決意
「あ、あの、ずっとお話をしてみたいと思っていました。はじめまして。私、リリーナ・レインドールと言います」
アステラに声をかけたのは木漏れ日のようにはにかむ、白いレースのように美しくて純粋な令嬢だった。
きっと、この春に王都に出て来たばかりの地方の令嬢だろう。会ったのは初めてだ。
だけど、アステラは彼女のことを知っている。
初めて会うのに、彼女のことを誰よりもよく知っているのだ。
アステラは、ぺこりと頭を下げた令嬢を見つめたまま、まるで言葉を忘れたかのように息を詰まらせた。
……リリーナちゃん。
令嬢の名前を頭の中で反芻する。
アステラは令嬢の顔をじっと見つめたまま立ち上がり、彼女に一歩近づいた。
綺麗な肌。亜麻色の髪。木漏れ日色の瞳。
……なんで今まで忘れていたんだろう。
無言のアステラに詰め寄られたリリーナは、ちょっと頬を赤らめて焦っているようだった。
その様子は、ゲーム内のスチルでも見たことがない。
……生きてる。
生のリリーナちゃん。リアルリリーナちゃんだっ!!!!!
目の前の令嬢が本物で生きていると認識した瞬間、アステラが感じていた違和感と、頭の中にかかっていた靄が一気に晴れた。
と同時にアステラの中で熱い思いが溢れてきて、ブワッと涙も流れて来た。
「り、リリーナちゃん……!!本物だあ……!」
「ど、どうなさいましたか?!どこか痛むのですか?あの、ほんとうに大丈夫ですか?」
「リリーナちゃんが目の前に……っ!!!」
「え、あの」
「すごい、可愛いっっ……!」
いきなりボロボロ泣き出したアステラを見て、リリーナは焦ったようだった。
焦らせてしまって申し訳ないと思うものの、アステラの涙は止められない。
何故なら、アステラは前世からずっとリリーナのことが大好きだったのだ。
ずっと忘れていたその大切な気持ちが蘇って来て、もう感無量なのだ。
「あの、これ、よければ使ってください!綺麗に洗濯してあります」
「リリーナちゃん、いいの?天使!ありがとう……家宝にするね……」
「え、持ち帰られるのですか?私は構わないのですが、そのような粗末なハンカチで申し訳ないです……」
リリーナは才色兼備で最高の令嬢と噂のアステラの予想外の言動にオロオロしつつも、ハンカチをアステラの手に握らせてくれた。
……ああ、推しが最高に優しい。最高に可愛い。
目の前のリリーナは、前世のアステラが推していたゲームのヒロインだ。
リリーナが出てくるゲームは何百回とプレイしたし、ゲームの中のリリーナはアステラの辛い社会人生活を助けてくれた。
……わたし、リリーナちゃんのことも前世のことも、全部全部思い出した……!
この日、前世で大好きだった推しのキャラクターがリアルになって目の前に現れたことで、アステラは前世の記憶を一つ残らず思い出したのだった。
----
アステラ・レイユースは王国の由緒正しき侯爵家の長女として生まれた。
アステラの兄弟には家督を継ぐ兄と、わがままな妹がいる。
そしてアステラの家は第一王子を次の王にと推す、第一王子派の筆頭である。
アステラの両親は何としてでも第一王子を王にして、次代の国の中枢に食い込みたいと考えているようだった。
いかにも貴族貴族したアステラの両親は長男と、長女であるアステラにひときわ厳しく接していた。
両親はアステラのことを最高の貴族令嬢とするべく、礼儀作法のみならず舞踊や馬術や武術、ありとあらゆるものを教え込んだのである。
おかげでアステラは、踊り子よりもうまく踊れるようになったし、新米の兵士位とであれば渡り合えるくらいの強さも身に付けた。
そして勿論、教養も知識も文句なしだ。
去年は女学院を首席で卒業したくらいだし、なんなら王国の学術会で錬金術の発表をして特別賞を獲ったこともある。
更にアステラは髪は銀色、瞳は薄紫と、すれ違う人がアッと振り返るくらいには整った見た目をしている。
アステラは令嬢としてはヒエラルキーの最上位に位置する、才色兼備の社交界の花と謳われる令嬢に仕上がっていた。
しかしこの度、リリーナと出会ったおかげでアステラは前世の記憶を思い出した。
その記憶は、社交界の花と言われる事なんてどうでもよくなるくらい大切なものの存在を示してくれた。
……そう、これが本来のわたし。
リリーナちゃんを推すことが、本当のわたしの生き甲斐なの!
リリーナとの思い出は、前世のアステラの遠い日まで遡る。
前世のアステラは都会で細々と生きる、ブラック企業勤めの社畜だった。
毎日早朝から深夜まで薄給で働き、鬼上司に怒鳴られ、クライアントからは責められ、同僚がいきなり会社に来なくなる酷い環境で働いてきた。
そんな生きる屍と言う名の社畜だったアステラはの唯一の心の支えは、ゲームの中のリリーナだった。
リリーナは美しく、そして優しさと深い愛情を持ったキャラクターだった。
しかしリリーナが登場するゲームは死にゲーの陰鬱な乙女ゲームで、時代背景は王位の継承者を決める争いの真っ最中。
王位を継げるのは王の血を引く兄妹で一番優れている者だ。だから特に優秀な第一王子と第三王子が筆頭候補で、それを取り巻く貴族たちはどちらに付くべきかと策略を巡らせていた。
全体的に権謀術数がめぐる薄暗い世界観だった。
そんな中でプレイヤーはリリーナとなって、攻略対象の第三王子、ゲオルグ・ヘルハイヴと交流する。
だが陰鬱乙女ゲームのヒロインであるリリーナはどれだけ慎重に選択肢を選んでも、どれだけ隠しルートへ進んでも、不幸になるのだ。
たとえば、ゲオルグを怒らせたばっかりに殺されてしまったり。
王位の継承権を争うさなかに、冷酷なゲオルグから人質として敵方に送られて殺されてしまったり。
第一王子に王位継承権を取られたゲオルグ共々、無残に殺されてしまったり。
そして王位継承争いに勝ったら勝ったで、権力を持ったゲオルグが隣の国の侵攻をはじめて国が血みどろになってしまったり。
それから、幽閉されたり監禁されたり、追放されたり処刑されたり、盾にされたり囮にされたり。
それはもう、ありとあらゆるバッドエンドが詰め込まれていたのだった。
要するにあの陰鬱な乙女ゲームは、冷酷王子の所為で優しくてかわいいリリーナが毎回バッドエンドを迎えるクソゲーだったのだ。
だが画面の向こうのリリーナは、どんなに辛くてもどんなに不幸でも、どんなに裏切られて絶望しても、一途に相手を慕う姿を見せてくれた。
アステラは、社畜である自分の立場と重ね合わせてそんなリリーナを見ていた。
こんなに辛い中でも頑張っているリリーナちゃんがいるんだから、自分も残業頑張ろう。怒鳴ってくる上司が怖くても頑張ろう。おなかが痛くて吐き気がするけど頑張ろう。
リリーナちゃんはブラック企業で働くよりもっとつらい人生を歩んでいるけど、優しい心を忘れてない。だから自分もまだ頑張れる。
大変だけど、いつか絶対二人で幸せになろうね。
そんな感じで、前世のアステラはいつもリリーナに励まされていた。
励まされ方としては傷の舐め合いと言うか、少々不純なものだったけれど、極度のストレス下にあった前世のアステラにとっては、リリーナの存在は嘘偽りなく支えだった。
結局ストレスと過労で死んでしまった前世のアステラだけど、リリーナがいなかったら、きっともっと早くに死んでしまっていただろう。
だからこうして生まれ変わって実物のリリーナに会えて、アステラは鼻血が出るほど嬉しかった。
……リアル推し、可愛すぎてやばい件。
リリーナの存在を考えるだけで思わず顔がにやけてくる。
思わずスキップをしたくなるような心持ちだ。
しかし時間を置いて冷静になってくると、アステラの脳内に一つの懸念が浮かんだ。
……でもリリーナちゃんがいるってことは、この世界ってあの陰鬱乙女ゲーの世界だよね?
それってもしかして、やばいのでは。
リリーナはきっと不幸の元凶の冷酷第三王子を好きになるだろうし、そうすれば絶対不幸になって、最後には死んでしまう。
前世で何度も見てきたバッドエンドが、リアルでもリリーナちゃんの身に起こってしまう。
……どうしよう。
前世のアステラは、結局リリーナをハッピーエンドに導いてあげることが出来なかったから、ハッピーエンドの辿り方が分からない。
でも、社畜アステラの唯一の光だったリリーナが、またひどい目に遭うところなんて見たくない。
アステラはしばらく悩んだ末に自らの両手を見つめ、その手をグーパーと開いてみた。
何の変哲もない、令嬢の綺麗な手。
綺麗に着飾ったりマウントを取ったり、パーティで目立つことくらいしかしてこなかった非力な令嬢だけど、今世のアステラはこうしてリリーナと同じ世界に生きている。
アステラには、画面越しに選択肢を選ぶことしかできないプレイヤーにはない、この世界に生きる身体がある。
……もしかして今のわたしなら、リリーナちゃんの別のルートを見つけてあげられる?
この身体を使えば、存在しないと言われた幻のハッピーエンドを見る事が出来るのではないだろうか。
……できる、かも。
いや。できるかもしれないではない。やるのだ。
推しキャラクターのハッピーエンドを見る為ならば、アステラは馬鹿にでも修羅にでもなる。
というかもはや、リリーナを幸せにするためにアステラはこの世界に生まれてきたのだ。
……わたしがリリーナちゃんを絶対に幸せにしてあげるんだ。今度こそ。
陰鬱乙女ゲームの可哀そうなヒロインだったけど、リリーナちゃんのハッピーエンドが見たい。
絶対に見るんだ。
そんなふうに一人で決意したアステラは、早速行動を開始したのだった。




