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32 愚かな娘

 精霊宮の外。それはすなわち国の中枢である王宮内。


 実はクララ自身も早急に外出の許可をとって王宮の中を見て回るつもりだったので、オーティスの指示で一時的にも王宮に居住地を移せるのであれば、精霊喰いの情報を集めるまたとないチャンスであった。


(動ける時間はきっと数日しかないと思うけど、この機会に頑張らないと)


「今回のことだが、七妃と精霊宮に出入りできる者たちには何も告げず、秘密裏に調べるつもりだ。その靴の持ち主が証拠隠滅を図るかもしれないのでそれを阻止するのが主な理由だが、七妃たちにはあまり不安を与えたくないからな」


 問題はクララたちが外に出るための口実だとオーティスは言う。


「では、七妃としての教育を受けさせる。というのはいかがでしょうか」

「どういうことだ?」

「私は社交界デビューもしておりませんし、ほかの方たちとの経験の差は明らかです。七妃としての自覚が薄く、思考も幼くお粗末で、月の宮の主人として心もとないことと思います。ですので、オーティス様がそれを目の当たりにして、あまりにも言動が酷かったので急遽最低限の教育を施すこと決めた。ということでどうでしょうか」

「それなら私も同じ理由が使えます」


 もともと男爵家の出身であるシェリルも、マナーなどは短期間で詰め込んだ付け焼刃であるので、教育が必要だと言われれば納得はできる。


「それでは二人の名誉に傷がつくことになってしまうと思うが、それでもいいのか?」

「私はかまいません」

「私も。そんなことより命のほうが大切です」


 どちらかというとシェリルは、避難しなければならないという危機的状況からの脱出というよりは、単純に精霊宮から出られることへの嬉しさが勝っていて、浮かれている声からなんとなくそれが伝わってくる。


「そうか。二人がそう言うのであればよいか。精霊宮から出る理由は、講師や教育係が精霊宮には入れないからであるし、なんとかその案でいけそうか……」

「そうと決まれば、その上でぜひ、あの赤い花を部屋に飾るほど愚かで頭が弱いようだと、皆様にお伝えくださいませ」


 そんなことをニコリと微笑みながら突然クララが言った。


「それはなぜだ? そこまで自分を貶める必要があるのか?」


 オーティスは、いまだにクララの性格を掴むことができず、初めて会ってからというもの、ずっと口から飛び出す言葉に翻弄されてばかりいる。


「はい。馬鹿な子どもに張り合う方はいらっしゃらないと思いますので、そのほうが私は暮らしやすいのです」


(理由はそれだけじゃないけど)


「そうか……」


 クララとシェリルは身の安全が保障されるまで、王宮の客室で過ごすことがオーティスの一存で決まった。


 とはいっても、黒藍色の夜空に美しい星がきらめいている時刻。早い時間に帳が下りる季節とはいえ、これから寝所を移動するとなれば、誰が見ても怪しく思うだろう。何をしているのか、オーティスと何があったのか、疑わしい目で見られないわけがない。


 こうやってオーティスと夜に会っているだけでも、七妃たちから咎められる恐れがあるというのに。


(今日はシェリル様がいてくれて、本当に助かった)


 キンバリーから再び責められたとしても、二人きりでは会っていないと一応説明がつく。


「今夜から移動するのはさすがに難しいと思う。明日の朝、私の使いが迎えに来るまで、念のために月の宮のドアは誰が来ても鍵をかけたまま対応して過ごしてくれ。絶対にひとりきりでは行動しないこと」

「承知いたしました」

「シェリルも同じように土の宮へ戻ってからは、誰も部屋には入れないように」

「わかりました」


 オーティスつきの近衛騎士をドアのまえで待機させることも打診はされたが、クララはその提案を即座に断った。

 普段はドレス姿か侍女服姿の者しかいない精霊宮に、近衛騎士のその仰々しさは目を引く。一晩中月の宮の前に立たれたりなどしたら悪目立ちして、よからぬ噂が立ってしまうだろう。そんなことになったら、七妃との溝が深まり、今後どうしようもなくなってしまう。


「また、明日」


 そう約束してオーティスはソファーから立ち上がり月の宮から退出していこうとした。


 クララは部屋を出ていくオーティスの後ろ姿を見つめ、その頭の上で、クララを凝視している銀ネズミとずっと視線を交えていた。


「もし、私に伝えたいことがあるなら、ひとりで部屋へ会いに来てください」


 声を出さずに、銀ネズミへと話しかけるクララ。

 誰ひとり信じてくれる人がいないからこそ、訴えかけている銀ネズミを放ってはおけない。


 しかし、オーティスには本当に頭がおかしな娘だと思われるのもまずい。そのため、クララはオーティスのいない場所で銀ネズミと会いたかったのだ。


(そういえば、オーティス様の用事ってあれだけ? 言伝でもよかったと思うけど、もしかしたら私の様子をわざわざ見に来てくれたのかな?)


 ふと、そんなことがクララの頭をよぎる。


 一方、一緒に居住地を移すことになったシェリルは、土の宮に侍女を受け入れていないため、荷物はシェリル自身で準備する必要があった。

 月の宮でイルサが何を用意しているのか、それを見て確認してから土の宮へ戻ることになり、その際は万が一のことも考えてイルサが付き添いちゃんと土の宮まで送り届けていった。


「銀ネズミさんのことも気になるけど、明日、王宮で何が起きているのか、ちゃんと確認しないとね」


 ひとり月の宮に残っていたクララは、黒ウサギに話しかけ、黒ウサギはそれに頷いた。


 ◇


 次の朝、予定通りにオーティスの使いの者がクララたちを迎えにやってきた。

 精霊宮と外界の間にある頑丈な扉を抜けて、王宮へと足を踏み入れたクララの感想は


「本当に食い荒らされている」


 であった。


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