記憶
たしかにゲオルグ王子が北山の国と同盟を結ぼうとすることは、リリーナの為に断固として避けなければいけない。
しかし、『暗殺に協力しろ、ゲオルグ王子を上手く誘惑して隙を作るか情報を聞き出すかしてこい』なんて言われたところで、アステラには無理な相談だ。
ゲオルグは全然全く隙が無いし、例の如くアステラに誘惑される素振りは一ミリもない。
情報に至っては、好きな女性のタイプとか趣味とか、どうでも良いことさえ未だに教えてもらってない。
……というかそもそも、暗殺の手伝いなんてするわけないよね。怖いし。
ガレオンは暗殺の計画は任せろとか暗殺者の手配はこちらでするとか、熱心に策を語って聞かせてくれたが、アステラは半分上の空で聞いていた。
暗殺とか王位争奪戦とか怖い話はあまり頭に入ってこない。というか、そういうドロドロした話はあまり聞きたくない。
「アステラ、聞いているな?」
「あ、ええ、ふふふ、聞いていますわよお兄様」
「ならば良い。お前の意見も聞かせてくれ」
「……」
ガレオンに詰め寄られて、アステラは笑顔のまま一瞬固まった。
「どうした、アステラ。お前の意見を聞かせてくれるな?」
「え、ええ勿論ですわお兄様。でも急に用事を思い出してしまいましたわ。お兄様とのお茶を終わらせなければならないのはとっても口惜しいのですけれど、もうお暇しませんと」
アステラは口から出まかせをいいながら、いそいそと立ち上がった。
別に予定はないけれど暗殺について意見も興味も無いのだから、ボロが出る前に立ち去ろう。
「なんだ予定があるのか。では俺の方であの雑種の暗殺計画を練っておく。また話すとしよう」
「ええ、また」
アステラは、兄に引き留められなくてよかったとヒヤヒヤしながらその場を後にした。
ガレオンは次期侯爵として第一王子を支援するのに熱心で、とても野心家だ。
また、彼は過激な両親の教育を受けて育ってきたから、己と家の利益の為には手段を厭わないところがある。
あの話しぶりからすると近いうちにまたゲオルグに刺客を放つことだろう。
ゲオルグは強いし、油断も隙も全く無いから大丈夫だ。
それに今までだって何度も第一王子派からの刺客を撃退しているし、何ならアステラがそれとなく刺客に気をつけろと情報を流してもいい。
そしてリリーナのことは、アステラが命に代えても守る。
だから今は暗殺のことよりも北山の国について考えよう。
ゲームでは、北山の国のエピソードが始まってしまえばもう止めようがなかった。
……だからって止める方法を考えるにしても、まず情報が必要かな……。
そこでしばらく考えた結果、アステラはハッと思いついた。
北山の国については詳しく知らないかもしれないが、北山の国の王の娘であるゲオルグの母親について知っているであろう人物が身近にいた。
……あまり会いたくないけど、ちょっと聞いてみるかあ。
ゲームでは、王国で酷い冷遇を受けていたゲオルグの母親は、幼いゲオルグに「王国人に弱みは見せるな、王国人は信じるな、誰を犠牲にしてでも絶対に生き延びろ」と呪いのように教え続けていたエピソードだけが出てきた。
だがそれ以上の情報は何もなかったので、もう少し詳しく知ってもいいかもしれない。
アステラはガレオンから離れたその足で、侯爵邸の本邸へ向かっていた。
本邸に住むのはアステラの両親、つまりレイユース侯爵夫妻だ。
アステラは兄弟が住まう別邸よりもさらに大きな本邸の扉を叩き、長い廊下の先にある部屋に辿り着いた。
扉前で控えていた数人のメイドが、アステラの姿を見て仰々しく頭を下げる。
目的のこの場所は母親であるレイユース夫人の部屋だ。
厳格な雰囲気の本邸の中でも更に重々しい雰囲気を放つこの部屋の扉は、気合を入れないと叩けない。
「お母様。アステラでございます。少々お伺いしたいことがございます」
コンコンと扉をノックして中の静かな声の許しを得てから、アステラは中に入った。
夫人は文机で何やら書き物をしていたが、持っていたペンを置いて、品定めをするようにアステラの全身を見た。
そして第一王子の機嫌は取っているか、勉学や武芸には励んでいるか、一通り質問された後にアステラはようやく質問することを許された。
アステラは礼を述べたり長々と前置きしてから、ようやく本題に入った。
「お母様は以前王宮で陛下の御側室に付く侍女をなさっておりました。その時、北山の国の姫様のお世話されていたと記憶しておりますが、彼女のお話をお伺いしても良いでしょうか」
アステラの母親はアステラが幼い頃、王宮で国王陛下の側室の世話をする侍女という役職についていた。
国王が特別に偉いこの国で、国王の側室となればやっぱり身分はそこらの貴族よりもうんと高く、彼女たちの専属侍女であればこれまたとても名誉なことであった。
しかし夫人は眉をしかめて、あからさまに不機嫌な顔になった。
「ああ、あの冷酷な女の話をしたいというの。お伺いも何も、お前は覚えていないの?」
「覚えていない、と仰いますと?」
「まあ幼い頃だったから忘れていたとしても無理はないのでしょうけれど。お前はあの女の所に良く通っていたわ。それもこれも私がお前を職場に連れて行ってしまったことが原因なのだけれどね」
「わたくしが、北山の姫様に会ったことがあるとお母様は仰るのですか?」
「その通りよ。お前は何が良かったのかあの女に懐いてしまって、いくら折檻しても隠れて会いに行っていたわ。それはもう、あの女を実の母親のように慕っていたわね」
「母親のように……あ」
……何となく思い出して来た。
幼いころからアステラの実の母親である夫人は厳しくて怖かったので、アステラは度々優しい女の人の所へ逃げ込んでいた。
その頃のアステラは幼すぎてその女の人が誰なのか分かっていなかったけれど、まさかゲオルグの母親だったなんて。今初めて知った。
でも確かに彼女はゲオルグを同じ濃いグレーの髪で、ゲオルグのように肌が白くて美しかった。
それに王宮の一番豪華な本殿に部屋を持っていて、いつも綺麗な衣裳を着ていた。
だけど冷酷と噂の北山の国の人だなんて信じられないくらい優しくて、守ってあげなくちゃいけないくらい儚げだった。
北山の国の姫はアステラが訪ねていくとお菓子をくれたり、甘いお茶を淹れてくれたりした。
それから庭に出れば花冠を作ってくれたり、蝶を指に乗せて見せてくれたりもした。
幼いアステラは姫様の膝の上が大好きで、いつも載せてもらって頭を撫でてもらっていた。
姫様は何故か時々怪我をしていたり、綺麗な髪をバッサリと切られていたりして悲しそうな顔をしていたけれど、アステラはいつも元気づけようと姫様に「おねえさん、だいすき!」と伝えていた。
姫様は「貴女のような子がいるのだから、きっと王国は悪い人だけの国では無いのでしょうね」なんて呟いていた。
「思い出したようね。お前は忌々しいことに、あの女の子供である雑種の王子とも仲良くしていたわよ」
「そうだった、でしょうか?」
記憶を辿ってみると、確かにあの優しい女の人の隣にいつも男の子がいた。
アステラは幼くてその子が誰なのかよく分かっていなかったし、むしろ女の人に甘えると邪魔をしてくるので、鬱陶しいなくらいに思っていた。
でも髪を引っ張られてアステラが泣いたときに、姫様が「女の子には優しくしてあげるものよ」と叱ってくれたので、その時から男の子はアステラに優しくしてくれるようになった。
絵本を読んでくれたり、散歩の時に手を引っ張ってくれたりした。
2人で仲良くしていると姫様が嬉しそうだったので、まあこれも悪くないと考えたことを思い出した。
「あの冷酷な女は側室の分際で陛下に気に入られていたから、御正室の反感を買ったわね。それで些細な嫌がらせにも耐えられず、弱って死んだわ」
「では幼いわたくしが姫様に会っていた期間は……」
「あの女が孤立していた頃ね」
知らない国に無理やり連れてこられて、挙句酷い嫌がらせを受けて一人ぼっちになって、北山の姫は相当辛かっただろう。
アステラは心底嫌そうな顔を見せた夫人を見ながら、当時の嫌がらせが酷いものだったのだと直感した。
それなら姫が王国を恨むようにゲオルグに言い聞かせていてもおかしくはない。
「ではやはり、姫様が最後に第三王子に託した言葉も……」
「なに?そんなものがあるの?ならば呪いの言葉に違いないわね。それともあの冷酷な女のことだから、最後まで人の殺し方でも教えていたのではないかしら」
夫人はこれで話は終わりだとばかりに立ち上がった。
そして傍にいた侍女に指示をしてアステラを部屋から外へ追い出した。
目の前で扉を閉められたアステラは、得られた情報を反芻しながら、自室へ戻ることにした。