07 精霊宮の中
このあと、顔合わせに王太子が部屋を訪れるか呼び出される予定なので、クララはその前にイルサとその時に着るドレスを一緒に選んでいた。
「クララ様のドレスはどれも素敵ですね」
ドレスだけはきちんとクローゼットに収納されていた。もともとはエリザベート用のドレスだったけど、アイリーンがハイパー伯爵に了承を得て服飾師を屋敷に呼んで、大至急でクララのサイズに仕立て直してくれたものだ。
王太子からいつ連絡がきてもいいように、その中から一番品質の良いドレスに袖を通すことに決めた。
身なりをイルサに整えてもらったクララ。身に着けたドレスは、薄い桃色をベースに純白のレースの飾りがあり、ラメ入りの赤い糸でこれでもかと刺繍がしてある最高級品。もちろんこんなドレスは今まで着たことがない。
光が当たると刺繍部分がキラキラ輝いてすごく綺麗だ。さすがはおエリザベート用に作られたドレスだけはあった。
首飾りや髪飾りもつけた方がいいと言われたので、持たされたものからドレスに合うものを選んでもらう。
(だけど、こんな高価なものを私なんかが身につけていいの)
クララは少し戸惑っていた。
今まで、真実はともかくとして、クララがハイパー伯爵の不義の子どもだということが万が一にも漏れると困るので、表に出ることは疎まれていた。
そのため、ほとんど外に出してもらえず、子息令嬢が集まるような催し物があっても、何かと理由をつけられてほとんど欠席。だから、エリザベートのように他家との交流でお茶会に行くこともなかった。
屋敷の中で引きこもっていたクララに、今までドレスや装飾類はまったく必要がなかったから、服と言えば、すっぽりかぶるだけの簡素なワンピースだけ。成長して着ることができなくなるまで、新しい物を与えられることはなかったのである。
そんなクララを不憫に思ったエリザベートが自分のドレスを譲ってくれたりもしたのだが、それをよく思わないマリアンヌが侍女に片付けさせてしまったので、クローゼットはいつでもスカスカだった。
エリザベートも優しい娘ではあったが、その気の弱さは親に対しても発揮されているため、クララのことをかわいそうだと思いながらも、反抗も苦言を呈することもできず、表立って庇うことはできなかった。
(これまでは着飾ることがなかったから、ドレスにつくシワなんて気にしたこともなかったけど、さすがに今はソファーに座ることさえ躊躇してしまう)
「このドレスと装飾品ですが、私では不釣り合いではないですか? 不相応な気がして気後れしているんですけど」
思わずつぶやいたクララの言葉で、イルサの動きが止まる。
不思議そうな表情をしているのを見てから、クララは失敗したことに気がついた。
ハイパー家から持ってきたものを、その家の娘であるクララが持ち上げるような言い方はおかしいからだ。
「変なことを言ってすみません、家では必要以上の贅沢が禁止されていたので……」
「そうでしたか。こちらの淡いお色はクララ様の黒髪が映えてとてもお似合いだと思いますよ」
(今までそんなことを言ってくれるのはエリザベートお姉様だけだったから、褒められるとなんだかくすぐったい)
「ありがとうございます」
「クララ様のことはお身体が弱く、ハイパー伯爵様が深窓で大事に育てていて、表にはあまり出さないと聞いておりました」
「え?」
「ですから、どんな方なのか知る方もほとんどなく、お仕えすることが決まってから、ずっと気になっておりました。今日お会いして、月の宮の主人にふさわしいお人柄だとわかったので、私はとても嬉しく思っております」
(なんだかわからないけど、喜んでもらえたみたいでよかった。でもハイパー伯爵に大事に育てられた? そんな噂があったなんて知らなかったわ)
だから到着した時に、イルサは誰も見送りに来なかったことを不審に思っていたのかもしれない。
「クララ様はハイパー夫人によく似てらっしゃいますから、伯爵に溺愛されるのもわかります」
伯母と姪という間柄のため、クララはマリアンヌとも似ている。
(マリアンヌ様が聞いたら烈火のごとく怒るわね。とりあえず笑って誤魔化しておこう)
着替えが終わって、クララは鏡に映る自分の姿を見ながら、顔が引きつらないように微笑んでみた。
エリザベートの代わりみたいなものだから、王太子の前だけはみっともない姿をさらさないように頑張らなくてはいけない。そう気合を入れる。王族の前だからといっても、伯爵家の娘がびくびくしていたら見苦しいだろう。
準備が整ってから三時間もたったころ、王太子は予定がいっぱいで今日は会う時間がないとの知らせが入った。
(よかったのか、悪かったのか、なんか気が抜ける。あ、そうだ)
「予定がなくなったのなら、夕食まで片づけをしたいのですけど」
豪華な部屋の中に積んである荷物の入った箱が、クララはとても気になっていた。
「すみません。荷物はすぐに片づけさせます」
本当であればクララがやってくる前に、この部屋は整っていたはずだったという。係の者の怠慢なのだが、代わりに謝罪しますとイルサが申し訳ありませんと頭をさげた。
「怒ってるわけではありませんから気にしないでください。私、片づけや掃除は得意なんです」
伯爵家であまりすることがなかったし、部屋の掃除をする侍女もいなかったので、クララは自分で窓も磨いていた。
「いいえ。主人であるクララ様がそのようなことはなさらなくていいのです。お暇だとおっしゃるのでしたら、クララ様が月の宮の主人となるためにおこなう、身を清める儀式を先に済ませてしまいましょう。明日にしようかと思いましたが、早ければ早い方がいいので私についてきてください」
「儀式ですか?」
「ええ、精霊宮にお入りになった皆さまは全員おこなう決まりになっておりますので」
「わかりました。そういったことはすべてイルサさんにお任せしますので。必要なことは教えてください」
「かしこまりました」
イルサと一緒にクララは部屋を出た。
王宮も広かったが、精霊宮もすごく広い。
中央に大きな庭園があり、東西南北の七ヶ所にクララと同じような部屋がある。
部屋同士をつなぐように廊下があり、一周できるようになっていた。図書室、ダンス室も配置されている。
そして管理室や厨房やリネン庫、使用人の控室など裏方が使用する部屋が、精霊宮の入り口付近にまとまっている。
図書室を覗いた時に青い髪の令嬢が読書をしていた。廊下を歩いている時も銀色の髪の令嬢とすれ違う。クララは挨拶をしようと思ったのだが、挨拶回りも形式があって、全部の宮を伺うことになるので、今は軽く会釈しておけばいいとイルサが教えてくれた。
だからその通りにしておく。
イルサについて廊下を北側に向かって歩いていると、突然ドアがバンッと開く大きな音がした。
「そのようなことはおやめください、シェリル様」
「その手を放しなさいよ。ぶたれたいの」
「部屋の外で騒がれたら、他の方の目にふれてしまいますので、なにとぞ冷静になってくださいませ」
「元はと言えば、あんたのせいじゃない。文句を言うなら私のドレスを返してよ」
他の宮の令嬢が何やらもめている。気になったクララはそっちの方向へ視線を向けた。
「あの方は『土の宮』の主人であるアンバー侯爵家のシェリル様です」
シェリルは土の精霊の加護をもつので、濃い茶色の髪色をしていた。クララは自分に近い髪色の人間を初めて目にした。
ハイパー家で加護もちだったのは青髪のエリザベートと、銀髪のマリアンヌ。使用人に水色と黄緑の髪の者はいたけど、黒や濃茶はいなかったから。
「シェリル様にはあまり関わらない方がよろしいかと」
「どうしてですか」
「アンバー侯爵家の出身とはなっておりますが、もともとは傍系の男爵家のご令嬢で、教育が間に合わなかったのか、あのように粗暴な振る舞いをなさっております。他の宮の方からも距離を置かれておりますし、クララ様に何かあったら困りますので」
「そうなんですか」
出自の話をされたらクララも似たようなものだ。しかし言動からして暴力的な令嬢みたいだから近づくことはやめておいた方がいい。
「絡まれないうちに私たちは移動しましょう」
イルサに促されるまま、クララはその場を後にした。




