煙幕
だが真っ白になって何も見えない煙の中で、飛んできた矢がトンチンカンなところに刺さった。
反乱軍が慌てている声が聞こえる。
突然の煙幕でリリーナ達の姿が消え、もうもうと上がっていく煙によって視界も平衡感覚も奪われたのだから、混乱するのも無理はない。
リリーナたち近衛騎士も戸惑っているくらいなのだ。
だがその場で一人だけ、冷静に動く人物がいた。
しっかりと壁の位置を把握していたゲオルグが、煙が稼いでいる時間を使って壁に穴を開けていたのだ。
しばらく響いていたガンガンと剣が打ち付けられる音が止み、どこからかゲオルグの声が聞こえた。
「出ろ、負傷者からだ」
穴を開け終わったらしいゲオルグは、まるで真っ白な視界でもちゃんと物が見えているかのようにレーデルの腕を鷲掴みにし、穴の中に放り込んだ。
「お前もだ」
レーデルの隣にいたからなのか、次にリリーナがガシッと腕を掴まれた。
またしても心臓が嫌な音を立てて跳ね上がったが、それを無視するようにして、リリーナは逆にゲオルグを穴に押し込んだ。
「殿は私が務めますので」
穴の位置を把握したリリーナは手探りで仲間の騎士を探し当て、次々に穴に押し込んだ。
そして全員を逃がし終わってから、リリーナもその穴から外に出た。
煙はリリーナが逃げ終わるまで守るように持続し、適当に乱射されていた矢がリリーナを掠める事さえなかった。
リリーナ達は、突然の白い煙によって何とか生還したのだった。
しかし感慨にふけっている暇はなく。
殿のリリーナが外に出るとゲオルグと数人の近衛の姿はなかった。
どうしたのかとレーデルに尋ねると、彼は建物の上の階を指さした。
最初は何のことか分からなかったリリーナだが、よく見ると廃墟の壁には丁度アイスピッカーで雪山を登る要領で壁に傷跡が付いていた。
「まさか」
「そ、そのまさか。殿下、登ってった」
「……え」
「上の階に首謀者がいるって分かったから、捕まえて来るってさ」
「私は死ぬ覚悟をしていたばかりで、命からがら助かった今は一息だけでもつきたい気分なのですが、殿下はそうではないのですか……?」
「敵が混乱してるこの好機を逃すわけにはいかねえってよ。あの殿下は俺らが全滅してても隙があったら敵を攻めてたかもな。ま、こんなふうだから殿下は冷酷だとか噂されんだよ」
ハハハッとおかしそうに笑ったレーデルに対してリリーナが何かを言う前に、廃墟の二階で激しい音がした。
そして崩れた壁の破片が落ちて来たかと思ったら、縛り上げられた人間が何人も落ちて来た。
ぶち壊されて開けられた大穴から、まるで餅のように容赦なく投げ落とされる人間の中には、先ほどの首謀者の男もいた。
彼らが怯えた目で見上げる先には、槍を背中に収めたゲオルグが立っていた。
「クソ……。俺等みたいな下層の人間は虐げて、そのバケモンみたいな力で無理矢理黙らせて……弱い者の声なんて誰も聞いちゃくれねえんだ……」
二階からトンと降りてきたゲオルグは、悔しそうに奥歯を噛んだ首謀者の男を一瞥することも無かった。
こうして同盟国の要請通り、反乱の首謀者の身柄は引き渡された。
同盟国はこの成果を大層喜んだ。
彼らいわく、反乱軍は首謀者の男が中々捕まらなかった所為で、排除しても排除しても沸いてくる鼠のようなものだったらしい。
鬱陶しい悩みの種が当面は無くなったということで、同盟国は王国との更なる交易を前向きに検討するとまで言った。
しかしリリーナの気分はすこぶる良くなかった。
焦げ付いたものを飲み込んだような、いつまでも苦い思いが喉元に残る嫌な感覚だ。
リリーナは別室に控えてゲオルグを待っている間に、隣にいたレーデルに話しかけた。
「レーデル、私たちの剣はこんなことに使って良かったのでしょうか」
「殿下が死なねえために使ったんだ。それで十分だろ」
「十分なのでしょうか。私は到底満足とは言えない心持ちですが……」
「全員は救えねえよ。だから俺らはただ殿下が選ぶもんを黙って成し遂げるだけでいいんだよ」
「そうですか。貴方も殿下と同じで、結構冷たい考え方をするのですね……」
「ん、冷たいか?まあ、噂じゃ色々言われてるが、殿下はあれで結構お人よしだぞ」
リリーナが納得のいく答えを得る前に、ゲオルグが帰って来て騎士たちと合流した。
しかし同盟国の宰相がゲオルグを気に入ったらしく、会食にパーティにとゲオルグに話しかけていた。
その間も、ゲオルグは安定の冷たい無表情を貫いていた。
いや、反乱の首謀者の刑の判決がいつ出るかと聞かされた時に一瞬だけ眉をしかめた気はする。
しかしそれも一瞬で、ゲオルグが何を思ったのかはリリーナに想像は出来なかったし、その後にすぐゲオルグが数人の近衛だけを連れて会食に向かったので、そこでゲオルグが何を言ったのかは分からない。
しかし次の日に出会った宰相がゲオルグを忌々しそうに睨んでいたところを見るに、何かが上手くいかなかったのだろう。
しかし一件は取り敢えず幕を閉じ、リリーナ達は同盟国に一泊ののち、帰路に着いた。
「そういえば殿下、あの煙幕は何だったのですか?」
武器をいつでも取り出せる警戒の構えは崩さないものの、馬車にゆったりと揺られていたリリーナは、つい対面に座るゲオルグに疑問を投げかけていた。
しかしゲオルグは微妙に目を逸らしただけで、リリーナの問いかけには答えなかった。
「アステラちゃん、神殿で毎日殿下と皆の無事を祈ってくれていたそうです。だから殿下が内ポケットから何かを出された時に、アステラちゃんのお守りかとも思ったのですが」
「違う」
「そうですか……」
ゲオルグが無慈悲に首を振ったので、リリーナはそれ以上何も言えなかった。
……ゲオルグ殿下のことだから、アステラちゃんが折角手作りしてくれた尊いお守りを捨ててしまったのかもしれません。ああ、なんてこと……。
もし頬を染めたアステラに「ゲオルグ様、お守りを持っていてくれたかな」なんて聞かれたらどう答えればいいのだろう。
本当のことを言って深く傷つくアステラを見たくはないが、大切な親友であるアステラに嘘を吐くことはもっとできない。
こうして生きて帰って再びアステラに会えるのは何よりも楽しみだが、少しだけ気分が重いリリーナなのであった。




