記憶
「ゲオルグ様、今日もかっこいいですね!アイスブルーの瞳に深い紺のマントが良く似合っていて、まるで美術品のようです!大好きです!」
「馬鹿にするのも大概にしろ。死にたいか」
アステラは満面の笑顔で話しかけたが、相手のゲオルグには凍死しそうなほど冷たい目でぎろりと睨まれた。
顔には笑顔を張り付けていたアステラだが、心の中ではブルブル震えて泣きそうになっていた。
……やっぱり、殺されちゃうかも。
ゲオルグの城の一番小さな客室の中。
半分押しかけのような状態で、アステラが無理やり取り付けた面会の時間。
辛うじて笑顔をキープしているアステラと、早く出て行けとばかりに腕を組み直したゲオルグ。
告白をしても勿論、快い返事が返ってくることは無く、何を話しかけても大抵無視か威嚇が返ってくるだけで聞いてもらえない。
そしてアステラが持参したお菓子は当たり前のように捨てられて、お茶も碌に出してもらえない。
傍から見れば、ただのしつこい女がコテンパンに振られているだけの意味不明な時間だ。
だけど、アステラは嫌がられてもこれを成し遂げなければいけなかった。
どうしてもこれを続けなければならない、深い訳があるからだ。
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時は数か月前にさかのぼる。
その日アステラが参加していたのは、とある銘家のご令嬢が開いたお茶会だった。
その茶会の席で、アステラはテラスに出されたテーブルの角に座り、何人かの令嬢に囲まれていた。
「アステラ様、先日の第一王子派の会食では第一王子殿下とお話されていましたね。何を話されていたのです?」
「ええ、美味しいお食事についてと、あとは王宮の庭園についてだったかしら」
「本当にそれだけですか?」
「ええ、それだけです」
「殿下が随分楽しそうなご様子でしたから下町の漫才でも披露されていたのかと思いましたが、違ったのですね」
「まあ。ふふ」
いかにも第一王子を狙っていそうな令嬢のひがみに、アステラは優雅に微笑んだ。
令嬢はアステラが詳細を隠していると思ったようだが、本当に面白い話などはしていない。
だけどまあ、令嬢が過大に勘違いしてくれる分には、これ以上否定しないでそのままにしておこう。
アステラが第一王子に特別視されているらしいと他の令嬢に思われるのは、令嬢としての格が上がるからである。
貴族令嬢というものは家名に泥を塗らないように、面倒くさい教育を受けて育ってきた者が殆どだ。
家の為に誰よりも秀でていないといけないし、パーティでは全力で見栄を張って一番目立たなくてはいけないし、家の為に少しでもいい男から見染められなければいけない。
そしてライバルたちを日夜研究し、牽制し、マウントを取り、優雅に微笑んで着飾ったドレスの下で、どろどろの足の引っ張り合いをするのである。
だから令嬢にとって重要な情報源であるお茶会は、同時に戦いの場でもある。
先日の舞踏会で一番注目を集めていたのは誰か。
良い縁談の話が一番多くあるのは誰か。
一番流行の仕立て屋は何処か。
家同士の権力バランスはどうなっているのか。
それから、次の王位を継ぐのは誰か。
そんなホットな話題に、嘘と見栄が忙しく飛び交っている。
しかもこのお茶会には、アステラの家と対立関係の派閥に属する家の令嬢が何人か参加しているから、そちらとも上手くやっていかなくてはならない。
「でも実際のところ、アステラ様は第一王子の事どう思っているんですか?……あ、お茶会の席ですから、カジュアルに恋の話でもしましょうよ。女の子同士の会話なんですから、第三王子側で共有したりなんて野暮なことはしませんし」
「ふふ、もちろんですわ。でも第一王子殿下はお仕えすべきお方であって、わたくしはそのように考えたことは無いのですよ」
「えー、本当ですか?私は第三王子殿下と結婚したら……って考えたことありますけど」
「そうなのですか?」
「はい。でもナシって結論になっちゃいました。殿下のお顔はとても好みなんですけど、ちょっと性格が冷たすぎるっていうか、怖いんですよねー。あ、振られて諦めたとかではないですからね!」
次は対立関係にある家の令嬢に話しかけられたアステラだったが、こちらも優雅に笑って相槌を打った。
令嬢が話題に出した第三王子は大きな催し物やパーティで遠目に見た事があるくらいだが、確かに無表情で冷たい印象だった。
それと戦場でも冷酷で、残酷な人なんて噂もある。
まあ、それでも顔がいいので人気がないこともないのか狙っている令嬢はいるようだが、第三王子の浮いた話は今までに聞いたことは無かった。
……まあ、第三王子なんてそれこそ、わたくしには全然関係ありませんけれど。
こうして一通り令嬢たちと話したあと、アステラは席を立って移動した。
少し話し疲れたのだ。
目立つアステラは直ぐに人に囲まれてしまうため、テラスから少し離れた中庭へと歩を進めた。
今回の茶会のホストの令嬢の屋敷の庭は中々広くて、中庭には白いベンチまである。
そこでアステラは一番近くにあったベンチの端に座って一息ついた。
厳しい両親から貴族令嬢はこうあるべきと教育を受けてきて、この貴族社会で勝ち組とも言えるレベルにまで上り詰めたアステラだが、一人になるといつも考えてしまう。
……わたくしは貴族令嬢である筈なのに、それは本当のわたくしではないのではと思ってしまうのよね。
虚しいような、何かを忘れているような、変な違和感を感じる。
普通の令嬢ならば自分磨きに没頭して、宝石やドレスで着飾って喜んで、家の為に位の高い男性と結婚したら満足の筈なのに、アステラは「その常識自体が何かおかしいような」と考えてしまうのだ。
……それにわたくしには、何かもっと別の大切なものがあったような気がするの。
お茶会やドレスや宝石なんかよりも心躍るもの。
そんなものがあったような気がするけれど、やっぱり何も思い出せない。
「まあこの違和感はいつものことですもの。もう考えるのはよしましょう」
アステラが一人でぽつりとつぶやいた時、ふわりと春の風が庭園を横切った。
手入れされた花が優雅にざわめいて、遠くで王都の鐘が鳴った。
その時だ。
アステラは遠慮がちな声に話しかけられた。
「あの、こんにちは」
声のする方に振り向いてそこに立っていた人物の顔を見た瞬間、アステラはようやく全て思い出すこととなる。
前世の記憶も、本当の自分も、大好きだったものも。