目をつけられた
「え、リリーナちゃんまたゲオルグ様の遠征についていくの?!」
「はい。アステラちゃんにしばらく会えないのはとても悲しいですが、それが私の仕事ですから」
「そんなあ……」
「きっと無事で帰ってきますから。そうしたら真っ先にアステラちゃんに会いに行きますね」
「リリーナちゃん!!」
メイドなんだから、無事で帰ってくるのは当たり前。
でもリリーナが「真っ先に会いに行く」なんて男性に言われたら惚れてしまいそうなセリフを言うものだから、アステラは疑問を持つ前に感激してしまった。
「帰還は一か月後になりますが、どうか待っていてください」
「待つ!待つよ!でも一か月も会えないなんてやっぱり長いよリリーナちゃん……!」
「はい、とても長いです。アステラちゃんにお手紙書きますね」
「わたしも書く!たくさん書くね!」
「毎日楽しみに待っていますね」
アステラは半分涙目になりながら、リリーナの手を握ってブンブンと振った。
出発は一週間後らしいから、またお守りを作ってリリーナに渡そう。
ついでにゲオルグのお守りもまた作って、余力があったら騎士の皆にも作ってあげよう。
祈る事くらいしかできないが、先日の生誕パーティの一件で騎士たちとも大分仲良くなったので、みんなに無事に帰ってきてほしい。
こうして知らせを聞いてから出発予定日は直ぐにやって来て、ゲオルグたちは遠征に出発した。
一か月もリリーナに会えないのは辛い。
寂しいと思いながら手紙を送っているうちに季節はどんどん過ぎていき、もう夏も終わりかけだ。
青かった葉が次第に深く秋の色に染まる準備を始めている。
今日送る分のリリーナの手紙と、ついでに書いたゲオルグへの手紙を送り終えたので、あとはもう侯爵邸でアステラに割り振られた仕事をこなすのみだ。
だから書斎の文机の上に書類を広げて、アステラは無心で書類を捌いていた。
ガチャ。
アステラが一山分の書類をやっつけて次の山に手を伸ばした時、ノックも無しに書斎の扉が開いた。
書斎はアステラと兄のガレオン、それから妹・レイラの机もあるので、兄妹のうちのどちらかだろう。
「お姉様」
少し甘ったれた声がしたので顔を上げると、そこには妹のレイラが立っていた。
その手には、いかにも高級な紙で作られた一通の伝達書を持っている。
「アステラお姉様、エードリヒ第一王子殿下からご招待がありましたわ」
またか。
イベントがある度に女性を大勢を侍らせたがるエードリヒからの招集だ。
彼はきっと遠い異国の地の文化であるハーレムあたりに憧れを持っているのだろう。いい迷惑だ。
「でもねお姉様。今回はお姉様だけの特権じゃないの。なんと、アタシもご一緒させていただけるのですって」
「レイラも?」
「ええ!アタシが殿下にお目にかかれるのはざっと一年ぶりだけど、アタシは一年前と比べて随分と大人っぽくなったでしょ。だから今回こそは、きっと殿下も気に入ってくださるわ」
レイラは大人っぽくなったといってもまだ童顔ぎみで背が低く、アステラとは違って美人というより可愛い。
だが男性には人気で、アステラほどではないが社交界でも名が知られている。
しかしそんなレイラが第一王子に気に入られたいと言ったのは初耳だし、そもそも彼女は今恋人が2人ほどいたはずだ。
アステラは少し気になったので、レイラに聞いてみた。
「レイラは今恋人がいたと聞いていたけれど、殿下にも気に入られたいのかしら?」
「そんなの当り前じゃない!エードリヒ殿下は第一王子様よ。きっと未来の国王陛下でしょ。今のアタシの恋人なんかとは比べ物にならないくらい良い獲物だわ。お姉様もそう思うでしょ?!」
「え、いえわたくしは……」
「隠そうとしたって駄目よ。エードリヒ殿下は顔良し、お金良し、権力良し、家柄良し、血統良しのこの国で一番いい男じゃない」
「でも、ちょっとセクハ……ではなくて、女性好きではないかしら?」
「女性好き?男性なら当たり前でしょ?というか女好きの方が落としやすくて楽だわ」
「そ、そう……」
「なあに、お姉様は男性から触られるのが嫌なの?男性はちょっと触らせてやれば何でも言うこと聞いてくれるから楽よ?」
「その考えは同意できかねるけど……」
そういえばこの2つ違いの妹とは昔から微妙にウマが合わなかった。
特に、平気で3股4股してしょっちゅう修羅場になっているレイラの価値観は、元々社畜で恋愛経験はゲームの中だけだったアステラのものとは月と太陽ほどに違う。
だがまあ、そんなことを言いつつ、アステラとレイラの仲は悪くはない。
アステラが黙って度々屋敷を抜け出していることは兄のガレオンに見つかれば問い詰められること必至だけど、実際に目撃したレイラは「お姉様も逢引くらいしたい年頃でしょ」と深くは聞かないでいてくれたりする。
そのガバガバ加減に助けられている時もあるということだ。
「コホン。まあその話は置いておきましょう。ところで、殿下にご招待をいただいた催しは何かしら」
「殿下は今週末、競走馬を見に行くのですって。殿下の名前がついた馬もいるから、それをレース場で応援するみたいよ」
「また観戦なのね」
「観戦は狩りや遠乗りに連れていかれるより断然良いじゃない。座ってイチャイチャするのが簡単に出来るもの。あー、楽しみだわ」
用件だけ伝えてルンルンとスキップをして書斎を出て行くレイラの後ろ姿を見ながら、アステラは小さく震えた。
嫌な予感がする。
エードリヒに無作法に触られたアステラの手が、嫌な感触を思い出して少し汗ばんだ気がした。
-----
「アステラ、よく来てくれたね。今日も一段と僕好みじゃないか、嬉しいよ。席は僕の隣へくるように」
「……はい……」
「それからレイラもしばらく見ないうちに随分と女らしくなったようだね。とても可愛いよ。よし、君も僕の隣に」
「あは、喜んで!!」
王都の西にある大きな競馬のレース場について早々、アステラはエードリヒに捕まってしまっていた。
前回、次は絶対に後ろの方で大人しくしていようと決めていたのに、エードリヒがアステラを見つけるや否や駆け寄ってきたから逃げようにも逃げられなかったのだ。
頷くしかなかったアステラと、嬉しそうに頬を紅潮させてエードリヒの腕に自らの腕を絡ませたレイラに挟まれて、エードリヒは満足げな顔で観戦席に着いた。
勿論、席は競技場を見渡せる最上級のVIP席で、ベルベットの絨毯に革張りのソファとワインが常備されている空間だった。
招待された令嬢はアステラとレイラを含めた8人ほどで、全員がエードリヒを囲むように座っている。
「美しい諸君、今日は僕の為に集まってくれてありがとう。酒と料理を楽しみながら競走馬レースの観戦と洒落こもう」
エードリヒは立ち上がって片手でグラスを掲げ、中に入っていた美しい色の液体を飲み干した。
挨拶を皮切りにVIP席に料理が運ばれてきて、座っている令嬢たちの前に前菜が置かれていく。
令嬢たちはその料理のおいしそうな匂いと見た目の美しさに歓声を上げていたが、アステラはそれどころではなかった。
出来るだけエードリヒから距離を取ってソファに腰かけたのに、何故かエードリヒがピッタリ寄り添って来たからだ。
……うわああ、またセクハラされちゃう!
ギュッと身体をこわばらせているのに、エードリヒは更にアステラの方へ身を寄せてきた。
「アステラ、あまり嬉しそうではないね?嫌いな食材があった?それとも食欲が無いのかい?何なら僕が手づから食べさせてあげようか?」
「え、ええと、遠慮し……」
アステラが首を振ろうとした時、エードリヒがグイッと後ろに引っ張られた。
何事かと思ってアステラが目を見張ると、エードリヒの右隣に座っていたレイラがエードリヒの腕を思い切り引っ張ったらしかった。
「お姉様ばっかりズルいです。エードリヒ殿下、アタシにも食べさせて欲しいなあ」
「なんだレイラか。嫉妬は良くないよ。まあ可愛くねだってくれるなら聞いてあげないこともないけれどね」
「じゃーあ、殿下、お、ね、が、い」
レイラはバチンとウインクをしたが、それはどうやらエードリヒに向かってではなくアステラに向かってされたもののようだった。
「好きでもない人に触られるなんて無理とか言う面倒くさい女のお姉様は、そこで大人しくご飯でも食べてて」と口パクの補足もあとからついてくる。
助かった。
初めて知ったが、こういう場で持つべきものは男好きの妹だったようだ。
アステラは、レイラの相手で忙しくしているエードリヒにホッとして、目の前に置かれた前菜料理にナイフを入れた。
まだ少し緊張しているのか味はそこまで美味しくなかったが、何とかゆっくり食べることは出来た。
食事が終わってレースが終盤に差し掛かっても、そのVIP観戦席で実際に走る馬を見ていたのは、結局アステラだけだったかもしれない。
エードリヒはレイラや他の令嬢を膝に乗せたり横に座らせたりしてイチャイチャしていたので、エードリヒと名前が付けられた馬が頑張って一番を取った時さえ見ていなかった。
他の令嬢は高級な料理や飲み物、それからエードリヒの相手に忙しそうにしていて、馬には興味がなさそうだった。
……馬、かっこいいのに。
乗馬も得意で、時々一人で遠乗りに出かける事があるアステラはふうと溜息を吐いた。
だがその溜息を吐いたのがいけなかったのか、他の令嬢達を膝から落としたエードリヒが再びアステラの隣に座った。
「アステラ、溜息を吐いていたね。僕が隣にいなくて寂しかったかい。寂しいなら寂しいと言ってくれていいんだよ」
「え?!いや、えっと……」
「我慢することは無いさ。女の子は少し我儘なくらいが可愛い」
「いえ、そういう訳では……」
「ああ、そうだ。聞こうと思って忘れていたのだけど、君は王の側室に興味はあるかな?」
「側室とは国王陛下の?しかし国王陛下はもう御側室を取らないのではありませんか……?」
エードリヒがアステラの手に触ろうと腕を伸ばしてきたがそれを自然に避けつつ、首をひねった。
王族で側室がとれるのは国王のみだが、彼はもう側室はとらないはず。
不思議そうなアステラの顔が気に入ったのかエードリヒはおかしそうに笑いながら、アステラの耳元に顔を寄せた。
「はは、違うさ。次の王、すなわち僕のことだ」
「え、えっと……でもまだ王位継承者に決まったわけではありませんよね」
いくら美形でもエードリヒに耳元に顔を寄せられているのは気持ちが悪いが、アステラは何とか笑顔を保った。
「アステラ、もしかして君は心配なのかい?僕が王位を継げないかもしれないと」
「それは」
エードリヒは第一王子としての地位もあるし血統書付きだし確かに優秀ではあるけど、武力に関してはどう見てもゲオルグの方が勝っている。
冷酷とセクハラのどちらがマシかと言われれば分からないが、少なくともアステラは、現状エードリヒが確実に王位を継承できる状況であるとは思わなかった。
「いいんだ。君の心配も分かるよ。王子はまだ6人もいて、陛下からの評価が高い雑種の第三王子や、得体の知れない第四王子、国外にいて同行のつかめない王子もいる。だけど安心して欲しいな。特に一番邪魔なあの雑種は、近々ケリをつけようと思っているからね」
「……もしかして暗殺ですか」
「僕は頭のいい女は嫌いだよ。でも君の言う通りさ。雑種と正面からやり合うのはリスクがあるからね。それにあいつが北山の国との同盟を結ぶ気だという情報も手にしている。後手に回ってしまう前に先手を取るつもりだよ」
「そう簡単にいくでしょうか」
「簡単にいかないかもしれないね。でも必ず隙を突いてみせるよ」
「隙などあるでしょうか」
「あるさ。あいつも人間だからね。たとえば戦帰りの疲れたところを狙われれば、きっと隙を見せるに違いない」
以前、兄のガレオンも第三王子の暗殺計画を本格的に考えていくと言っていた。
北山の国の件もあるし、エードリヒの物言いからも刺客が差し向けられたのは確定だろう。
……でも心配なのはゲオルグ王子じゃなくて、リリーナちゃん。
ゲームでもゲオルグは暗殺者に狙われまくっていたが大抵自分で撃退したり、リリーナを盾にしたりして事なきを得ていた。
だから心配するべきはゲオルグではなくて、リリーナだ。
リリーナはただのメイドだし、今はゲームと違ってゲオルグの好感度を上げている様子がないから多分大丈夫だけど、絶対に万一のことは無いようにしないと。
アステラはエードリヒからは見えないところでぎゅっと唇を結んだ。
……ゲオルグ王子が油断する可能性のある日、つまりゲオルグ王子が戦場から帰って来る日は数日後。
みんなの帰還時は十分に警戒しておかなきゃ。




