裏の顔1
約束の日はあっという間にやってきた。
アリスもデュインズでの転移先を増やすため、依頼を受けつつ国中を走り回っていた。それもあって、時間はすぐに過ぎていった。
三人は教えられた住所へと訪れていた。流石に知恵も求めている賢者の屋敷とは違い、企業のトップを誇る豪華な屋敷であった。
正門から玄関までは馬車が必要なほど広い。正門付近には御者もおり、そこから専用の馬車を走らせることも可能だ。
アリス達は「景色を楽しみたい」といって断り、長い道を歩くことにした。
丁寧に整えられた花壇は美しく、微かに魔力の反応がある。季節にそぐわない花を咲かせるために、わざわざ魔術を用いていた。
「ベルは屋敷の外で待機してて。なにか来たりしたら知らせること。戦闘は基本許可しないよ」
『かしこまりました』
ベルはアリスの命令を受け取ると、その場から静かに消えた。比喩などではなく文字通り透明になって姿を消したのだ。
そのまま音もなく玄関の前から立ち去っていった。
「よくいらっしゃいました」
「!」
「わたくし、こちらの執事長をやっております。オーガスタス・ブロドリックと申します」
「アリス・ウェルです。こっちは弟のリーベです」
「どうも」
御者の連絡を受けたのか、玄関には執事長が待機をしていた。笑顔で明るく迎え入れた彼は、この大豪邸の執事長を務めるにふさわしい手際でアリス達を歓迎する。
アリスをもてなすつもりだったようだが、アリスとしてはとっとと情報を得て帰りたかった。
どうにも金持ち相手は得意ではないのだ。リーベがいるとはいえ、リーベも魔王のもとで育った手前、すぐに手が出てしまう。
それに大賢者ですら知り得ない情報を持っているとは思えず、さっさと魔王に繋がる知識を得てしまいたかった。
「さぁさ、旦那様もあなた方を待っておりました。どうぞ中へ」
(……私を待っていた?)
オーガスタスの言葉が、どうしてだか引っかかった。
それもそうだろう。アリスはここ最近、冒険者として登録したばかりで、知名度もなければ知人すら無い。ランクだって査定前でまだまだ低いままだ。
大企業のトップたる男が、アリスを知るはずもない。
ただの〝おべっか〟だったとしても、何故か違和感があった。
「すまないね。こんな場所で。忙しい身だから、仕事しながらの面会で許してほしい」
その男が現れた瞬間、アリスとリーベは確信した。この男が、魔王と繋がっていると。
それは表向きの〝魔王の機嫌を取るための大企業〟という意味ではない。男が魔王の仲間であり、その幹部であることだった。
ステータス閲覧の制約があるリーベとは違って、アリスは全てのステータスを確認できる。それに彼から滲み出る瘴気が混ざった気配は、ただ〝地下霊園に荷物を運んだ代償〟とは言い難い。
何かしらの契約を経て、魔王との上下関係、下手をすれば対等な関係でもありえるほどだった。
たかだか機嫌取り相手に、魔王がそこまでの労力を割くだろか。それこそ、人間側への反逆になりえるだろう。
つまるところペール=オーラ・パガメントは、人間社会の大企業の代表者であると同時に、魔王と仲間である強力な魔術師なのである。
「――ッ、〝母上〟!」
「うん。分かってる。――〈静寂〉」
アリスが淡々とそう言えば、世界が一瞬で静まり返った。もともとさほど賑やかでも無かったが、風が止まり、遠くに聞こえていた使用人たちの声や音も消え去った。
動けているのはアリス、リーベ、ペール。そして外で待機しているであろうベルのみだ。
〈静寂〉はXランク魔術であり、時間停止魔術の中で最も優秀な魔術だ。世界ごと止めることが可能で、使用者の意思ひとつで誰を動かすかを指定できる。
普通であればありえない魔術だが、これはXランクだ。下手な魔族でも手を出せない、高い場所にある力なのである。
ペールは状況が分かっていないようだったが、先程の〝来客向け〟の表情が一瞬だけ歪む。予定外のことが起きている可能性は、なんとなく理解しているのだろう。
「んー。そうだね、きちんと調べておくべきだった。相手が弱いからって侮っていたら、足をすくわれる。ウサギとカメだ」
「……どうかしましたか?」
「おい、下手な芝居はやめろ。今はお前の魔王は助けに来ない」
「何を言っているんだ……?」
ペールは芝居を続けた。アリス達がペールの正体を知れるなどと思ってもいないからだ。
いくら賢者の紹介とはいえども、相手は一介の冒険者に過ぎない。
ペールのレベルは199だ。世界最高と胸を張って言えるレベルは、そう簡単に正体を、ステータスを閲覧できるものではない。
そして最高レベルを有する彼は、この世界の常識を覆す存在が目の前にいるなんてことも、考えていなかった。
〝魔王が助けに来る〟というリーベの発言に対しても、ペールは疑問を抱かなかった。媚を売って人間社会を守っているということは、デュインズに生きている人間ならば誰もが知っていること。
それをよく思わず「魔王の手下」などと言う人間も、少なくない。
だからリーベも、魔王をよく思わないあまりに言った台詞なのだと思っていた。
「〈輪廻の唄〉は知ってる?」
「は?」
「知っているそうです」
「……ダンジョンに付与されている魔術ですよね。一般人でも知っている人間はいますし、何よりも私はまだ答えていませんよ。先程から何でも勝手に言うのはやめていただきたい」
「流石に君は人間だよね? どうして向こう側についたかは――まあ関係ないか」
「おい、人の話を……」
ペールの言葉を遮るように、アリスは指を鳴らす。すると、そこには一脚の椅子が現れた。木製の素朴な椅子だ。
この部屋にはブランド物のソファや家具が大量に存在する。今さらアリスが生成するほどでもなく、何よりもその生み出したものはシンプルと言えば聞こえはいいが、安っぽいものだった。
ペールは、急に家具が生成されたことにも驚いたが、目の前の冒険者の横柄な態度にも驚愕する。
「どうされますか?」
「世界一のお金持ちでしょ? このまま腐らせるのは勿体ないなぁ。廃人にしてでも配下にしたい。そしたら楽になるよね」
「流通や知名度、動きやすさの面でもメリットが多いかと」
「うん。問題は私に勘づいた魔王がこいつを殺さないか、ってことだよねぇ」
「呪いなどで縛ってあるのでしたら、この空間を出れば終わりますね」
「さっきから何を言っ――」
またもペールが言葉を続けようとすれば、アリスがそれを強制的に止めさせる。
ペールの体はなにかに引っ張られるように動かされた。ドカリと痛そうな音を立てて座ったのは、さきほどアリスが生み出した椅子。
と思えば次の瞬間、椅子から木の根が生える。それらは目にも止まらぬ速さで、ペールを椅子に縫い付けていく。抵抗する隙も与えられず、ペールはガッチリと椅子に固定されてしまった。
「何だこれは! 離してください! おい、衛兵!」
「とりあえずステータスは、と……」
「聞け!」
リーベにもステータスが閲覧できるように、開示魔術も発動する。
ペールのレベル、年齢から習得魔術、スキルなどが連ねられたウィンドウが現れる。記載されているものは全てこの世界のもので、トラッシュの知識しかないアリスにとっては見知らぬものばかりだ。
そして探している魔術の記載もなく、あからさまに肩を落とした。
「知らない魔術やスキルばかりですね。〈輪廻の唄〉もないようです」
「やっぱりダメかあ」
「もしも魔王から裏切りの呪いなどを受けていた場合、一度殺して蘇生すればいいのでは? 死を経ることで解呪になりませんか?」
「あー! あったまい〜! じゃあその問題は解決だね」
状況を飲み込めていないペールでも、〝死〟や〝呪い〟という単語を聞いて、徐々に把握が進む。
大魔術師であるペールを、こんな簡単に拘束している時点で只者ではない――そう考えた彼は、自分の死が直ぐそばに来ているのだと実感する。
「やめろ、近寄るんじゃない!」
「ねえ、魔王に会いたいんだけど。どうすればいい?」
「……は?」
「だから、霊園に行きたいんだ」
「言っていることは分かります。だが意味が分からない。私はただの商人でなんの接点も――」
「悪いけど、そういうのは通じないよ。私もこの子も人の心が読める。えーと、なになに? 魔王は……ヴァルナルって言うのか」
「……フッ、それくらい子供でも知っていますよ」
「うーん」
ペールはまだ抵抗を続ける。人間側であると主張するように。
眼前の少年少女の実力はまだ底しれないが、自身の仕えている魔王の恐ろしさならよく知っているつもりだ。彼の部下に入り込めたのは奇跡のようなものだし、彼の下にいて人間との架け橋になっているからこそ、今の仕事もうまく行っている。
だから現状を崩すわけにはいかなかった。
ペールは白を切り続ける。
「彼は恋人がいる。ふぅむ、幽霊――レイスだ。名前はマージュ。君は彼女の嫉妬深さに呆れている」
「……」
「もう一人幹部がいるね。獣人か。名はソルヴェイ。彼女は人を忌み嫌うのに、よく君は無事でいられるね」
「……意味が分からないですね」
「母上に何度も同じ説明をさせるな、無能な人間風情が。なぜ弱い者は一度で理解できない?」
「チッ、言いたい放題を許す私ではないですよ!」
――人間風情。
その単語を聞いて、ペールはいいことを聞いたと思った。この瞬間、ペールの中ではアリスとリーベは、〝魔王に反乱する上位魔族〟として理解されてしまった。
位の高い悪魔などの魔族であれば、油断しているペール相手に拘束をすることは出来るだろう。
魔王の統治に対して気に入っていないと愚痴をこぼす魔族を、何人も見てきていた。だからこういったことが起きても、おかしくはない。
しかしペールは魔王の部下――幹部の一人だ。
たかが上位魔族程度に敗北するような男ではない。ただのおべっかで成り上がったわけではないのだ。
ペールは瞬時に展開した炎の魔術で、手足に絡んでいた根を焼き切った。拘束されていた手足を開放し、アリス目掛けて飛びかかろうとした。
だがそのペールの動きを上回る速度で、何かが間に滑り込んでくる。それこそ、女と一緒に来ていたリーベであった。
一瞬で目の前に立ったリーベに驚いたペールは、ほんの少しだけ隙が生じる。その隙を逃さないと言わんばかりに、いつの間にか生成されていたホムンクルスとスライムが、ペールの喉元を狙っていた。
「――おい、動くな」
「なっ!?」
「おっと。君はレベル199だったね。危ない危ない。リーベ、魔力を七割食ってやって」
「はい」
「ま、魔力を食らう?」
「お前のような汚い魔力を食らいたくないが、母上の命令だ」
リーベは容赦なく、ペールの魔力を吸い上げた。たかが人間の魔力など〝美味しく〟ないようで、表情が明らかに歪む。
ペールもペールで、他者から魔力を吸い取られるという経験は初めてだ。急激な速度で魔力が枯渇していくのは、人間にとっては苦痛でしか無い。
「あっ、ガッ……!? うぐっ、うがあぁあ! やめて……くれ……!」
「ふぅ、これくらいでいかがでしょう」
「うん、ちょうどいいね。さて。これから君に私の目的を話してあげる。「有り得ない」や「そんなはずはない」なんて愚かな発言以外ならば、なんでも質問を受けよう」
いつもありがとうございます。
最近また気温の変化が激しいですね。年々ついていけなくなります。




