34 精霊喰いとの邂逅
「リオン? あなた話せるようになったの?」
泉の女神から精霊は話すことができないと聞いていたので、その声の主が黒ウサギだと知ってクララは驚いていた。
すぐさま黒ウサギと視線が合うように、クララはその脇に手を入れて持ち上げる。
「どうして急に? って聞きたいことはたくさんあるけど、いまは時間がないの。お話ができるのなら銀ネズミさんの通訳をお願い」
クララの申し出に黒ウサギは無言のまま首を横にふって否定をする。
言葉を話すためには何か条件があるのかもしれない。
(もしかしたら精霊が人間と言葉を交わすことは禁忌だったりするのかも。そうだとしたら無理は言えないよね)
断られてしまった以上、残念だが諦めるしかないとクララはそれ以上すがるようなことはしなかった。
しかし、なぜかそのあとすぐに
『いや、今回は緊急事態だから』
と言って黒ウサギが返事をしたのである。
しかし、その口元が動いているわけでもないし、そばで食事を続けているシェリルにはその声が届いている様子もないので、クララの頭の中に直接流れ込んでいるものと思われる。
「私と話をしても大丈夫なの?」
『問題はおおいにあるけど、クララは特別だからね』
「それって、泉の女神様と私につながりがあるから?」
『違う、クララがいないと我が困るからだよ』
宿主がいない精霊は弱い。人間よりも精霊のほうが共存関係を求めている。
「そうなの? 助けてくれるのならありがとう!」
クララは思わず黒ウサギをギュッと抱きしめた。
『急いでいるんだよね? 話を始めてもいい?』
「あ、ごめんなさい。お願いします」
クララは足元で様子をうかがっていた銀ネズミの横に黒ウサギをおろしてから、自分もそこにしゃがみ込んだ。
『正確に言うと、日の精霊の居場所を精霊喰いがほしがっているんだよ』
「居場所? 精霊の力ではなくて?」
『そう、いま狙われているのは加護を授けられているほう』
「それってオーティス様のこと?」
『そうなるね。要するに精霊喰いは王妃から王太子に乗り換えようとしているってことさ。それでこの日の精霊が邪魔だから、どうにかしたいみたい。だけど、いまのところ威嚇してなんとか追い返しているって』
「銀ネズミさんは強いのね」
クララが感心していると銀ネズミが小さな胸をはる。
『でもね、精霊界では相手に怯えたり、畏怖を感じてしまったりしたほうが弱いとみなされるから、いつだって逆転される可能性があるんだよ。宿主同士の関係性や精神力とかもあるし』
「だから私に助けを求めてきたの?」
銀ネズミがコクンとうなずいた。
『それだけ切羽詰まっていたってことだろうね。クララと目が合って、自分の存在に気がついているってことがわかったから、王太子に王妃には近づくなって伝えてほしかったみたい』
「そんな事情があったなんて。だったら、オーティス様に真実をすべて告げて、こっちの味方になってもらえばいいのよね。そのほうが私も心強いし。ってダメだ……」
『どうしてダメなのさ?』
「助けてあげたいけど、私の話を信じてもらうことがとても難しいの」
昨日のオーティスの態度から、精霊たちの話をしたところで信じてもらえる自信がなかった。
「銀ネズミさん。私はあなたを助けたいと思っているけど、王妃様に精霊喰いがついている話をオーティス様にするのはまだ早いと思うの。段階があるっていうか……その……」
侮辱罪で牢に入れられてしまったら、何も救うことができなくなってしまう。沈痛な表情をしたクララのことを銀ネズミは見あげていた。
「今は私が王妃様というか精霊喰いに近づくことが容易ではなけど、月の精霊も狙われているみたいだから、いずれは向こうからやってくると思うの。もちろんオーティス様から信頼を勝ち取るために頑張るから。私があなたを救うことができるようになるまで、銀ネズミさんはもう少しだけ頑張ってもらえないかな。すぐに役に立たなくて申し訳ないけど」
クララの謝罪を聞いた銀ネズミはがっくりと肩を落とした。
そしてトボトボと哀愁を漂わせながらオーティスのいる執務室側の壁に向かって歩き始める。
「私、本当に頑張るから。だから、信じて待っていて」
クララが声をかけても、銀ネズミは振り向きもせず壁をすり抜けて行ってしまった。
「銀ネズミさん落ち込んでたね」
『王太子にクララの話を信じさせる、か。まずはそこからかだね』
「そうなんだけど……」
朝食を食べていた時とは別人だと思えるほど、悲しみの表情を浮かべるクララ。その姿を、シェリルはデザートの生クリームがたっぷり乗ったプディングを食べながら、じっと見つめていた。
わざわざここでクララが、シェリルの前でこんな意味のない一人芝居をする必要があるだろうか。
そんなことをしたら頭がおかしいと思われるだけなのに、それをわかっているはずのクララは何かに向かってずっと話し続けている。
精霊が見えるというのは本当なのかもしれないと、少しだけだがシェリルの考えも変わりつつあった。
シェリルが全肯定できない理由のおおもとである茶色い蜘蛛は、精霊会議にはまったく興味を示さず、ひとり気ままにふわふわと部屋の中を漂っていた。
しかし、元来精霊とはそういうものなのだ。
例外の筆頭が精霊喰いなのである。
「何をやっているのかよくわかんないけど、早くデザートを食べないと王太子殿下が迎えにきちゃうわよ」
「あ」
シェリルには精霊の姿が見えないのだから、信じられないのは仕方がない。いつものように怒鳴られないだけましだろう。
「そうですね……」
『いいこと思いついた。我にまかせてよ』
「何かいい案があるの?」
『まあね。王太子が来てからクララは我の言う通りにして』
「わかった」
クララはプディングを急いで完食した。
それと同時に、食堂室のドアがノックされてオーティスが顔を出す。
「そろそろよいか?」
「はい。ちょうど食事が終わったところです」
「今日はよろしくお願いいたします」
オーティスの頭の上にもどった銀ネズミは、もうクララのことを見ていない。いい返事がもらえず失望してしまったようだ。
それに気がついたクララがしょぼんとしていると、黒ウサギから最初の指示が発せられた。
『これから我が言ったことをそのまま王太子に伝えて』
クララはそっとうなずく。
「これから、まずは王宮の深層部、限られた者だけが入ることを許されている場所を案内する。そのあと内層部へ行くが、そのへんまでは警備が厳重だから何かあっても声をあげればすぐに誰かが駆けつける。王宮内では安全な場所だ。その上で七妃が精霊宮から出た場合は護衛もつくので、内層部までは安心して過ごせると思ってもらっていい」
「護衛……これからお守りくださる方たちは、先ほど案内してくださった騎士様たちとは別の方たちなんですね」
「――どうしてそんなことを聞く?」
「部屋の外で待機されている方が男性のようなのでそう思っただけです」
「確かにそうだが、クララはこの部屋から出ていないだろう? 声でも聞こえていたのか」
訝しげに質問するオーティス。
(なんか疑われているけど、どうするの。なんて返事をしたらいいの?)
クララが焦っていると、黒ウサギから次の指示が入る。
『いまは笑って誤魔化しておいて』
(そんなこといわれてもオーティス様から凝視されてるんだけど……)
『とにかくいまはそうして』
しかたなくクララは言われた通り口角を無理やりあげて微笑んで見せた。
「ふっ、クララは耳がいいようだな」
本当にそう思っているのか怪しい言い方だ。何かを誤魔化していることもわかっているのだろう。
クララのとなりでは、シェリルが変なことを言うなと、眉間にシワを寄せて無言の圧力を放っている。
「まあよい」
オーティスは追及することなく、食堂室から直接廊下に出ることのできるドアのカギを外して開けた。
そこに待機していたのはオーティス専用の護衛騎士。クララが言ったように女性の騎士ではなく四人の男性だった。
オーティスはそのことにはふれず、クララとシェリルをつれて廊下に出る。
「深層部は王族の居住地だから、七妃といえども入っていい場所は少ない。行き来できるところは賓客用の特別室と共通の中庭くらいだな」
執務室より右側は立ち入り禁止区域、左側は長い廊下がずっと先まで続いている。
その途中にひと際明るい場所があった。
大きなのガラス扉が続き、廊下まで日差しが降り注いでいる。どうやらそこが中庭のようだ。
おとといの雪は解けていた。とはいってもこの季節の花壇はもの寂しい状況なのだが。
「花が咲いているの? 垣根に桃色の花がたくさん?」
黒ウサギの言葉をそのまま言う予定が、クララは聞き返してしまった。
「なぜそれを? クララはここへ来たことがあるのか?」
「いいえ、すみません。なんでもありません」
慌てて謝ったものの、変な空気が生まれてしまい、シェリルから睨まれてしまう。
それでもそのまま進んで行くと、そこには確かに垣根があり、桃色の小さな花がたくさん咲いていた。
「この花は挿し木も植え替えもできない。ここでしか咲かない特別なものだ。それをなぜ初めてここへ来たクララが知っている?」
何度も不審な発言を続けていたせいで、オーティスもいい加減無視しておくことができなかったようだ。
「それは……」
クララがそばにいる護衛騎士たちのことを気にして口ごもる。
「私が一番信頼している者たちだ。ここで見聞きしたことを絶対にもらすことはない」
王妃の内通者がいて、クララたちのことが筒抜けだったら困る。心配しているのはそこだ。
「絶対ですか?」
「絶対にだ」
「わかりました。ではお話いたしますが、実は月精霊が教えてくれたからです」
「月精霊だと?」
「クララ!」
すかさずシェリルが止めに入る。しかし、それをオーティスが制した。
「よい。私はクララの話が聞きたい。それで?」
「前にも言いましたが、私は精霊と交流ができるので、護衛騎士様のこともあの桃色の花のことも、先にそれを見て知った精霊から聞いたことなんです」
「それは本当なのか?」
「はい。ですから、たとえば私がうしろを向いている状態で、オーティス様が何をしているか当てることができます」
「ほう、それはおもしろい。では実際にやってもらおうか」
そう言われたので、クララは壁に向かって立ち、両手で自分の目をふさぐ。
「それでは始めよう。いま私は何をしている?」
「左手が三本、右手が四本。その手をかざしています……そしていま、右手で顎をさわりました」
「なるほど、では、今度はどうだ」
オーティスは両手を背中に隠し、そこにいる誰にも見えないようにしてから、王家の指輪を左手の人差し指から他の指に変える。
「指輪を中指に入れ替えました」
「確かに」
そんなことを数度繰り返した。
そしてそのすべてをクララは当てて見せた。
「これで信じていただけましたか?」
「巷には手品という娯楽もあって、奇術師なら同じようなことができるかもしれない。だから半信半疑といったところだな。悪いが私は疑り深いのだ」
「さようですか」
黒ウサギの案で、ここまでやってもまだダメらしい。
(でも、半分は信じてもらえたってことだもの。少しは進歩したんだと思う。この調子で頑張ろう)
自分に活を入れる、そんなクララの様子を見たオーティスは、何が琴線にふれたのかとても珍しいことにこっそり笑みをこぼしていた。
それから内層部へと移動して、次に案内されたのは、王宮の中央に配置されている謁見の間。
重厚なドアが開かれると、壁際には磨き上げられた鋼鉄の鎧が並んでいて、その荘厳さと重苦しい雰囲気からこの場所がいかような役割を担っているのか、何も行われていな状況でもひしひし伝わってくる。
そんな静まり返った空間の中、クララたちが歩くたびに石造りの床からコツコツと高い音が響いた。
(ここにはあまり長くはいたくないかも……)
特段見る場所があるわけでもないので、すぐに謁見の間から退出して、次の場所へ移動することになった。一行が開きっぱなしの入り口に向かっていたその時。
『きた!』
「え?」
黒ウサギの叫び声が聞こえた次の瞬間、何かがクララたちのほうに飛びついた。
「まさかこれが精霊喰い!?」
それはとても美しい毛並みをした銀色の狼だった。
光の加減で銀色のその毛が七色に輝いている。何色もを保有する精霊は精霊喰いしかありえない。
クララは咄嗟に動くことができず、あわや黒ウサギが銀狼の牙の餌食になると思われたその瞬間。
突然銀狼がその動きを止めた。
『恐れをなしたか。我にあだなし歯向かうことあらば、その身を漆黒の闇に染め上げ、深淵に引きずり込もうぞ。お主にその覚悟はあるのか!』
「リオン!?」
『いまだ、クララ!』
「え? あ」
銀狼がクララの目の前で動きが止めている。いまが絶好のチャンスだ。
「ごめんなさい」
クララはそう言いながら銀狼の頭に拳骨を落とした。
何かを殴ったことがないクララの、それが精いっぱいの反撃。
なんの威力もなさそうな弱々しい拳であっても、殴られた銀狼は床に倒れ込んだ。
さすがは女神特性の身体である。
しかし、銀狼はすぐに立ち上がり、踵を返して謁見の間から飛び出していく。
クララが後を追って廊下に出ると、そこには何人もの侍女たちの姿があった。
「母上」
その中心に、銀狼の宿主である王妃、その人がいた。




