23 土の宮の主人 シェリル・アンバー 2
「どこでも好きなところに座りなよ」
クララにそう言ってから、シェリル自身も部屋の中央にあった三人掛けのソファーへ勢いよくドスンと腰を下ろした。
そして、背もたれに身体をあずけ気怠そうなかんじで、顔に掛かっていた茶色い髪をかき上げる。
しかしその視線は、前に座ったクララを遠慮もなく凝視していた。
(可愛い。まるでお人形みたい……)
自分が観察されていることもかまわず、シェリルの素顔を見たクララはそんなことを考えていた。
シェリルは若葉色の大きな瞳とウェーブのかかった茶色の髪が印象的で、身なりを整えていれば、クララが思ったとおり見た目は愛らしい少女である。
今のところはとても残念な状態なのだが、ほかの七妃と並んでも容姿で劣ることはないだろう。
(いけない。時間がなかったんだわ。こっちから話しかけても大丈夫かな)
口を開こうとしたクララだったが、その瞬間にあるものが目の前を通り過ぎたため、ぎょっとして身体がのけぞってしまった。
(タ、タランチュラ!?)
目の前にふよふよと浮いている土の精霊らしきものが、どう見ても巨大な蜘蛛だったのだ。
驚いたクララが口を半開きのまま固まっていると、黒ウサギが顔の前に飛んできてそのタランチュラを身体で隠した。
(リオンの気持ちはありがたいんだけど、前が見えなくなっちゃった……)
タランチュラのことがすごく気になる。
クララは虫を観察するのが好きだったので、蜘蛛が苦手なわけではないが、この土精霊は猫くらいの大きさがあって、威圧感を感じていた。
(また、威嚇されているのかな……蜘蛛なので表情がわからないけど。でもほかの精霊たちと違って自分のほうから私に近づいてきたし、どうなんだろう)
できればすべての精霊たちとお近づきになりたいと思っている。しかし今日は時間がないので、土精霊のことはあとにしてシェリルだけに意識を集中することにした。
そのため邪魔になっている黒ウサギを捕まえて、クララは自分の膝の上に乗せる。
「何をやっているの?」
驚き、硬直して、空中に手を伸ばしたその仕草が、精霊を見ることができないシェリルには不可解に映ったため、眉間にしわを寄せた顔で睨まれてしまう。
「すみません、なんでもないので気にしないでください。あらためまして、月の宮に入りましたクララ・ハイパーです。よろしくお願いいたします」
「クララ・ハイパー? ハイパーって伯爵家だっけ」
「はい」
「養女とかではなく、生まれも育ちもハイパー家?」
どうしてシェリルがそんなことを聞くのか。
(まさか私の出生のことを知っているの?)
一瞬戸惑ったものの、本当のことなど言えるわけもない。クララは急いで返事をする。
「そうです。ハイパー家以外で暮らしていたことは一度もありません」
クララがハイパー家に押し付けられた子どもだということは極秘なので、嘘でもその質問には肯定するほかなかった。
「あんたも嫌がらせのための道具として選ばれたくらいだから、私と同じで、伯爵家の養女にされてから送り込まれたのかと思ったけど、ちゃんとした令嬢みたいね。あーあ、仲間かと思ったのに残念」
「私はちゃんとした令嬢ではないかもしれませんけど……」
表面上、取り繕うことはできる。というだけだ。社交の経験がないため、いつボロがでてもおかしくはない。
「それってどういう意味?」
「身体が弱かったのであまり外に出してもらえなくて、今まで家族以外とはほとんど交流したことがありません。ですから、皆さんとちゃんと会話ができているのか、ここに来てずっと心配をしています」
「もしかして、箱入り娘ってやつなの? 本当に私とは正反対みたい。それでも、箱から出たと思ったら今度は籠の鳥なんて最悪だね。あんたもついてないよね」
今まで会ったほかの宮の主人たちは、どちらかというと七妃に選ばれたことを喜んでいた。ブルーナだけはそうでもなかったかもしれないが、ここまであからさまに嫌がってはいなかった。
「シェリル様は精霊宮に来たくなかったのですか?」
最悪という言葉で、シェリルが現在の状況を憂いていることがうかがい知れた。
「この髪がこんな色じゃなかったら、こんなことにはならなかったのに。とは思っているよ」
シェリルは頬にかかっていた髪の束を掴んで忌々しそうに見つめた。
「どんなことがあっても自分の意思では出ていくことができないなんて、誰も信じられないこんな怖い場所でこれからどうやって生きろっていうの」
ソファーの上で膝を抱えて、顔を隠してしまうシェリル。
事件のせいで侍女は敵としか思えなくなってしまっていた。
元は男爵家の令嬢のため、今まで会ったこともなかった階級の違う令嬢たちと気が合うわけがない。
悪態をつきながらも精霊宮で暮らさなければいけないことに怯えていたのである。
(シェリル様は本当に孤独なんだわ。勝気な態度も自分を守るため?)
もし心を許せる誰かを欲しているのであれば、それはクララも同じだった。
(シェリル様はきっと誰ともつながっていないはず。信じても大丈夫かもしれない)
「私はシェリル様が思っているような箱入り娘ではありません。ハイパー家での私の扱いは、存在しない子どもでしたし、両親からは嫌われていました」
「え?」
「優秀な姉が体調を崩したために代わりとして精霊宮にくることになっただけで、できれば目立たずにひっそり暮らそうと思っていたんですけど、いろいろなことに巻き込まれてしまってどうしたらいいのか困っていたところなんです」
クララの言葉を聞いたシェリルは、クララのほうこそ下手をしたら死んでしまったっていたことに気がついた。
それがどんなに恐ろしいことかも。
そして、クララは伯爵家で幸せに育った令嬢ではなく、自分と同じような境遇だったらいいのにと思っていた、その状況であるかもしれないと。
「もし、シェリル様がよろしければ、私の話を聞いてほしいんです。それで相談相手になってもらえませんか?」
「私が?」
「信用ができる人を探しているのは私も同じですから」
「本当に?」
「本当です。だから私と」
コンコン。
クララが何かを言いかけた時に、部屋のドアがノックされて、数秒後にイルサがそのドアを開けて顔を出した。
「約束のお時間ですよ。クララ様」
イルサはシェリルから承諾をされていないのに土の宮のドアを開けるという不敬を働いている。咎がクララにいく可能性もあるのだが、それよりも心配が勝っていた。
部屋には入らず、ドアのところから十分過ぎたと、珍しく強い口調でクララに告げる。
「わかりました。シェリル様、また来ます」
「……」
シェリルが返事をしなかったので、この短い時間でクララのことをどう思っているのかはわからない。
(お友達になってもらえると嬉しいんだけど)
クララはイルサにうながされて、土の宮を後にした。




