リリーナ
レイユース家のアステラ嬢が神殿に通っている。
祈る姿はいつにも増して美しいな。
だが彼女はあんなに敬虔な信者だったか?
無事を祈る方陣の上にいるようだが、一体誰の為に祈っている?
そんな話が囁かれ流れ始め、数週間が経とうとしていた。
王宮の敷地内にある、この国最大の神殿に毎日通っているのだから、否が応でもアステラは色々な貴族たちに姿を見られてしまっていた。
……リリーナちゃんの無事を祈ってるんだもん。別に姿を見られようが噂をされようが関係ないけど。
誰に姿を見られようと構わない。
しかし、レイユース侯爵家の者であれば少々状況は変わってくる。
「アステラ。神殿に通っているようだが、お前はそんなに熱心な信徒だったか?」
「いいえ。でも神殿は熱心な信徒でなくても通えますわ、お兄様」
「それにアステラ、お前は最近どこかおかしいな?」
「おかしいですか?」
「ああ。俺は次の侯爵家を担う使命感をお前と分かち合って来たのに、最近のお前は情勢の話をめっきりしなくなった」
「あら、そうでしたか?」
「そうだ。それに大量の贈り物を買い込んだり、誰かにせっせと手紙を送っているようだ」
神殿から帰ってきたばかりのアステラを玄関広間で待っていたのは、兄のガレオンだった。
ガレオンは近頃のアステラが、以前と微妙に違うことを何となく感づいているようでもあった。
リリーナやゲオルグに贈るための大量のプレゼントを買い込んでいる事や、手紙を書きまくっていることもバレている。
それにアステラは以前とは違って、どうしたら侯爵家を盛り立てられるかといった話もしなくなったし、どうしたら第一王子が王位につけるかという議論だってガレオンと一言も交わしていない。
……だってお兄様と話す時間があったら、少しでもリリーナちゃんに会った方が有意義だし。
貴族の固い考えを持っているガレオンにそんなことは口が裂けても言えないので、アステラは笑ってごまかした。
「ふふ、お兄様はわたくし無しでも十分に次代の侯爵家を担う器ですわ。お兄様はお忙しそうですので失礼しますわね」
……
アステラが毎日神殿に通ってリリーナの無事を祈っていた頃。
リリーナは今日も率先して先頭に立つゲオルグの後に付いて、反乱軍の掃討作戦を行っていた。
リリーナのその背には、しっかりと愛用の槍が背負われている。
父親に無理を言って武術を始めたけれど、リリーナはこうして戦力として重用されるまでに成長した。
リリーナが武術を習いたいと思ったのは、幼いころ王都へ行ったことがきっかけだ。
貧乏な田舎の子爵家の娘であるリリーナが初めて訪れた王都は何もかもが豪華で、何もかもが輝いていた。
綺麗な建物やカラフルなお店、お洒落な人々を横目にキョロキョロしながら、王宮に呼ばれた父親についていった。
父親が王宮で手続きをしている間、リリーナは大人しく待合室で待っていた。
そこからは丁度、王宮騎士団の訓練場が見えた。
……かっこいい騎士さんたちがいます。
よろいが、ピカピカです。
けんも、まっすぐです。
わたしのりょうちではあんなに綺麗な武器をもっている人なんていませんね。
騎士たちは訓練場に整列し、何かを待っているようだった。
見ていると、訓練場にぞろぞろとリリーナと同じくらいの歳の子供たちが現れた。
どうやら今日は、王宮騎士団に高位貴族の令息令嬢たちが武術の指導を受ける特別な日だったらしい。
王宮騎士団の精鋭たちに手取足取り稽古をつけてもらえるなんて、高位貴族の嗜みはすごい。
リリーナのような殆ど平民と変わらないような貴族の娘では、絶対に体験できないことだ。
リリーナが黙って見ていると、一人の女の子が目に留まった。
人形のように綺麗な子で、銀の髪と意志の強そうな薄紫の瞳が印象的だった。
その女の子は、後ろに控えていた侍女から木製の槍を受け取って担当の騎士に挨拶をした。
「レイユース侯爵家が長女アステラでございます。本日はご指導よろしくお願いいたします」
綺麗な礼をしたその女の子は、まるで蝶のように優雅で蜂のように鋭い槍捌きを披露した。
小さいながらも相手の騎士を翻弄し、踊って歌うように宙を舞うその姿は幼いリリーナの心を鷲掴みにした。
……すごい。
きれい。
かっこいい。
その時のリリーナは息をするのを忘れたほどだった。
それはたとえば、何度も繰り返しやり直した既視感のある風景の中に、初めて新しいものを見たような、何かが大きく音を立てて違う方向へ舵を切ったような、そんな気持ちだった。
とにかく、突如としてリリーナの人生に現れたその女の子は、リリーナの人生を変えたのだった。
それからその日見た女の子への憧れを胸に、幼いリリーナは領地の農作業や鉱石堀の傍らで槍の訓練に励んだ。
リリーナが使ったのはあの女の子が使っていたような上等な木の槍ではなくて、中古の棒きれのような槍だったし、防具も粗末で訓練場なんてものも無かった。
そして一人でやる訓練に限界が来たと感じた時には、父親に頼み込んで老騎士の元へ稽古をつけに行かせてもらった。
お金も時間も無い父親に、リリーナが初めて言った我儘だった。
「あの女の子のようになりたい」という思いは、普段忍耐強く聞き分けの良いリリーナを、それほどまでに突き動かしたのだ。
……あの子のこと、この間にお知らせで読みました。私と同じ歳なのに、錬金術の発表で学術大会で賞を取ったのだとか。
それに社交界デビューしたばかりなのに美しすぎて、もうみんなに一目置かれているらしいです。
本当ならリリーナは何もない田舎の領地でせっせと仕事をして両親を助けて、寿命が来たら死ぬだけだった。
リリーナもそれでいいと思っていた。
だけどあの女の子への憧れだけはいつまでも眩しく胸に残っていて、リリーナは槍を振り続けた。
あの子のように賢くないしダサい田舎者だけど、あの子との唯一で最初の繋がりだった槍を止める選択肢は、リリーナにはなかった。
そしてリリーナが大きくなった時、第三王子が王位継承争いに加わることとなり、リリーナの家は何となく第三王子についた。
程なくして、第三王子は各家との繋がりを強めるため、田舎の出身でも城の使用人として取り立て始めたので、リリーナは第三王子の城の侍女になった。
畑仕事をして一生を終えるかと思っていたが、大きな転機だった。
そして王都へ引っ越してこれただけでなく、憧れの女の子と友達になれたという夢のような出来事を経験して今に至る。
だが実は、侍女として雇用されたもののリリーナの侍女としての評価は芳しくなく、第三王子には一度田舎に帰れと言われている。
お茶は淹れられるけど美味しくないし、皿は割らないがフォークとスプーンの位置が逆。
来客の席次を間違えるし、コルセットをつけてヒールを履くと上手く歩くことができない。
王族に仕える人間は大抵高位貴族で厳しい教育を受けた者ばかりなので、リリーナの小さなミスは目立ってしまったのだ。
しかし、槍の腕を見込まれて第三王子を守る近衛になることで、首の皮一枚繋がった。
侍女に見せかけて相手の油断を誘って奇襲も出来るうえに、常に身辺に張り付いていてもおかしくないので、いざとなれば身を挺してでも王子を守りやすい。
磨いてきた槍捌きと女性にしては高い身長も相まって、その辺の騎士にも負けないほどの実力があるリリーナは重宝された。
……それもこれも、アステラちゃんのおかげですね。アステラちゃんが私の人生を変えてくれたのです。
しかし夢以上に幸せな毎日を送るリリーナにも、心がずんと暗くなる現実がある。
それはアステラの恋の行方のことだ。
さらに今日に限ったことで言えば、彼女が好きな人の為に作ったお守りがどこにも見当たらない事が、リリーナの気持ちを悲しくさせている。
何度も確認するように前を歩くゲオルグをちらりと見るが、はためくマントにも、鈍く光る鎧にも、アステラが渡したお守りがついていない。
あの綺麗で可愛くて明るくて真っすぐで賢くて勇気ある素敵なアステラにあんなに好きだと言ってもらえているというのに、この男はどこまで罰当たりなのか。
アステラが一生懸命手作りしてくれたお守りを、祀って崇めて有難く身に付けないなんて、この男は本当にどうかしている。
恋する女の子の想いを、こんなに冷たく踏みにじるなんて。冷酷すぎる。
……私は近衛といえど身分も低いですし、二人からすれば部外者なので、口出しはそうそう出来ないのが口惜しい限りです……。
リリーナは毎日のように無事を確認する手紙を送ってくれるアステラのことを思い、ハアと溜息を吐いた。
「残党発見!」
突然、先行していた斥候の声が聞こえ、ゲオルグ一行にピリッと緊張が走った。
反乱軍の残党の中には、まだ逃走中の首謀者も含まれている。
今回斥候が発見した彼らの場所は、市街地を突っ切った先のスラムにある廃墟の一角らしい。
ゲオルグと、リリーナを含む数人の近衛と騎士だけで構成された小隊は移動を開始した。
というか、ゲオルグが飛び出したのでリリーナたちも慌てて走り、数分もかからず目的地に着いた。
薄汚れた廃墟は想像以上に大きく、人の気配がやけにしない。
少し怪しい。
……嫌な予感がしますね。罠かもしれません。
「ゲオルグ殿下、ここは慎重にいたしましょう」
「突っ込むぞ」
リリーナが「慎重に」と背中のランスを構えた時、ゲオルグはもう既に飛び出していた。
これにはリリーナだけでなく、他の近衛たちも口をあんぐり開けるしかなかった。
普段クールで冷たくて何も喋らないといっていい程に無口なのに、戦いの場になると真っ先に突っ込んでいく。
見た目は鋭く切れ者の印象さえあるのに、実際のゲオルグはかなりゴリゴリの武闘派であることは最近知ったリリーナである。
「ほらな、俺が言った通り殿下には首輪が必要だっただろ」
「仕方がない、続きますよ」
「殿下は少々自分の命を軽く見ている節がありますからなあ」
リリーナ以外の近衛たちはゲオルグとの付き合いが長い者ばかりで、「またか」と肩をすくめてゲオルグに続いた。
リリーナも、ゲオルグにもしもの事があったらアステラが悲しむと思い直し、その後に続いた。
ゲオルグの近衛たちはまだ楽観的だった。
相手はただの反乱軍の残党。
人数もそう残っている訳ではない。
百戦錬磨の王国の精鋭騎士の相手ではない。
さっさと首謀者を捕まえて、帰還しよう。
リリーナ達は飛び込んだ廃墟で、怯えて逃げ出した数人の反乱軍の残党を見つけた。
彼らはもう走るのがやっとなほどにボロボロだ。
きっと嫌になるほど簡単に捕まってしまう筈だ。
しかしリリーナは、廃墟の中で見つけた数人の反乱軍残党を追って走りながらも、いやな予感を拭えないでいた。




