37 すべては精霊喰いのせい?
「クララ、実際のところ身体の調子はどうなのだ」
オーティスは医師の言葉を信じ切ることができないまま診察室から病室へとやってきてクララを見舞っていた。
ベッドから起き上がってシェリルと話をしていたクララの顔色は血色もいい。背中をナイフで刺されたことが嘘のように、笑顔で元気な姿を見せていた。
「まだ安静にしていたほうがよくはないか? 無理はしなくてもいいのだぞ」
体調を確認しようとしてググっと近寄ってきたオーティス。
その姿に驚いて、クララは膝に乗っていた黒ウサギをギュッと抱きしめてしまう。
(そういえば、またオーティス様に運ばれてしまったし、それに仕方なかったとはいえ抱き着いてしまった)
あの時は、直前に精霊喰いや王妃と出会ってしまったため、精霊たちのために頑張ることしか考えていなかった。勢いでオーティスに密着することもできたのだが、我に返っているこの状況で目があったことで、自分のしでかしたことを思い出して、とても恥ずかしくなってしまった。
腕に力を入れたクララの姿は、黒ウサギが見えない者の目には、変な姿勢で硬直しているように映る。
「やはり痛むのか!?」
「ど、どこも痛いところはありません。体調は万全だと思います。あの……この度はご心配とご迷惑をおかけして申し訳ございません」
クララが頭を下げようとすると、それを「まて」と、オーティスがとめた。
「迷惑なんて思うわけがないだろう。クララが刺されてしまったのはこちらの不手際で、しかも私は命を救われたのだから」
周りに護衛の近衛騎士がついていたとはいえ、まさか王宮に努める事務官があのような事件を起こすとは誰も思っていなかったので、気づくのが遅れ、とっさに動ける者がいなかった。
しかも狙っていた位置がオーティスの心臓であり、明確な殺意があったことから考えると、かなり危機的状況だったのだ。
「メルティたちの騒ぎに近づいた私が馬鹿だった。身を挺してかばってくれたクララにはとてもとても感謝している。痛い思いをさせてすまない」
「いいえ、傷もないそうなので、どうかお気になさらないでください」
「そのことなのだが……それは真なのだろうか?」
「本当だと思います。お医者様もシェリル様もそうおっしゃっていますから」
「シェリルも? 見たのか?」
クララの心配ばかりしていたオーティス。部屋へ入って来てから初めてそばで様子を見ていたシェリルに視線を向けた。
「私も、あの状況で怪我をしていないなんて、到底信じることができなかったので確認させてもらいました」
シェリルはクララのドレスの背中の紐を緩め、刺された肩のあたりからかなり下のほうまで見て傷口を探したのだが、結局どこにも見当たらなかった。
「それで傷跡はなかったと?」
「はい。何もございませんでした。ドレスにも汚れはなく綺麗なままです」
そんな話を聞いても、どうしても腑に落ちないオーティス。
みんながみんなクララの背中には傷跡がないと言う。
少しの間悩んでからある答えに行きつく。
「なるほど、理解した」
納得した様子のオーティスの姿を見て、追及されたらなんと言い訳をしようか迷っていたので、クララはほっとしていた。
「今日はこんなことが起こってしまったから、あとは出歩かずに部屋で過ごした方がよいな。午後になればイルサも帰ってくるだろうし。どうする、これからすぐ客室に移ったほうがよいか?」
「あの、そのことでオーティス様にお願いがあるのですが」
「願いとは? 事件に関することか?」
「いいえ、もしよろしければ、オーティス様の執務室にある本をお借りできないかと」
「本だと? あそこにはクララが読めるようなものはないと思う。だったら書庫に案内するが? どんなジャンルを希望しているのだ」
「精霊宮について記されているものはございますか。成り立ちとか、歴史とかを知りたいのですが」
「わかった、あとで何冊か部屋に運ばせよう」
「ありがとうございます」
話し終わってオーティスは、ベッドから降りようとしているクララの足と腰に手を入れ、身体を抱き上げようとする。
「オーティス様!? 私、自分で歩けますから」
逃げようとしたはずみでクララはベッドの逆側に転んでしまう。
「すまない。大丈夫か?」
「大丈夫です。本当に大丈夫なので……」
クララはすぐにベッドの脇に立ち上がり、ドレスのスカートの乱れを直してから、一生懸命笑顔をつくる。それがオーティスからは苦笑いに見えるとも思わず。
「わかった。では二人を客室に案内する」
「お願いします」
「ありがとうございます」
◇
医務室から、用意されていた賓客用の豪華な部屋に移る際に、クララは近衛騎士たちに謝罪をされた。彼らもオーティスの盾となったクララのことを心配をしていたし、自分たちで守ることができなかったことをとても悔やんでいた。
大丈夫だと言うクララの元気な姿を見て、やっと安心できたようだ。
そのせいか、内層部から深層部へ移動するだけだというのに、もともと四人だった護衛が倍の八人に増え、前後に四人に挟まれた状態で歩き始める。行違う者がいても、クララたちには誰一人近づけることはなかった。
部屋に着くとクララは真っ先に穴の開いたドレスを寝室で着替えた。服装などどうでもよかったクララも、それが必要だということくらいは学習していた。
ここは精霊宮の月の宮に劣らないくらい広く、家具も繊細な金細工の施された金具がついていて、とても素晴らしいものばかりである。
(この部屋も落ち着かないな……)
着替えが済んだ後、クララは広々としたソファーに座って少し苦みの強い紅茶を口にしていた。
とは言っても、イルサのいれたものではない。彼女はまだお使いから帰っていなかった。その紅茶をいれたのはオーティスの専属である年配の侍女。他にも三人来ていて、着替えも手伝ってもらっている。
そしてなぜかオーティスもクララに与えられた客室で、運ばれてきた本を読みながらくつろいでいる。
もちろん、ひとりにはなりたくないと言うシェリルも一緒だ。
(オーティス様はいつまでここに? って聞くのは失礼よね。きっと私たちのために、問題のないご自分の侍女をお連れになっているのだから)
そう考えながら、クララは用意された精霊宮についての本を開いて文字を目で追っていた。
それは古い書物ではなく、現代語に翻訳されているのでクララも読むことは問題なかったのだが、内容は国を興した初代の王が女神に出会って神託を賜ったという内容で、目新しい情報はまったくない。
精霊喰いのことなど、その名前すら載ってはいなかった。
しんとした部屋の中、シェリルだけが手持無沙汰で困っていて、結局、部屋から直接出ることができるルーフバルコニーで庭を眺めて時間をつぶしている。
そんな状況で一時間ほどたったころ、オーティスのもとに一通の報告書が届く。
それは今回の事件を起こした事務官の供述をまとめたものらしい。
さっと、目を通してから、オーティスがバルコニーにいたシェリルを呼ぶ。
「事件の全容がわかった。しかし知らないほうがいいこともある。巻き込まれたクララは知る権利があるのだが、シェリルには席を外してもらいたい」
「私は聞かないほうがいいというのでしたら」
「そうしてくれると助かる」
「承知いたしました。ですが……」
シェリルにも与えられた客室がある。しかし、あんな事件が起きたばかりなのだ。
「部屋にひとりでは心細いか。では、私が信頼する侍女と護衛をつける」
「…………ありがとうございます」
クララの寝室で待ちたいと言う前に、オーティスからそう言われてしまった。さすがに嫌とは言えない。
「シェリル様、大丈夫ですか?」
「うん。なんとかね」
侍女と一緒にシェリルが部屋から退出すると、オーティスは話がしやすいように、クララへ自分の正面に座るよう促した。
「これから話すことは、ある七妃に関わることなので内密に頼みたい」
「わかりました」
「事務官の男はもともとある七妃の婚約者候補だったそうだ」
クララが頷くとオーティスの口から驚愕の事実が告げられた。
それが誰かと名前を上げないのは、これからもクララが精霊宮でその七妃に会うことがあるからだろう。
「婿入りが確定しそうだったところ、令嬢が七妃に決まってしまって、私は恨まれていたらしい」
「その七妃と恋人同士だったのでしょうか」
「男のほうはそう言っているようだが、二人きりであったことなどなかったようだ」
その男、実は精霊の加護で運がよかった。
実力も成績も並以下だというのに、王宮で採用されたのも、その年は何人も辞退が出たからであったし、精霊宮の職員として働き始めても書類に目を通して、精霊宮で異常がないことを上役に連絡するだけの比較的楽な内容をこなすだけだった。
しかしずっと順調だった仕事も、婚約の申し込みをしていた令嬢が七妃に選ばれたころから何をやってもうまくいかなくなる。
それまでは精霊宮の中のことは侍女頭に任せっぱなしだったのだが、クララたちの事件が起きて、責任を問われ減給処分。その後、メルティを説得しろと難題を押し付けられ、イライラしていたところ、オーティスと鉢合わせした。
自分がこんな目にあっているのも、好意を抱いていた女性がいなくなってしまったのも、すべてオーティスのせいだ。こいつが元凶だ。そう思ってしまったらしい。
『あの男には精霊がついていなかったから、精霊喰いにやられたのかもしれない』
(何か関係があるの?)
『たぶん加護で人より運が良かったんじゃないかな。それがなくなったため、突然坂を転げ落ちるように、事態が悪化していったのだと思うよ』
(だったらこの事件も精霊喰いのせいなのね?)
『間接的にはそうかも。でも男の性格が悪かったのが一番の原因だけどね』
精霊喰いの影響はいろいろなところに出ていた。




