謀略
「アステラ、少し聞きたい事がある」
「お兄様?!」
アステラが一人自室でリリーナへの手紙を書いている時、突然ノックもせずに扉が開けられた。
鋭い目でそこに立っていたのはアステラの兄、ガレオンだった。
……あのお兄様の顔、なんかいやな予感がする。
アステラはさりげなくリリーナへの手紙をノートの下に隠し、恐る恐る席を立った。
そしてそそくさと部屋から去ろうとする。
しかし扉の前に立つガレオンの横を通るしかなかったアステラは、ガレオンに簡単に腕を掴まれてしまった。
「今日は仕事が早く片付いて少し時間がある。なあ妹よ。久しぶりに茶でも飲んで話そうか」
ガレオンに引き留められた時、辛うじて顔では笑ったアステラだったが、内心では「なんかやばい」の一言だった。
しかし家で父の次に偉い立場である兄の誘いを断る手ごろな言い訳も見つからず、結局、サロンで兄と対面するに至っている。
アステラの目の前のガレオンはメイドに顎で指示をし、注がれた二杯目の紅茶を啜った。
そしてゆっくりゆっくり、首でも締めるように足を組みかえた。
「アステラ、お前はあの雑種の第三王子の領地で炊き出しをしたそうじゃないか」
……やっぱりきたか。
アステラは姿勢を正し、大袈裟なほどゆっくりと微笑を作った。
「ふふ、そうですわね。失敗に終わってしまいましたが」
「失敗?」
ガレオンの先手を取ることで、アステラは話の主導権を握ることに成功した。
ガレオンは侯爵家を継ぐ者として厳しく育てられた血統書付きの貴族だが、アステラも色々と叩きこまれてのしあがった令嬢である。
たとえガレオンの嘘を看破する能力がどれほど高くとも、アステラの嘘を演じ抜く力で上回ってみせる。
「ええ失敗ですわ。わたくし、炊き出しの慈善活動を装って第三王子の領地の偵察を行ってまいりましたの。少しでも第一王子殿下のお役に立てないかと思って」
「なるほど?続けろ」
「はい。勿論警備の厳しい城下街に簡単に入ることは出来ませんでしたわ。でも管理の行き届いていない下街であれば、手始めの情報を収集するには十分でした」
「ほう?ならば第三王子が孤児院を改修したのも、下街の病院に医者を手配したのも知っているか?」
……え。それは知らなかったけど。
しかし動揺を見せたら終わりだと知っているアステラは、大きく頷いた。
「勿論情報は手にしております。第三王子は下街の整備も進めているようですわ」
「そうだ。あの雑種は下街に住居を建て始めていただろう」
「え、ええ」
……建てかけの家、確かにあったような気もするけど、普通にラーメン作ってリリーナちゃんを眺めていただけだからあんまり覚えてないなあ。
頭の中でははてなが飛び交っているアステラだったが、全て知っているという顔を貫いていたので、気を良くしたガレオンはゲオルグが住居を建て始めていることについての考察を話し始めた。
「あの住居の使い道だが、俺はこう睨んでいる。ヒントは、あの雑種が近頃活発に北山の国に使者を出しているらしいことだ」
「北山の国……」
北山の国は、その名の通り殺人的に雪深く、険しい山岳地帯にある国である。
年中寒く、人々は主に狩りをして暮らしている。
厳しい土地柄丈夫な人が多く、狩猟民族らしく好戦的な人が多い。
仲間でも弱れば見捨てるとか、獲物が少ない年は一族が生き残る為に口減らしを平気でするとか、あらかじめ犠牲にする兵を選んでから戦いに臨むとか、恐ろしい事をする国だと噂されている。
ただ明らかなのは、彼らは冷酷な野生動物のようだとも言われて近隣諸侯から孤立気味なので、あまり情報が無いということだ。
……北山の国。ゲームでは、どうだったっけ。
あまり詳しくは語られていなかったような気がするけど……。
ガレオンはアステラが真剣な顔をしているのに満足したらしく、少し身を乗り出して来た。
「まだ北山の国に使者を出している疑惑がある程度だから調べは必要だが、あの雑種、もしかしたら第一王子殿下に先に仕掛ける気なのかもしれん」
「本当ですか?でも表立って仕掛けて来るには、陛下と民を納得させるだけの正義、もしくは全てを黙らせる圧倒的な勝算が必要です。いくら第三王子の騎士団が精鋭揃いと言っても……」
「ああ。第一王子殿下は圧倒的な数の騎士団をお持ちだ。第一王子殿下と第三王子の抱える騎士団の戦力にそこまでの差はないだろうな。現状では」
「現状では……」
「お前も気が付いたようだな。そう、そこで北山の国だ。北山の国は貧しく小さいが、奴らの身体は雪山を一日駆けまわれる程屈強だ。あの雑種は、その北山の国に援軍を要請している疑惑がある。だから下街に建設中の住居は招聘した兵達を住まわせるためのものだと推測される」
「まあ」
……なるほど。突拍子もない考察ってわけでもないのか。
ゲオルグは半分雪山の国の血が入ってる王子だしね。
ガレオンはさも汚らわしいものを呼ぶように雑種と連呼するが、実はゲオルグは北山の国の血が混ざっている王子だ。
父親は国王陛下だが、遠い北山の国から無理やり連れてこられて側室になった姫が母親で、その母親はこの国に馴染めずにゲオルグを生んで数年で溶け落ちるように亡くなった。
純血派の貴族が多いこの国で、混血のゲオルグが冷遇されたエピソードはゲーム中何度か出てきたので知っている。
……ん?待って。ゲオルグの冷遇エピソードと関係した、リリーナちゃんの生死にかかわる分岐があったような。
アステラは口元に指を置き、暫し考えた。
思い返してみると、ゲオルグが北山の国から援護の約束を取り付けて、第一王子と全面戦争を起こしたエピソードも実際ゲームの中にあった。
北山の援軍と共に戦って勝ったゲオルグが、一番武勲を上げた騎士の希望でリリーナを下げ渡したルート。
第一王子に勝てずにリリーナもろとも死んだルート。
そしてそこに至る前に北山の国との交渉がこじれて、人質を出せと言われたゲオルグがリリーナを北山の国に送ったルート。
そして、北山の王がいきなりゲオルグの目の前でリリーナを惨殺した最悪のルート。
北山の国の王の娘と、孫にあたるゲオルグが王国で冷遇されていたことを知った北山の王は、王国人の血を持つリリーナの無残な死体をもって王国に宣戦布告をしたのだ。
……全部バッドエンドじゃん。いや、このゲーム全部バッドエンドだけどさ。
北山の国関連のエピソードは、アステラの記憶に間違いが無ければ、全部が全部速攻でバッドエンドに辿り着く。
しかも暗殺や反乱のようなまだ何とかできそうなものではなくて、王が出て来たり軍が動いたりする。
ゲオルグが北山の国と同盟を結ぼうとすることだけは未然に防ぐしか、リリーナを救う方法がない。
「……うん、絶対に阻止しなきゃ」
ぎゅっとこぶしを握ったアステラの口からは、つい決意の言葉が漏れていた。
そしてその言葉を耳聡く待っていたガレオンは嬉しそうに唇を釣り上げ、アステラの両腕をガシッと掴んだ。
「そうだアステラ。あの雑種が拡充戦力を伴って挙兵することは絶対に阻止すべきだ。お前も協力してくれるな」