観戦
同盟国での任務を終えたリリーナを我先にと出迎え、おかえりなさいの会を三回ほど開催したところで、アステラは第一王子に急に呼び出されることとなった。
リリーナと過ごせて天国のような心地だったのに、急に俗世の現実を突きつけられた気分だ。
「はあ、疲れたあ」
アステラは、クタクタになって王宮の長い廊下を歩いていた。
この日は第一王子・エードリヒに呼びつけられて、さっきまで他の令嬢達と一緒にエードリヒお抱えの騎士団の練習試合を見ていた。
これはエードリヒの騎士を、取り巻きの令嬢や有力な貴族に見せびらかすための催しで、第一王子派の家の娘であるアステラの仕事は王子のご機嫌を取ることだ。
だからその趣旨に合わせて騎士たちの剣技を無理やり褒めちぎってきたのだ。
だけど本当に、心にもないお世辞を言うのは骨が折れる。
エードリヒが目をかけている近衛騎士が試合に出た時にはキャーキャー声援を送り、騎士が勝てばエードリヒを褒め称える。そして騎士が負ければ騎士を責めるを繰り返して、久々に前世のブラック企業を思い出した。
アステラの成功は上司のもので、上司の失敗は全てアステラの責任だったあの頃。
もしかしたら、この世界の騎士と言う職業は結構ブラックなのかもしれない。
……しかも今日は、第一王子が隣に座ってきたんだよね……。
「アステラ、あの騎士が先方部隊の隊長をやってくれている騎士だよ。いい出来栄えだろう。そしてあちらの騎士は先日僕がスカウトしてきた男だ。成果をあげなければ処分しようと考えていたけど、どうやらうまくやっているようだね」
「まあ。殿下は見る目がおありですわね」
「ああ、見てごらん。あの騎士は使えないな。全くとんだ給料泥棒だ。もっと身を粉にして励むようにきつく言っておかないと」
「そ、そうなのですか……」
「アステラ、最近の君は妙に隙があってとても可愛くなった。前は女の癖に優秀過ぎて気味が悪いくらいだったのに。さあ、もう少しこちらへおいで。そんなに離れていてはつまらないだろう」
「え、ええと……」
「アステラ、あの三人の騎士が見えるだろう。あいつらは中々優秀でね。ああ、剣技ではないよ。夜女を喜ばせるのが上手いんだ。まあ僕の次にだけどね」
「は、はあ……」
「そろそろ疲れたかい?僕の部屋で休もうか。珍しい茶葉を仕入れたんだ。きっと君も気に入るよ」
「あの、ちょっとお手洗いに……」
エードリヒはやたらアステラの感想を聞きたがったし、顔を近づけて来るし、挙句の果てに手まで握られそうになったから、何度お手洗いに逃げた事やら。
おかげでトイレが相当近い令嬢だと思われた。
しかもエードリヒのセクハラ攻撃を避けたら避けたで、次はエードリヒ狙いの公爵家の令嬢にトイレ帰りに捕まって、ねちねちと小言を言われた。
「アステラ様ってば、今日は殿下に随分良くしていただいているみたい。でも勘違いしないって言うのなら、今日だけは許してあげますよお」
「お気遣いありがとうございます。でも昨日から体調が悪いので、早めに失礼させていただこうと考えておりますわ」
「勿体なあい。本当にいいんです?殿下はもうそろそろ婚約者をお決めになると思うけれど、もっとアピールしておけばよかったと泣いてももう遅いですよお?」
「ああ、そんな事にはなりませんのでお気遣いなく」
「わかってないですねえ。殿下と結婚出来たら王妃ですよ、王妃。この王宮が貰えて、ドレスも宝石もいっぱい買えて、毎日エステと旅行三昧ですよお」
いつもエードリヒの横にくっついているこの公爵令嬢は、今日エードリヒがアステラの横に座ったことにご機嫌ななめの様子だった。
彼女はエードリヒとの結婚を狙う第一王子派の令嬢の中でも、特にエードリヒに媚を売るのが上手いことで有名だ。
アステラはそんな公爵令嬢の小言を無視しつつ、騎士団の試合を全て見終わる前にお暇させてもらうことにした。
第一王子派の家の娘として生まれてしまったアステラは、パレードや式典、大会などの行事の際はもちろん、舞踏会やパーティでもエードリヒに呼び出されることが多かった。
彼は綺麗にめかしこんだ女性を侍らせて、自分がいかに男として魅力があるのか周囲に知らしめるのが好きなのだ。
だけど好きでもない人間にベタベタされるのはやっぱり気分が悪いので、アステラはいつもひっそり後ろにいて、声をかけられてもツンと澄まして躱していた。
……今日は久しぶりに運悪く第一王子にターゲティングされちゃったけど、今度は何もないといいなあ。
次回呼び出されたときは更に後ろの方で静かにしていようと秘かに心に決め、アステラは溜息を吐いた。
というわけで、とりあえずめちゃくちゃ疲れた。
今やっと帰路に着けているが、あれは過酷な労働の時間だった。
というか、ブラック企業並みのセクハラだった。
……わたしは鬼上司の暴言ならまだ耐えられるけど、セクハラは無理みたい……。
エードリヒが近づけてきた顔や触られた手を思い出してはめそめそしながら、アステラは歩いていた。
しかし王宮建築の素晴らしい意匠や綺麗な庭園を眺めると、少しだけ心が洗われる。
……綺麗だな……。恋人にするならリリーナちゃんやこの庭園の花みたいに、優しくて真っすぐでいい匂いのする人がいいな……。
朗らかに咲く花を見ながらアステラがほうと溜息を吐いた時、丁度前からやってきた人物が一瞬ビタッと止まったように見えた。
足でもつったのだろうかと視線をやると、そこに立っていたのはゲオルグだった。
「あっ!ゲオルグ様!奇遇ですね!どちらにいらっしゃったのですか?」
リリーナが見ている時のように、対反射的に笑顔で駆け寄ってしまう。
しかし今のゲオルグは一人で、リリーナはおろか従者も付けていなかった。
……そっか、リリーナちゃんがいないなら話しかけてもあまり意味ないかも。それに今日は第一王子を持ち上げて疲れたし、好き好き攻撃しないで帰っちゃおうかな。
アステラは駆け寄ったものの、ぺこりとお辞儀だけしてそそくさと立ち去ろうとした。
しかし珍しいことに、ゲオルグがアステラを呼び留めた。
「なんですか?」
「おまもり、の事だが……」
「え?すみません聞き取れませんでした。もう一度」
「いやもういい。なんでもない」
聞き返しても、ゲオルグの表情は相変わらずの冷たい無表情だった。
どうせそこで会話は終わるのだろうかと思われたが、ゲオルグが再び呟いた。
「練習試合の観戦」
「え?」
「楽しそうで何よりだな」
「楽しそう?何がですか?」
質問を返したが、ゲオルグは答えることなくスタスタと去ってしまった。
足が長いから歩くのが早いのか、もうアステラなどいなかったかのように振り返ることも無く、廊下の曲がり角に消えてしまった。
しかし、なにが楽しそうだったというのか。
エードリヒに「もっと近くに来い」とか言われてベタベタ触られて、楽しかった筈がない。
令嬢の運命として笑って王子の機嫌は取らなくてはいけなかったけれど、あれが楽しいと言えるのはエードリヒ狙いの令嬢だけだ。
……まったく。なんだったんだろう。
ゲオルグとの会話はよく分からないまま終わってしまった。
アステラはゲオルグの後ろ姿が消えた曲がり角を見つめ、暫くぼんやりと立っていた。
……しかも楽しそうで何よりって、見てたってことかな。あれだけたくさんの令嬢がいたのに、わたしもいたって分かったのかな。
まあ騎士団の訓練場は開けているから、目が良ければ見えるってことかな。
ゲオルグも、ライバルであるエードリヒの騎士団の具合が気になったのかもしれない。
エードリヒの騎士団は王国でも最大級の規模を持っていて、強いとも有名だ。
しかし、ゲオルグに仕える騎士たちも負けてはいない。
煌びやかで装飾がたくさんついた鎧を着せられ、成果をあげなければ罰を受けるようなエードリヒの騎士と、数では圧倒的に劣っているとはいえ、愛用の武器を身に着けゲオルグのために戦う騎士は勝負をすればどちらが勝つか分からない。
それに実際に自ら戦線に立ち騎士たちと共に戦うことが多いゲオルグと、将として本陣から指揮をするエードリヒは戦いのスタイルそのものが違う。
しかし総合すると、今の二人が持つ武力は拮抗している。
だから二人はきっと、お互いの事を探り合うのに余念が無いのだ。
だがまあ、そういう水面下での行動は余所でやってもらうとして。
とりあえず疲れたので、もう屋敷に帰ろう。
屋敷に着いたら侍女にキュッと冷たいミントティーを淹れてもらって、リリーナからもらった手紙を読みながらベッドの上でゴロゴロするのだ。
今日はエードリヒの相手を頑張ってこなしたし、それくらいのご褒美をもらっても問題ない筈だ。




