退路
反乱軍など、正式に訓練を受けた兵ではない。
だから騎士が負けるはずがない。
それは騎士と反乱軍、どちらにも共通した認識だった。
だからこそ騎士は油断し、反乱軍は知恵を絞った。
薄暗く、迷路のように入り組んだ廃墟を走る中で、リリーナはやはり違和感を覚えていた。
廊下は長い。そして右へ左へと入り組んでいる。
しかし逃げる残党の足取りは何処か正確で、迷いがないようにも見える。
……もしかして誘導、されているのでしょうか?
リリーナがその疑問を口に出す前に、その答えは出てしまった。
もう少しだけ早く気が付いて突っ込んでいくゲオルグを止めていれば、状況は変わっていたかもしれない。
しかし一行は、もう既に廊下の行き止まりにあった部屋に入ってしまっていた。
部屋の中は薄暗く、何もない。
しかも追っていた筈の残党がいつの間にか目の前から姿を消している。
ゲオルグがようやく立ち止まり、背仲から槍をすらりと引き抜いて構えた。
異常な雰囲気の中、リリーナ達も武器を構える。
しかし敵の姿もまだ見えないのに、リリーナの横にいた騎士の一人が突然「ギャッ」と声を上げた。
「どうしましたか?!」
突然こけて蹲った騎士の肩を見れば、鉄の大針が深々と刺さっている。
しかしリリーナが兵士の傷の具合をよく見る前に、ひゅんひゅんと風を切る音が聞こえた。
……クロスボウによる待ち伏せですね。まだ敵の居所が分かっていないのに……!
クロスボウの矢がリリーナ達に向かって飛んで来ていることは音で分かる。
しかし視界が矢を捉え切れていない。
何処から飛んで来ている?このままでは串刺しだ。
どうすれば。
考えがまとまる前に、タイムオーバーだった。
リリーナは咄嗟に部屋の真ん中で蹲った騎士を庇って構えた。
せめて急所に攻撃されることは避けなければ。
しかし、怪我を覚悟したリリーナの身体を貫いた矢は一つも無かった。
キン!キン!キン!
と金属が幾つも弾かれた音がした。
リリーナ達の前に、一つの長い槍を持った影が立っている。
家臣に向けて乱射された矢を全て薙ぎ払ったのは、ゲオルグだった。
「大丈夫か」
振り向いたゲオルグはやっぱり冷たい無表情だった。
誰かさんが考え無しに突っ込んだ所為だと思いつつも、その振りかえった顔がやけにかっこよく見えて、リリーナの心臓がドクンと動いた。
なんとなく既視感のある強制的な胸の高鳴り。
……時々感じます。この逃げられないよう引きずり込むような、嫌な感覚……。まあ、殿下はアステラちゃんの大切な人なので、私がこの感覚に身を任せることはありませんが。
しかしリリーナが気を取り直す前に、若い男の叫び声が部屋に響いた。
「この国がどれだけ腐敗しているか分かってねえ余所者が!お前らなんかに俺たちの革命は止められねえ。腹すかせた家族の為にも志半ばで倒れた仲間の為にも、俺達は進むって決めたんだ!邪魔すんなら容赦はできねえ!」
首謀者の男の合図を皮切りに、渾身のクロスボウの矢が放たれた。
ひゅんひゅんひゅん!と先ほどとは比べ物にならない程の音が淀んだ部屋の空気を切り裂く。
「っ!」
リリーナは音を立てて迫ってくる矢の雨の向こうに、ボロ雑巾のようなの姿で、しかし目を爛々と光らせた反乱の首謀者の姿を見た。
首謀者とその仲間は部屋の高い天井に穴をあけ、矢が迫るリリーナ達を見下ろしている。
この同盟国は、大陸でも王国と並んでとても豊かな国だとされているが、その実、貧富の差と差別が王国以上に激しい国だった。
上位階級の者は大陸全土で見ても一目置かれるような大金持ちなのに対して、下層階級の者たちは日々の食べ物にも困窮し、奴隷同然の扱いを受けているという。
そんなギリギリの状況の中で抗おうと決めた反乱軍は、全員が鬼気迫る顔をしていた。
どんなに強い相手だろうと、死んでも抗ってやる。そんな覚悟がある人間が技術も能力も遥かに優れた騎士たちを追い詰めている。
彼らは自分と仲間が選んだ道を進み続けるために、ここでリリーナたちを仕留めるつもりだ。
……でも、ここで死ねないのは私も同じ……。
申し訳ありません、私は最低でも、アステラちゃんの恋が叶うまで生きていたいのです!そして欲を言うならアステラちゃんの結婚式にも参加して、新婚旅行を見送って、新居にお邪魔してアステラちゃんの子供も見たいのです!
リリーナはゲオルグを守りながら、降ってくる矢の間を縫うように走り、槍で受け止め、腕の防具で弾いた。
しかし放たれた多数の矢を全て避け切ることは出来ず、肩と腕に傷を負ってしまった。
他の騎士たちも防具で防いでいたようだったが、やはり被害を押さえることは出来なかったようだった。
何人かの騎士は防具の間に矢が刺さっていて、膝をついて血を流していた。
「レーデル、大丈夫ですか?!」
「ああ、これくらいたいしたことねえよ」
リリーナは近衛の中でも一番歳の近い若い騎士・レーデルの太ももに矢が刺さっているのを発見し、ぎゅっと眉を寄せた。
「次は俺達全員で矢を放つ。矢の雨からはお前らも流石に逃げても避けられないだろう!!」
リリーナ達を見下ろして、首謀者の男が天上の穴から叫んだ。
狭い空間で逃げ場も無く、飛び道具に狙われている状況は普通に最悪だ。
リリーナ達は反撃も何もできないまま、弄ばれるように的になるだけなのだから。
「撤退いたしましょう」
リリーナは負傷したレーデルに肩を貸しながら、ゲオルグに進言した。
しかしゲオルグは何も言わなかった。
この期に及んでまだ突っ込むとか言うつもりなのかとも思ったが、リリーナはその真意にハッと気が付いた。
退路がなくなっている。
部屋に入る時に使った扉はピタリと閉じられており、先に見えるもう一つの扉も頑丈そうだ。
周到にリリーナ達をおびき寄せた反乱軍が、簡単に扉を開けて逃がしてくれるはずが無いのだ。
「退路が無いなら作ればいいが、その前に蜂の巣か」
反乱軍の鋭い矢の先が一斉に狙いを定めた、こんな状況でもゲオルグは顔色一つ変えなかったが、その声には少しだけ覇気が無かった。
ゲオルグであれば、この廃墟の壁を壊して脱出用の穴を作ることは可能だろう。
だがいくら何でも、一瞬で穴をあけることは難しい。せめて何度かは剣を打ち付けなければ、いくら廃墟の壁といえど壊れない。
しかし飛んでくる矢の前で一瞬以上の時を悠長に使っていれば、穴をあけ終わる前に全員串刺しになってしまう。
ならばリリーナが取るべき行動は一つしかない。
「では私たちが盾になりましょう。殿下はその間に穴を開けてお逃げください」
「それしかねえか。安心しろ、殿下が逃げ終わるまで俺たちは倒れねえからよ」
リリーナに支えられていた身体を起こしてその場にしっかりと立ったレーデルも、リリーナに賛同して頷いた。
他の近衛たちも二人に倣い、ゲオルグを守る体制を取った。
「アステラちゃん、私は帰れないかもしれません。ごめんなさい。でもゲオルグ殿下だけはきっと貴女の元に返してみせます」
リリーナは手近にあった木箱の破片を盾のように構えたが、随分と心もとない。
まあ、この簡易盾が使い物にならなくなれば、その身を使ってでも矢を防げばいいだけの事。
リリーナは腰に付けていたアステラのお守り袋をぎゅっと握りこむと、最後に祈った。
お守りの中には、アステラの作った高性能な薬や包帯などの7種類医療道具が山盛り入っていた。
それらはすべてこれまでの殲滅作戦中に負傷した騎士たちに分け与えたので、リリーナの手元にはもう残っていない。
アステラはみんなが無事に帰って来られるようにと祈ってくれているはずだから、そうしたことを彼女はきっと喜んでくれているに違いない。
でも、アステラの喜んだ顔はこの目で見られないかもしれないけれど。
……アステラちゃん、貴女は幸せになってね。
もう矢はすぐ目の前に迫っている。
「殿下、早く壁を壊して脱出を!!」
リリーナ達は覚悟を決めて叫んだが、ゲオルグが壁に向かって剣を振り上げた様子はない。
壁の壊れる音もしない。
ちゃんと逃走する気配もない。
そればかりかゲオルグは内ポケットをゴソゴソやって、何か小さなものを取り出していた。
見覚えのない、小さな粒のようなもの。それをぎゅっと握り潰し、ゲオルグは叫んだ。
「全員散開、伏せろ!」
ゲオルグの声がしたかと思えばリリーナ達は乱暴に頭や肩が押されて散り散りになり、地面に転がったような姿勢を取ることになった。
そして視界が真っ白に染まる。
何が起こったのか、リリーナには分からなかった。




