか。
……いいや。それは、それだけは、絶対にさせないっ!!!
全身全霊で突っ込んだアステラは間一髪、ゲオルグを守ろうと飛び出したリリーナを突き飛ばすことに成功した。
しかしアステラの背中に恐ろしい激痛が走って、自分が刺客の矢を受けたことを悟った。
しかも痛いだけでなくて全身が痺れてきたし、毒が塗ってあったらしい。
……ああ、こりゃ死んだな。
まあ、推しの為に命を使えるならファン冥利に尽きるからいいんだけど。
身体が燃えるように痛い。
心臓の脈がやけに大きく聞こえる。
あまりの痛みに耳が聞こえないし、視界も白く靄がかかっている。
だけどアステラが覆いかぶさって守ったゲオルグが何を言っているのかは、辛うじて聞こえた。
「おい大丈夫か!なんでこんなことしたんだ!なんで!」
「……あ、の」
「俺は大丈夫だ、喋るな!」
「リ……」
「ああ分かっている。大丈夫だ。絶対死なせない。大丈夫だ、大丈夫だから」
「う……」
ゲオルグはいつも無表情なのに、今回ばかりはアステラを強く抱きかかえ、必死な表情だった。
……死ぬならゲオルグ王子の腕の中じゃなくて、リリーナちゃんの腕の中が良かったって、言いたかったのに……。
心残りが残る中で、アステラは遠くに臨戦態勢に入った騎士たちの怒声を聞いた。
「敵襲!東南東からの狙撃!殿下を狙ったものだ!直ちに下手人を捕まえろ!」
「殿下は無事か!」
「無事だ!だがレイユースの令嬢が殿下を庇って重傷だ!」
そして遠のく意識の片隅で、怒ったリリーナの声も聞いた。
「アステラちゃんに何てことを!下手人は私が捕まえる!決して生きては帰さない!!」
武器庫から大きな槍を出して背負ったリリーナが、他の騎士たちに交じって駆けていった音も聞こえた。
……何か、リリーナちゃんが妙にたくましいような。いや、気のせいかな。
もうわたし死にかけだし、幻覚でも見てるのかも。




