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36 頑丈な身体

 クララはいまだかつて、誰かに抱きついたことも抱きしめられたこともなかった。

 小さなころ可哀そうな妹を慰めようとエリザベートが手を伸ばしたことはあるのだが、その時に仕えていた侍女たちが、クララに近づくことをよしとせず、淑女は簡単に他人とふれあってはなりませんと、一定の距離をとらされ止められていた。そのため、抱きしめ方がわからない。


 とりあえず両腕を広げ、無我夢中でオーティスの左側からタックルのような状態でしがみつき、抱きついてみる。

 それがちょうどタイミングよく、オーティスが左手を持ち上げた瞬間だったので、わき腹からするりとその胸元に入り込むことができてしまった。

 運よくなんとか任務完了。


 しかし、その際に勢いよく頭がオーティスの肩にぶつかってしまったので、クララは謝ろうした。ところが、突然背中に痛みを感じて、口から洩れたのは唸るような息だけ。

 声が出ない状況で痛みに耐えていると周りから甲高い悲鳴がいくつも上がった。


「クララ!?」


 オーティスも、自分と事務官との間に飛び込んできたクララの背中に、ナイフが刺さっていることに気がついた。

 犯人の男はまだナイフに手をかけたまま額から脂汗を流し、小刻みに震えている。


「貴様ああああ!」


 オーティスはクララを左手で抱きかかえ、すぐさま右手で男の腕を掴んでねじり上げた。ナイフから男の手が離れると同時に、近衛騎士たちが男を取り押さえ、クララの身体の状態も確認する。


「かなり深く突き刺さっているようです」

「ナイフはこのまま抜かずに誰かすぐに医師を、早く!」

「はっ」


(いったい何が起こっているの)


 背中に鈍い痛みが走っているので、自分が何かされたことだけはクララもわかっている。

 だから後ろ手に背中を探ってみた。


(やっぱり何か刺さってる。息苦しいのはこれのせいよね)


「つらいかもしれないが医師が来るまで頑張ってくれクララ」


(うん。でも背中と胸が苦しいから……返事もできない。邪魔)


 クララはナイフの柄を掴んだかと思うと、それをみんなが見守る中、おもむろに引っこ抜いた。


「なんてことを! ナイフを抜いたら出血が!」

「ふう、苦しかった」 

「あ!?」


 クララの身体は女神特性の頑丈なもの。

 そのため、ナイフの刃の部分がただ体内にめり込んでいただけ。苦しかったのは、その質量で肺が圧迫されていたからだ。ナイフさえなくなれば元通り。傷などひとつもついてはいないし、ドレスに真っ赤なシミができることもなかった。


「もしかしてドレスに穴が開いてしまいましたか?」

「大丈夫なのか、クララ?」

「はい。もう痛くはありませんし、たぶん大丈夫だと思います」


 クララが答えたように、その身体は刺される前と全く変わらない状態に戻っていた。


「いや、そんなわけがない。すぐに医師に診てもらわなくては」


 クララのその背中にナイフが刺さっていたことは、この場にいるほとんどの者が目撃している。それなのに目の前で起こった事実が嘘であったかのように、クララは元気に返事をして、尚もまだオーティスにしっかりと抱きついている。


 その光景を見てみんながみんな唖然としていた。

 しかし、オーティスに心配をかけないように、気丈にふるまい実は無理をしているのではないかと思っている者も半数以上はいる。それはメルティも。

 もとはと言えば、犯人である事務官を怒らせたのはメルティだった。彼女にもその自覚があった。その刃がなぜかオーティスに向かってしまい、それを盾となり救ったのがクララだった。


 どうしてこうなったのかはわからないが、自分が襲われ、刺されていたかもしれないのだ。そう思うだけで恐ろしくメルティは身体が震えた。

 それに、オーティスのために自分は飛び出せただろうか。そう自問自答してから出た答えは。


「いいえ、私だったら足がすくんで動けなかったわ」


 そうつぶやいてから、メルティはクララが強制的に運ばれて、オーティスと共にいなくなってしまうまで、その場にずっと立ち尽くしていた。


 ◇


「傷がないだと!? そんなわけないだろう。クララの背中には間違いなくナイフが刺さっていた」

「嘘ではありません。クララ様の背中には傷はおろか、痣ひとつついておりません」

「そんな馬鹿な」

「それが事実です」

「私が見たことも事実だ」


 本当にクララの背中には刺された痕が残っていないので、そんなわけがないと言うオーティスと医師の診察がかみ合わず、平行線のままであった。


「そこまで王太子殿下がおっしゃるのでしたら、ご自分の目でお確かめください」

「私に令嬢の背中を見ろと言うのか」

「ご令嬢と言ってもクララ様は七妃。王太子殿下であれば問題ないかと」

「いいや、変な誤解を招く恐れもあるのでそんなことは頼めない」

「でしたら、私の言うことを信じていただくしかございませんが」

「信じろと言われてもだな……」


 そんな言い合いをしている診察室のとなりの部屋で、クララは念のためベッドに寝かされていた。


「もう、本当に心配したんだから」


 なんともないのにオーティスから安静にしていろと言われたクララは、目を真っ赤にしたシェリルに怒鳴られているところだ。


「今回は怪我をしてないっていうからよかったけど、ナイフで刺されたら死んじゃうことだってあるのに。あんな無茶二度としないで」

「ごめんなさい」


(でも、私だったから怪我をしなかったんだと思う。リオンのお手柄よね)


 心配をかけてしまったので謝りはしても、今回のことで本当に頑丈な身体なのだということがわかってしまった。だから約束はできない。


 シェリルは「え!?」「クララ!?」「なんで!?」「どうなっているの!?」

 そう言っている間にすべてが終了していた。メルティと同じく、その場で動けずにいたのだ。


 今のシェリルには王太子であるオーティスよりもクララのほうが大事だった。やっとできた心を許せる友達に万が一何かあったとしたら、たとえそれが八つ当たりだったとしてもオーティスとメルティを恨んでしまっていたかもしれない。


(でもどうしてオーティス様を狙ったんだろう? 精霊喰いがらみではないと思うけど、だとしたら王宮には敵がいっぱいいるってことなの?)


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