第三特別資料室 その3
本日三本目
グラハム大神殿はガイア教の総本山であり、巨大な要塞でもあった。城壁に囲まれた神殿の総面積は2・5平方キロメートルに及ぶ。城壁内で暮らす人の数は6000人以上、そのほとんどが神官や神殿騎士団だ。
クソ広い敷地を俺は10分以上も歩いて、ようやく枢機卿の執務室までやってきた。
「第三特別資料室のクロード・クロウ司祭です。レギア枢機卿に呼ばれてまいりました」
入り口で名前と身分を告げるとすぐに室内へと通された。
レギア枢機卿は痩せて背の高い初老の男だった。高位聖職者に多いギトギトと脂ぎったタイプではなく、自分にも他者にも厳しい人間である。かといって信仰に篤く、慈悲の心に溢れているというわけでもない。いわゆる権力に取りつかれた上級国民なのだ。
「お久しぶりです、枢機卿」
「ああ、掛けたまえ、クロウ司祭」
枢機卿はにこりともしないで俺に椅子を勧めてきた。彼と会うのは初めてではない。レギア枢機卿は俺の所属する特殊史料編纂室とも密接に関わっている。特殊史料編纂室は教皇直属の組織ということにはなっているが、彼の命令で働いたことも何度かはあるのだ。
「聖百合十字騎士団といっしょにアスタルテへ行ってくれ」
枢機卿は余計なおしゃべりなどせずに、いきなり本題を切り出してきた。アスタルテは東の国境線であり、隣国オスマルテ帝国との戦場のことだ。
「どういうことでしょうか、退魔師の仕事とは思えませんが?」
「今回は特別だ。退魔師というよりは護衛の仕事を君に頼みたい」
「護衛ですか……」
聖百合十字騎士団は貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだけで構成されたお飾りの騎士団だ。ただ、顔と性格がいいのばかりそろっていて、民衆の支持は絶大である。言ってみれば戦場のマスコットというかアイドル的存在の騎士団なのだ。当然ながら戦闘力は異様に低く、実戦で使えるような集団ではない。それの護衛? 俺は軽いめまいを覚えた。
「あー、私はヴァンパイア討伐の後始末が残っておりまして……」
「その任務なら退魔庁に引き継がせる。君はこちらに専念してくれ」
断れる雰囲気ではなさそうだ。そう思いつつも俺は食い下がる。無能集団の子守りをしながら危険な戦場に行くなどまっぴらだった。
「どうして聖百合十字騎士団をアスタルテへ派遣するのですか?」
「もちろん士気高揚のためさ。彼らを組織したのはそのためだ」
そうか、聖百合十字騎士団はレギア枢機卿の肝いりで結成されたのだったな。
「占領地における住民の改宗に彼らを利用したいとも考えている」
優しい騎士のお兄ちゃんお姉ちゃんを使って若い異教徒を改宗させる腹積もりもあるようだ。俺みたいなやさぐれ退魔師が説教するより効果は高いだろう。
「しかし、どうして俺なんですか? 護衛というのなら神殿の騎士団をつけてやった方が早いでしょう?」
「騎士団が騎士団に護衛されるのかね? それでは体裁が悪すぎる。出来損ないのジョークだよ」
それは確かにそうか。聖百合十字騎士団のイメージダウンにもつながってしまいそうだ。
「それに聖百合十字騎士団にだってプライドというものがあるだろう。それを傷つけたくない。だから君には身分を隠して護衛を頼みたいのだ」
「はあ……、でもどうします? 従軍神官として潜り込めばいいのですか?」
戦場のような過酷な場所でこそ人には祈りが必要になる。軍に神官が派遣されるのはよくあることだ。
「いや、今回は酒保商人として行ってくれ」
「酒保商人として!?」
酒保商人とは軍に酒や食料、装備などを販売する商人のことだ。前線へ行くので危険ではあるが、その分の見返りも望める。中には略奪品の買い取りをしたり、娼婦を用意したりする酒保商人もいるが、礼儀正しい聖百合十字騎士団が相手ではそれはなさそうだ。
「しかし、酒保商人とはねえ……」
てっきり従軍神官か騎士に偽装していくと思っていたのだが、これは意外だった。
「その方が君の力を十全に利用できると思ったからだよ。君の特殊能力『カクテル』をね」
なるほど、坊ちゃん嬢ちゃんを陰ながら支えるには俺のカクテルがうってつけか。カクテルで普通の食事や酒に魔法効果のある物を混ぜて、騎士団の力をボトムアップすることもできる。ただ、カクテルを作るには俺の魔力が必要になるので無尽蔵に作り出すことはできない。
「聖百合十字騎士団の規模は500人くらいでしたよね?」
「ああ、だが正騎士は100人弱だよ。残りは従者たちだ。騎士の面倒だけ見てくれればいい」
100人くらいなら何とかなるか。だが――。
「私を護衛に着けるということは、聖百合十字騎士団が襲われるという情報がある、ということですよね?」
枢機卿は悪びれもせずに頷く。
「こちらの面目を潰すためにオスマルテの特殊部隊が襲ってくるようだ。イアーハンという部隊のことは知っているかね?」
「暗殺専門の小隊じゃないですか」
予想以上に厄介な仕事になりそうだなあ……。なんとか他の奴に押し付ける方法はないだろうか? そんなことを考えている俺に枢機卿は語りかけた。
「私はこの任務を重要視している。そこで、君が無事に騎士団を送り届けてくれたら特別待遇を与えてもいいと考えているのだよ」
「特別待遇ですか?」
「君は南のザカレロへ行きたいそうじゃないか?」
「えっ!?」
そう、俺はずっと前から転属願いを申し出ていた。危険が隣り合わせの退魔師などやめて、南国の神殿でのんびり暮らしたいと考えてきたのだ。ザカレロで薄着の女たちを眺めながら、気楽に説教師をして暮らすのが夢なのである。
向こうでは神官はかなりモテるらしい。若い後家さんの相談相手にでもなれば、入れ食い状態で大人の関係になれるという話だ。南国の太陽が人の心を開放的にするのだろう。太陽神ラマナに栄光あれ!
「今回の任務を無事遂行できたら、君の転属願いを受理してもいいと思っている」
「わかりました。ただ、助手は連れていきますよ」
「教官として面倒を見たリーン・リーンだね。君の愛人という噂もあるが……」
「とんでもない誤解です」
こういうことがあるから、部隊内での恋愛は慎まなければならない。
「それから、人手が足りません。完全に守り切るのは不可能ですよ。それは予めご了承ください」
「多少の死者には目をつむるさ。それに、血が流れることは悪いことばかりじゃない。殉教者のいない騎士団など軽く見られるからな」
そこで初めて枢機卿は薄く笑った。その態度は気に食わなかったが、俺は何も言わずに執務室を後にする。こいつらと何かを話し合っても無駄なことはよくわかっていたから。