疫病の村 その3
表に出ると小さな女の子が地面に倒れているのが目についた。粗末な服を着て、汚れた顔には赤黒い斑点が無数に浮かんでいる。年齢は12歳くらいだろうか、親がどこにいるのかもわからない。弱弱しくだが、呼吸は途切れていない。まだ助けることはできそうだ。
「さあ、もう大丈夫だぞ。この薬を飲むんだ」
少女を抱き上げて、できたばかりの特効薬を飲ませていく。息をするのさえ苦しそうだったが、少女は少しずつ薬を飲み込んだ。
「偉いぞ、ゆっくりでいいから全部飲もうな」
薬の効果は劇的で、すぐに少女の呼吸は穏やかになった。
「名前は?」
「ノーマ」
「家はどこだ?」
ノーマはまだ力が入らない手で指し示した。
「よし、運んでやるからな」
抱き上げたノーマは悲しくなるほどに軽い。元気になったら何か食べさせてやらないといけないな。体力がつくようなお粥を食べさせてやるとしよう。カクテルで作る俺のおかゆは体力だけじゃなく、腕力や素早さ、魔力もアップするからね。
ノーマがかすれる声で訊いてきた。
「お母さんとお父さんにもお薬をくれるの?」
「もちろんさ、俺たち聖百合十字騎士団はそのためにきたんだよ」
俺は荷物とノーマを担いで、治療を急いだ。
特効薬は目覚ましい効果を発揮した。投薬してから二時間で、寝たきりの病人は立ち上がれるほどに回復している。治癒魔法ほどではないにしろ劇的な効果で、聖百合十字騎士団の騎士たちも驚きを隠せないでいた。
「素晴らしいですわ、クロウ殿」
俺の横に立つミリアも屈託のない笑顔をで喜んでいる。以前よりちょっと立ち位置が近い気がするけど、気のせいか? 肩と肩が触れ合うほどに近い……。
「みんなのお役に立てて良かったです」
「お役に立てたなんてものじゃありませんよ。今日いちばんの功労者はクロウ殿ですから。さあ、夕飯にしましょう。クロウ殿も私と一緒に……」
「しかし……」
酒保商人と騎士団長では身分が違うから、本来ならそんなことは許されない。
「良いではないですか。皆もクロウ殿がただ者ではないことはもうわかっています。たとえそうじゃなくてもこんな折です」
ミリアはニコニコと俺を夕飯の席に誘うと、他の騎士たちも笑顔で同意した。
「我々は共に疫病に立ち向かった戦友ではないですか」
「遠慮されることなどなにもありません。さあ、クロウ殿」
さすがは善人騎士団の面々だ。身分など考えずに、丁寧に俺に接してくれる。
「それでは、今日だけは遠慮せずにご馳走になります」
そう言うと、30名の騎士たちは喜んで俺を仲間に迎えてくれた。
翌朝は雲一つない快晴で、聖百合十字騎士団は清々しい青空の下で、村人たちの見送りを受けていた。
「お兄ちゃん、明日も来てね」
すっかり元気になったノーマが俺を見上げてにっこりと微笑む。昨日は死にかけていたのだけど、俺が薬を飲ませたら、三時間も経たないうちに走り回っていた。人懐っこい子で、元気になってからはずっと俺の治療を手伝ってくれていた。
「明日は無理かなぁ。いつかまた来たいとは思うけどね」
「えー、私、お兄ちゃんの助手になりたかったのに……。ずっとお手伝いしたかったよ……」
いうことがいちいち可愛い子である。
「俺にはリーンっていう助手がもういるから、これ以上は増やせないなあ」
しょんぼりしてしまうノーマの前で腰をかがめ、彼女に視線を合わせた。
「そんなに悲しそうな顔をするなよ。君に祝福を授けてあげるからね」
「祝福?」
「そうさ、君がこれからも元気で幸せに暮らしていくためのお手伝い」
俺はノーマの額に手をかざし、神聖魔法の祈りを唱える。これは人々の憂いを軽くし、生きる活力を与える高位魔法の一つだ。
「すごいお兄ちゃん、まるで神官さんみたい!」
「た、たまに言われるかな……」
いちおう、本物の神官さんなんだけどね。懐からガラス瓶を出してノーマの小さな手に握らせた。
「きれい……、これ、宝石?」
瓶の中では色とりどりのキャンディーが日の光に輝いている。
「残念ながらただの飴。でも、とっても美味しいぞ、なんせ俺の手作りだからな」
「私にくれるの?」
「ああ、いっぱい手伝ってくれたお礼だ」
本当は騎士団に食べさせる予定のドーピングキャンディーだけど、これもガイアのお導きかもしれない。
「これからも辛いことはあると思うけど、幸せになれよ」
「うん……幸せってなに?」
子どもの素朴な質問はしばしば俺をびっくりさせる。
「楽しかったり、嬉しかったりする瞬間を感じ取ることかな? だから幸せってのは本人次第だぜ。しっかり感じとれよ」
「だったら、やっぱりお兄ちゃんと一緒にいたいよ。私、昨日はずっと幸せだったもん」
俺は何も言えずにノーマの頭を優しく撫でることしかできなかった。
「出立!」
命令を告げるミリアの声が響き渡る。俺は小さく微笑んでノーマに背を向けた。
◇
それは一つの啓示だったのかもしれない。後年、ノーマ・カターラはしばしばそう考えた。去りゆくクロードの姿を見送りながら、自分の初恋の相手は神官さんであり、いつか自分は神殿へいくことになるのだ、という確信がノーマの頭に芽生えた瞬間だった。
実際、彼女はその3年後に才能を認められ、地方神殿の神官見習いになっている。そこで順調に頭角を現し、さらに2年後には助祭に任じられた。そして丁寧な治療を施す治癒師として人々に慕われる存在になるのだ。
辛い現場も経験したノーマだったが、彼女はいつも明るい目をしていた。
「大丈夫、私は幸せになりますから!」
それが、ノーマの口癖だった。それでも元気が出ないとき、彼女はカラフルなキャンディーを好んで食べていた。
「これを食べると元気が出るのよ」
それはクロードが作った特別なキャンディーではなかったが、思い出を呼び起こす味は、いつもノーマを勇気づけてくれた。




