05 鑑定
ハイパー伯爵に命令されてから二日後、クララはアイリーンと二人だけで家を出ることになった。
マリアンヌの目を恐れて見送る人はひとりもいない。誰もが職を失いたくないから当たり前の話ではある。
(最後にエリザベートお姉様だけにはお別れを言いたかったけど、会わせてもらえなかった)
そもそも、エリザベートにはクララが代わりになったことを伝えていない。アイリーンもエリザベートの身体を心配しているため秘密にしていた。
(体調がよくないエリザベートお姉様に心配させたくないし、元気になるまでは知らせない方がいいのかもしれないわね。会えなかったのは残念だけど)
季節は冬になっている。目に移る風景はすべての葉を落とし裸になった樹木ばかり。足元も枯草だけだからもの寂しい。天気が悪く薄暗いし、それもあってか、気持ちが沈んでしまうクララ。
「もうエリザベートお姉様には二度と会えないのかしら……」
普段は絶対に乗せてもらうことがない、ハイパー家で一番豪華な馬車で移動している。その途中で独り言が漏れてしまった。
一瞬だけ、向かい側に座っているアイリーンが視線を向けたが、返事をする必要がないと判断したのか、すぐに目を逸らした。
ハイパー家でみんなに嫌われているとはいえ、クララには唯一家族として接してくれるエリザベートがいた。
祖父の前ロードナイト公爵が絡んでいたため、家から追い出されることもなかったから、寝る場所も食べる物にも困ったことがない。それに社交以外は貴族の娘としての教育も受けることが出来た。
マリアンヌの八つ当たりも悲しかったのは子どもの頃だけだ。自分の置かれた立場を理解してからは、仕方がないのだと思うようになった。
貴族家の娘としては酷い仕打ちを受けているかもしれないが、ハイパー家に引き取ってもらわなかったら、どこかに捨てられて、野垂れ死んでいた未来があったかもしれない。そのことを思えば、今の状況を不幸だなんてとても思えない。
嫌なことも多かったけど、あの家にはもう帰ることができないのだと思ったら、クララに寂しい気持ちが湧いて来た。
「やっぱり最後に一目だけでもエリザベートお姉様に会いたかったな……」
◇
王宮へ近づくにつれ、クララは馬車の窓に張り付いて外の景色を目を丸くしながら見つめていた。
「すごく大きな宮殿……」
今まで、一度も連れてきてもらったことがなかったので、初めて見た宮殿の大きさと荘厳さ、それに装飾の美しさ、すべてに感動すら覚える。
「あそこで、これから暮らすのね。ちょっと素敵かも……」
王宮に馬車が到着するとすぐに迎えがやってきた。侍女服の女性を先頭に、後ろには騎士服を着た衛兵が二人。その役目は護衛と監視だろう。
「ハイパー伯爵家のクララ様ですね。私はこれからクララ様の専属として身の回りのお世話をさせていただきますイルサと申します。よろしくお願いいたします」
「ハイパー伯爵家の次女クララです。こちらこそよろしくお願いします」
「クララ様のお付き添いの方は……別の馬車であとからいらっしゃるのでしょうか?」
馬車から降りたのがクララと侍女服姿のアイリーンだけだったので、イルサは不思議に思っているようだ。
もしかしたら今生の別れになるかもしれないというのに、家族が誰ひとりついてきていなかった。七妃に選ばれたというのに家族からこんな扱いを受けている令嬢はクララ以外にはいないのかもしれない。
「いいえ、彼女だけです」
「そうですか、でしたらご家族ではないお付きの方はここまでで結構です。中には入れませんので」
結局、王宮ではクララひとりきりになってしまうようだ。
「かしこまりました。クララ様のこと、どうぞよろしくお願いします」
アイリーンの言葉にイルサは心得ているというようにしっかりと頷いた。
クララはアイリーンと別れる前に、数日間だけだったが、尽くしてもらったお礼を言う。
彼女との別れの挨拶を最後にハイパー家との繋がりは完全に消えてしまうだろう。
もし、もう一度ハイパー家の人たちと話をする機会があるとすれば、それはクララが正妃として選ばれた時。もしくは、会うことを許されたときだけである。
他の令嬢を押しのけて、世間知らずのクララが正妃になることは絶対にあり得ない話。実家に精霊宮での情報を与えないために、会う許可もほとんど出ないという。
「エリザベートお姉様に『お幸をお祈りしています』と伝えていただけますか」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるアイリーンの姿を見て、クララの見ていた景色が涙で少しだけにじんだ。
「では、クララ様はどうぞこちらへ」
アイリーンと入れ替わりで、これからは王宮侍女のイルサが精霊宮に案内してくれるそうだ。
イルサの後をついて行く途中、後ろを振り返ると、アイリーンはまだそこで頭を下げたままだった。
そうしている彼女の本当の気持ちはわからないが、ハイパー家で嫌われていたクララは、その姿を目にすることで、最後に暖かい気持ちになれた。たった一人だけだとしても、自分を伯爵家の一員として見送ってくれる者がいる。
誰もが敵なわけではない。それだけで、前向きになれるような気がした。
(もしかしたらエリザベートお姉様の代わりのつもりなのもしれないけど、ありがとうアイリーンさん)
感傷に浸っている間もなく、そのあとはすぐにイルサに連れられて王宮の長い廊下を歩いていく。王宮の豪華な内装をちらちらと横目で見ながら進んでいくと、騎士服の衛兵が警備している重厚な扉の前までやって来た。
(思っていた以上に王宮の守備ってすごいのね)
ハイパー家とは大違いで、ここへ来るまでにもこの廊下には何人も警備兵が待機したり見回っていたりしていた。
クララたちが到着すると、警備兵が鍵をイルサに差し出す。それで、目の前の重そうな扉を開けるのかと思っていたら、イルサさんがポケットからとても美しい装飾がされている小箱を取り出した。その小箱を警備兵から受け取った鍵で開けると、中には宝石で飾られた高級そうな鍵が入っていた。
その鍵を今度は目の前の扉の鍵穴に差し入れる。精霊宮への入口はこれほどまでに厳重にされているのかと、感心しながらついて行くと、そこは精霊宮の入り口ではなく、絵で見た教会の祭壇のようなつくりになっている一室だった。
その祭壇の手前にはもう一枚ガラスの扉があって、ここにもやはり鍵が掛けられていた。
「まずは、クララ様の加護に間違いがないかを鑑定水晶で確認させていただきます」
(鑑定水晶?)
「はい」
イルサがガラス戸を開けてから指し示した一段高い場所には、透明な水晶の原石が置かれていた。その場所まで一緒に段を登れと言う。
「鑑定にはクララ様の血液が必要ですので。私が指先に針を刺しますがよろしいでしょか」
クララは言われるままに人差し指を差し出した。
針を刺されたことで、ぷくっと血液が盛り上がってきたのでクララはそれを目の前にある水晶に一滴落とす。
すると無色透明だった水晶は水が染まるように、血液がついた場所から徐々に黒く変化していった。
じっと見つめていると、最終的にクララの髪と同じ色の漆黒の水晶ができあがった。
(うわー、すごい。いったいどんな仕組みなんだろう)
その不思議な現象に目を奪われるクララ。
「クララ様は間違いなく、月の加護をお持ちですね。ここにいるすべての者が証人となります」
「あの」
「はい、なんでしょうか」
「加護もちって水晶が黒く染まったからですよね? いつも調べてらっしゃるんですか?」
「ええ。残念なことに、偽る方もいらっしゃいますので」
イルサがクララの指の手当てをしながら質問に答えてくれた。
髪を染めることは簡単ではない。それでも、どうにか染色して加護もちだと嘘をつく人もいるらしく、こうやって本物かどうか確認をしているのだとイルサが教えてくれた。
たとえばエリザベートの血を垂らせば水晶は水色に輝くのだ。そう思った、クララはそれが見てみたくなった。
(他の加護も、赤とか金とか綺麗なんでしょうね)
鑑定が終わってクララたちが部屋から出ると、イルサがすべての扉に鍵を掛ける。
この鑑定水晶も初代の王様が女神から授かった秘宝らしいので、これほどまでに厳重に管理しているのはそういった理由があるからだった。
それに鑑定水晶が王宮にあることは秘密らしく、その存在を知る者は限られているらしい。
「ではこれから、精霊宮の月の宮にご案内いたしますので私の後についてきてください」
「わかりました」
鑑定が問題なく速やかに終わったので、クララはこれから暮らすことになる月の宮に案内されることになった。