19 水の宮の主人 ブルーナ・ラピス
「次は水の宮のブルーナ様のところですね」
「このまま参りますか?」
「はい」
ラピス伯爵家のブルーナは、ミリーアが言ったように、世間的にはエリザベートと七妃の座を競っていたことになっている。
エリザベートにそんなつもりはなかったが、ブルーナからしてみれば、エリザベートが病気のために辞退したから次点で選ばれたと言われることに対してなんとも思わないわけもなく、妹であるクララを敵対視していてもおかしくない。
(でも、だからといって挨拶に行かないわけにはいかないものね)
「ブルーナ様って図書館でお見かけした方ですよね?」
「本が好きで、よくいらっしゃるようですよ」
(どんな分野の本を読んでいるのかしら。お姉様とのことがなくて趣味が同じなら、楽しくお話できたかもしれないのに……)
残念に思いながら、廊下を進み、クララは水の宮を訪ねた。
「始めまして。きのうから月の宮に入りました、クララ・ハイパーと申します。以後お見知りおきを」
ミリーアの時と同じように挨拶をしてから香水瓶を侍女に渡し、部屋を出ようとしたところで、今回もクララは呼び止められた。
ブルーナはすらっとした容姿で、『火の宮』のミリーアとは対極な女性である。
シンプルな白いドレスを着た清楚な美人で涼し気な佇まいのせいかとても落ち着いて見える。そして目を引くのはマリンブルーという緑がかった青い髪だ。
ブルーナのようなふたつの色を掛け合わせたような髪の場合は二体の精霊から加護を受けていると言われていて、木精霊の加護よりも水精霊の加護の方が強いので、髪も青いのだそうだ。
七妃に選ばれる令嬢は二色もちが多く、ブルーナ以外も、 木の宮のキンバリー・ブラッドストーンと土の宮のシェリル・アンバーも二精霊の加護を受けていた。
(ここには青い蝶々しかいないから、たぶんあれが水精霊だと思うけど、木精霊はどこにいるのかしら)
クララの目は光沢のある青い羽でひらひらと部屋の中を舞っている美しい蝶に目を奪われた。木精霊を探してキョロキョロしてしまったが、姿が見当たらない。
ここで、木精霊の居場所を黒ウサギに聞くわけにもいかず、いったん探すのをやめることにした。
「申し訳ありませんが、まだご挨拶に回るところがございまして」
「精霊宮に入ったばかりでお忙しいわよね。でも、先にお話ししておきたいことがあるの」
「お話とはどのようなことでしょうか」
ブルーナはソファーから立ち上がってクララのところまでやってくる。平均的なクララやイルサに比べるとブルーナは背が高かった。
「私はエリザベートさんに対して同情しているのよ」
(同情? 精霊宮に入れなかったから?)
クララはどう返事をしたらいいのか迷って無言になってしまう。
「順番でいえば、ミリーア様への挨拶を終えてここに来ているのでしょう? あの方は昔から私のことをお気に召さないようなので、何か言われたのではないかと心配をしていたの」
(そういえば、女狐とか、最悪とか言っていた)
「やっぱり何か聞いているのね。ミリーア様とは水と火だから、相性が悪いのだと思うわ。それはどうにもならないことだけれど、私はもともと精霊宮に入りたかったわけではないし、誰とももめずに穏やかに過ごしたいの」
「私もそうです」
「よかった。クララさんとならお友達になれそうだわ。本当はエリザベートさんとだって仲良くしたかったのだけれど、ライバルだからと家族が許してくれなくて」
「そうだったのですか?」
「ええ、精霊宮に入れる可能性がある令嬢は、同じ属性の加護を受けていると敵対していることが多いから」
ほとんど外に出たことがないクララは、黒髪はもちろん灰色髪をしている者とも会ったことがなかった。
(同じ系統の精霊から加護を受けているというのに、友達になれないなんて残念すぎる)
「精霊宮のことだけではなくて、その色の違いでより加護が強いという優位性も生まれてしまうから、同じ色だとどうしてもうまくいかないのよ。こればかりはしかたないことだわ」
「私は家からあまり出たことがなかったので、知りませんでした。月精霊の加護を受けている人に出会ってもなれなれしくしないほうがいいのでしょうか」
精霊宮にいる限りその機会はほとんどない。しかし、侍女の中にはいるかもしれない。
「そうね。きっと相手は見下されているととってしまうと思うの。気をつけたほうがいいと思うわ」
「ありがとうございます。肝に銘じておきます」
クララは七妃であるため、高慢であっても誰に咎められることもないのだけど、むやみに敵をつくる必要もないので月精霊の加護持ちには近づかないほうが賢明だろう。
「あなたはエリザベートさんと似ているのかしら? だとしたら、ほかの七妃には気をつけなさいね。エリザベートさんのように暇つぶしの対象にならないように」
「姉に何があったのですか?」
精神を病むほどの何かを誰かにされていた。そのことはクララも承知している。
(でも、誰に何を?)
「彼女、七妃の座を争うには、あまりにも気が弱かったの。かわいそうにね。大人しくて嫌味や嫌がらせに言い返すこともできず、いつも暗い顔をしていたみたいだから」
心根が優しいエリザベートらしい。高慢な態度のエリザベートの姿をクララは思い浮かべることもできない。
(怖い人ばかりの精霊宮に、お姉様が入らなくて本当によかった)
「私なら大丈夫です。姉と違ってあまり気にならない性格なので」
クララの言葉にブルーナが優しく微笑む。
「クララさんとはもっとお話がしたいわ。こんなところに立ったままではなくて、ソファーでお座りになって。いまお茶を用意させますから」
「すみません、今日は本当に時間がないので、次の機会にお願いできませんか」
「そうなの。時間がある時にでもゆっくりお話ししましょうね」
「はい。ためになるお話をありがとうございました」
クララはお辞儀をして、水の宮から退出した。
(ブルーナ様とミリーア様は仲が良くないのよね。あと、ミリーア様がキンバリー様とメルティ様のこともよく思ってないみたいだったわ)
「イルサさん、あとで何かメモするものを用意してもらえませんか」
「わかりました」
誰と誰がどんな状態なのか、相関図を作っておこうとクララは思っていた。
「そういえば、月精霊と相性が悪い精霊もいるのでしょうか」
「日精霊といわれておりますから、日の宮の主人であるヘイオドール家のナナリー様ということになりますね」
「イルサさんはナナリー様とお会いしたことは?」
「ございません。噂ですと、ナナリー様は上昇志向が強いらしく、とても利発なのでミリーア様やキンバリー様も理詰めで言い負かされることが多かったとか」
「あのミリーア様を言い負かすなんてすごいですね」
「ええ。というよりも、ブルーナ様もおっしゃっておりましたが、七妃はクララ様以外気が強い方々だと思ってご対応いただいたほうがよろしいかと」
「そうですか」
目立たず大人しくしていても、嫌がらせされる可能性があるらしい。
(でも、慣れているので大丈夫かな)
クララの脳裏にはマリアンヌの姿が浮かんでいた。




