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04 マリアンヌ

「あなたが七妃に入るくらいなら、虫けらの方がよっぽどましだと思わない? オーティス殿下もお気の毒なこと」


 いつも通り、ひとりきりで食事を済ませたあと、クララは部屋でマナー本に目を通していた。

 うとうとしてきたので、少し早いけど、寝ようかと思っていたところ、マリアンヌに呼び出される。


 汚らわしいものでも見る目つきをしたマリアンヌの嫌味に、クララは壁際に立たされたまま「そうですね」と返事をした。

 黒髪だというだけで妃の称号を得ることになる。クララ自身加護の力で何かができるわけでもない。

 それに虫にも劣るという意見にも賛同している。今日は肌にクリームもたっぷり塗り込まれていつもよりも調子はいいとしてもだ。


「蝶よ花よの言葉通り、蝶々は見た目はがとても鮮やかですし、毛虫の毛ってよく見たらとても艶やかなんです。マリアンヌ様のおっしゃる通り、私なんて勝負にもなりません」


 一人でいることが多いクララは、図書倉庫に籠るか、庭で動植物の観察をして過ごすことが多かった。嫌悪される容姿と、まだゴワゴワしている黒髪に比べたら虫たちはとても美しい。

 本気でそう思って納得しているクララ。その態度が、思った反応と違って気に入らなかったのか、マリアンヌが凄い目つきで睨みつける。


 こんな時、いつもなら、扇子が飛んでくるところだけど、数日後には王太子と顔を合わせることになるので、万が一顔に傷でもついたらさすがにまずいのだろう。だから、行き場のないマリアンヌの怒りはテーブルに向けられバンッという大きな音を立てた。


「誰に似たのかエリザベートの気の弱さにはがっかりだわ」


 自分のことしか考えていないハイパー伯爵と、その伯爵でさえ見下してこの家を牛耳っているマリアンヌ。


(そのお二人にお姉様が似なくてよかったのでは)


 と思っていたとしても、そんなことをクララが口に出すことは絶対にできるわけがない。


「あなたにチャンスを与えるなんて本当に口惜しいこと。こんなことになるのだったら、もう一人娘を産んでおくんだったわ」


 今日はいつもに増してイライラしている様子。手にしているワインも減りが早い。


 大っ嫌いなクララが栄誉ある役目に着くのは腹立たしくて仕方がないみたいだけど、伯父に当たるロードナイト公爵が「血統でいえば何の問題もない」とクララのことを推していたので反対意見は却下されたようだ。

 と言うより、黒髪を探していた大臣に、姪は黒髪だと王宮でこぼしたことが原因だからマリアンヌにはどうすることもできなかったらしい。


 マリアンヌ自身は前回の七妃の選定の際に声が掛からなかった。そのことを嘆いていたから、余計に気に入らないのである。


「本当に忌々しいこと。本当だったら、あなたにお似合いのスカイ男爵家に高値で売ろうと思っていたのに。あの男、あなたの母親にも気があったみたいだから、きっと可愛がってくれたんじゃないかしら」


 スカイ男爵は、法にふれないギリギリのやり方でのし上がったという欲の塊で、常に愛人をたくさん侍らせているという。通称ドクガエル男爵。使用人たちまで噂話をするくらい悪名が知れ渡っている。


(それなら、ハイパー家がそんなところと縁続きにならなくてよかったんじゃないの?) 

 と密かに思うクララ。


「あなたみたいな呪われた子は、腐った沼のカエルに並ぶことすら、もったいないくらいなのよ」


 今日も歯に衣着せぬ物言いの勢いは止まらない。


「忌み子であるあなたが、精霊宮とはいえ王宮で過ごすことが許されるなんて世も末だわ」


 それについてはクララもそう思ってる。しかし、出自については秘匿されているし、書類上ではマリアンヌの実子になっているから、世間的には何もおかしいところはないのだけど。


「これほど業が深い娘を王宮に入れたりしたら、守るどころか穢れてしまうというのに、兄やあの人が目をつぶれと言うんですもの。でも、そんなこと許せるわけがないでしょう」


 虫けら以下と罵りながらも、クララをまるで悪の権化のよう言うから、聞きようによってはとてもすごい存在みたいに感じる。だから、この大げさな嘆き方にクララいつも吹き出しそうになってしまう。


 王族の威厳の前では、クララなんて霞んで影が薄くなるはず。だから、万が一穢れがあっても、他の国守である六人が守っている場所では、木っ端微塵に吹き飛ぶと思う。

 心配しなくても影響力なんて小指の先ほどもないから大丈夫なのに。と思わず口から出そうになったクララは、急いで口元をきゅっと引き締めた。


「ねえ、あなたが精霊宮で取り返しのつかない失態でもおかせば、処刑されることもあり得るのかしら? ふしだらな者たちの血を引いているのだから、ないとは言えないわよね」

「ご心配いただかなくとも、精霊宮では見張りがつくようですので、そのようなふるまいはできません。それに私が処刑されるようなことになったら、ハイパー家もただではいられないかと」


 なるべくマリアンヌには反抗しないようにしているのだが、クララを貶めるために裏工作でもされたらたまらない。ここで言っているだけならいいけど、変な行動を起こされたら困るので釘を刺しておいた方がいいだろう。


「そんなことは言われなくてもわかっているわよ。誰でも知っていることを偉そうに、あなたって空気を読むことすらもできないんだもの。本当に愚かで滑稽だこと」

「それは十分承知しております」


 クララとマリアンヌとはたまに意見が合う。

 人の道から外れた親の血を引いている婚外子のクララ。この年まで母親に会ったこともなく、マリアンヌの話だけで想像するしかなかった。だから、両親がどんな人たちなのかも実際にはわからない。

 マリアンヌの言葉が本当なら実母は男癖が悪く、誰彼かまわず声をかけまくっていたという。公爵家の娘であることを盾にして好き放題していたようだし、公爵家のなかでも、わがままが通らないとすぐに涙ぐむので、周りも甘やかしていた。そのため、いつもマリアンヌが我慢させられていたそうだ。


 ひとつ間違えば実母のような驕り高ぶった性格になっていたかもしれない。そうならなかったのは、マリアンヌに押さえつけられていたおかげ、というわけでもないけど、たぶん反面教師にはなっている。


「いいこと。エリザベートの病状がよくなったら、その時点であなたとは入れ替える交渉をするつもりなの。間違ってもお手付きなんかになるんじゃないわよ」

「そんなことができるんですか?」

「できなくてもするわよ!」


 クララは月精霊の加護者、エリザベートは水精霊の加護者だから交代はできない。絶対に無理なのはマリアンヌもわかっていて言っているのだろう。


「でも、あなたはあの女の娘ですもの。オーティス様が毒牙に掛からないかとても心配だわ」


(毒牙って…………笑っちゃいそう)


「あなたの母親は十歳にも満たないころから、男性を惑わせていたのだから。大勢の男性を侍らせたり、婚約者のいる男性を誘惑したり、人のものを奪うのが好きで、幼い頃からわたくしに与えられた贈り物も奪っていた。本当に性根の悪い女だったわ。思い出すだけでも気分が悪くなる」


 もしグレーシーが未婚でクララを身ごもることがなかったとしても、姉妹の仲はもともとよくなかった。

 クララがマリアンヌに好かれることなど万が一にもあり得なかった。


「大丈夫です。私のような不出来な者は相手にされません。しかも地味な黒髪ですし、王太子殿下の目にも止まるとは思えませんからご心配は無用だと思います」

「それでもよ。気に入られることがないように、ずっと隠れておきなさい」

「はい。私もそのつもりでおります」

「とにかく、あなたは隅っこにいて、その性格と同じようにじめじめした場所で生息するのよ。間違っても華々しい場になんて出ることがないように」


(じめじめしたところは嫌だけど、それでも……)


「隅っこにはいるつもりです」


(ほかの令嬢たちに虐められるのも嫌だし、正妃になりたいわけでもないもの)


「わかっているならいいのよ。馬鹿なあなたの躾は本当に大変だわ。おかげで、わたくしは疲労で倒れそうよ。すぐにでも休みたいから、ここからさっさと出ていってちょうだい」

「わかりました。失礼いたします」


 言いたいことだけ言ったら気が済んだのか、クララは部屋から追い出された。


 それでも、もう少しでマリアンヌともさよならできる。


(こんなやりとりもこれで最後かもしれないと思えば、清々するという気持ちもあるけど、私という呪縛から解き放たれることが出来るので良かったね)


 少しは同情している気持ちもクララにはあった。


 マリアンヌはもしかすると、夫を誘惑され、妹に裏切られたかわいそうな人なのかもしれない。

 真実はどうであれ、グレイシーの言動でマリアンヌの心が傷ついたのは事実。その恨みを十四年間ずっと抱えて生きていた。


「そうだとしても私も被害者なんだから、目の敵にするのはやめてほしかったけどね」


 元凶の実母とは一度も会えず精霊宮に入ることになったので、父親については謎のまま。


「でも、もうどうでもいいかな。ここを出ていくのだし」


 クララは、これから先のことだけ考えることにした。

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