06 精霊宮・月の宮
これからクララが暮らすことになる精霊宮には、すでに荷物が運び込まれていてすぐに生活ができるようになっているらしい。
王宮の奥へと進むにつれ、七妃が住まう王宮の裏手にある精霊宮が姿を現す。それは高い壁に囲まれていて、クララは一見要塞のようだと思った。
「要塞ですか? もしかしてクララ様は国境を訪れたことがあるのですか」
「いいえ。私はほとんど家から出たことがなかったので、本で見ただけなんですけど」
表向きには身体が弱く、両親が心配していて社交をさせていないことになっている。そんなクララが七妃に選ばれてしまったのは、七妃になる資格がある黒髪がほかにいなかったから。それに、伯父にあたるロードナイト公爵が知り合いの選考委員に、ハイパー伯爵が大袈裟なだけで、ただの箱入り娘だと伝えていたことも関係あるだろう。
「そうですか。お若いのに博識でらっしゃるんですね」
「そんなことはありません」
クララはイルサと話ながら建物に入る。
その入り口もひとつしかなく、見張りの衛兵が常駐していた。加護の力を強めるために設計されたとか、頼る者を王や王太子だけにして依存させるためだとか、いろいろな理由があるんだとクララはエリザベートから聞いている。その最たるものが、他の男性との関係を絶つためらしい。
(どれも、私には関係ない話だわ)
それでも、他の令嬢と同じく、これから鳥かごのようなこの場所で、王太子が訪れるのを待つ暮らしになる。
とは言っても、さすがにクララのように消極的な者を王太子が相手にしている暇なんてないだろう。正妃の座を狙っている令嬢たちとは違って、クララは王太子のご機嫌伺いなどせずに好きなことをして過ごそうと思っているのだから。
「それにしても、私にはもったいないくらい素敵なお部屋ですね」
クララに与えられた部屋は、入ってすぐが応接室で、その奥に寝室や生活するのに必要なスペースが繋がっている。間取りは貴族家にある客間とほぼ同じ。
ただ、広さがマリアンヌの部屋の倍以上はある。備え付けのソファーやテーブルと言った家具はとても豪華で、天板は曇りひとつなく、鏡のように磨き上げられていて、そこにクララの姿が映っていた。
使う時に傷をつけてしまわないか怖くなるほどピカピカしている。ここには必要なものはすべてそろっているけどすべてが一流品。窓際のカーテンまでもがとても手触りがいい。高級な物に囲まれることには慣れないので、クララはふかふかのソファーに座ることさえも戸惑ってしまう。
(一度落ち着こう)
そう思って外の空気を吸うために、クララはガラス戸を開けた。
今日は今年初めて空から雪が舞い降りた。だから、吐いた息が白くなる。そこから目に入る庭園は今は花もなくて寒々しいけど、春にはきっと色とりどりの花が植えられて、木々では小鳥が囀ったりするのだろう。
「こちらの中庭はとても広いんですね」
「ええ」
ここは一階で、応接室の外部に広いバルコニーがついていて、そこでくつろぐことも出来るし、直接庭に降りることもできる。しかし、案内してくれたイルサの話では、中庭は共通で他の六人の部屋からも同じように出入りができるみたいだから、散歩をすれば、誰かと顔を合わせる可能性があるらしい。
ここへ来ている人たちはみんな競争相手なのだから、クララにそんな気がなくても、仲良くなれるはずもなく、たぶん一番年下だろうから攻撃を受けやすい。クララは絶対に問題を起こしたくないので、もめたり嫌がらせを受けたりしないように部屋の中で大人しく過ごそうと思っている。
(そんな理由で目の前にある庭に降りられないのはちょっと残念だけど、様子がわかるまでは上から眺めるだけにしておいたほうがよさそうね)
「私は他の宮の方たちとは関わらずにひっそり暮らしたいのですが、それでも大丈夫でしょうか」
「問題ございません。クララ様はこの月の宮で心穏やかに過ごされればよろしいかと思います」
エリザベートをやり込めるような人たちと争ったりしたら、静かに過ごせるわけがない。
「もし、クララ様が息抜きしたいと思われましたら、外出の申請を出せばよろしいかと思いますし」
「そうですね。そうします」
ずっと部屋にこもることになりそうだと思っていたけど、要塞のような精霊宮とは言っても、許可さえ出れば、外出することも可能なようだ。もちろん出歩ける範囲は王宮内の決められた範囲だけ、しかも護衛という名の監視役が必須。それでも、ここでの暮らしは思っていたよりは自由があるようだ。
(まずは、一番大事な、王太子との最初の挨拶だけは失敗しないようにしないと。初めて顔を合わせるけど、伯爵家に閉じ込められていたから世間知らずだし、嫌がられたりしないかしら。大丈夫かな。心配だわ)
それでも、第一印象で問題ないと認められれば、その後は月の宮にずっと居座ることができる。とにかく、この精霊宮で目立たずのんびり暮らしていくことをクララは目指すのみ。
部屋の片隅にはまだ整理されいないのか荷物箱が積まれていた。すぐに生活できるようになっていると言われていたけど、急に決まったから仕方ないのかもしれない。王太子との顔合わせが滞りなく終わったら、とりあえず、あの荷物を片付けることから始めようとクララは思っていた。