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16 女神からのお願い

「王妃様を泉にぶち込む!? そんなこと絶対に無理ですよ」

「でも、それくらいしか方法がありません。そしてそれを知っているのは今のところ、この世界でクララひとりだけです。わたくしはここから動けませんし、あなた以外の誰かがやってくれるのを待っていたら、いったいつになることでしょう。時間がたてばたつほど精霊たちが喰い散らかされてしまいますわよ」


 ふうっと、らしからぬため息をつく泉の女神。


「そんなことを言われても、王妃様を泉に突き落とすなんてことをしたら、私は不敬罪で処刑されてちゃいますよ」

「大丈夫です。ずっと言っているようにあなたの身体は簡単にどうこうできるものではありませんから」

「それでも何かされたら痛いんですよね。それに物理的に何をしてもだめなら、最終的にはどこかに閉じ込められて放置されちゃうと思います。食事が与えられなければ死んじゃうって、女神様がさっき言ったばかりじゃないですか」

「では、清めの儀式をするように、宿主を説得してください。もちろん、指先だけではなく、全身泉に浸かる正当なやり方で」


 結局のところ、王妃を泉に入れる、または自主的に入ってもらうしか手がないようだ。


「この国ができた頃、王族に加わる人間については、わたくしがそれまでの穢れを祓ってから迎えること。そう王には伝えておいたのですけれど、最近は何もかもがおざなりにされていて困っていたところなんです」


 泉の女神はずっと長い間、この場所にいるらしい。

 そして、清めの儀式にはまっとうな理由もあった。


「それから、クララには他にもお願いしたいことができましたから聞いてほしいのですけれど」

「私が説得なんて、どう考えても無理ですし、女神様からお願い事をされても、なんの力もない私ではできないことのほうが多いと思いますよ」


 クララが協力したくても、立場上できることは限られている。今現在、精霊宮に閉じ込められている状態でもあるのだから。


「嫌だと言われても、現状わたくしを認識できる人間はクララしかいませんし、クララだからこそできることなので、他の誰にも頼めることではありませんわ」


 泉の女神は、神であるからか、無理難題を平気で言ってのける。お願いとは言っても、女神の押しが強いことをクララはそれまでのやり取りで学んでいる。

 そのため少しだけ警戒した。


「何度も言いますが、月の宮にあるあなたの身体は、神であるわたくしが作ったものなので、簡単に傷つけられることはありません」

「はい。そのことについては感謝しています」


 クララの本物の身体は冷たい水の中で息が続かずに胸の鼓動を止めてしまった。だから、現世に戻るために、女神の用意した身体で復活するしかなかったのである。


「あ、でも体形はもとに戻してください」

「貧相なままでかまわないと言うの?」

「はい。それが私なので」

「そう。でしたら、そうしますけど、その代わり精霊喰いに精霊たちが食べられないように、その身体で守ってもらえないかしら。もちろん守れる範囲で構わないのだけれど。それができるように、とりあえず、あなたの瞳で精霊が見えるようにしておきますわ」

「え?」


 泉の女神がそう言った瞬間、クララの目の前に突然黒いウサギがふよふよと浮かんだ。


「それが、あなたに憑いてる精霊です」

「月精霊?」


 クララは空中に浮かんでいる黒ウサギを目で追う。


「精霊って、思っていたよりずっと可愛い」


 黒ウサギの方もクララが自分の存在に気がついたことを知る。

 そのため、ちょうどクララの正面、それも目の高さで停止して、クララと視線を合わせた。


「えっと、初めまして……じゃないかもしれないけど、クララです。今までありがとう。それからこれからもよろしくお願いします」


 黒ウサギはクララの挨拶を聞いて、こくこくと首を縦に振った。


「精霊さんは喋れないんですか?」


 黒ウサギからは嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。それなのに何も言わないので、クララは泉の女神に確認をする。


「ええ、人間とは会話できません。それからクララに反応するのは、あなたに憑いているその月精霊だけです。精霊のほうがクララに興味をもたない限り、他の精霊に話しかけても何も応えません」

「話ができないのは残念ですけど、それは仕方ないことなんですね……えっと、月精霊さんの名前はなんて言うんですか」


 交流ができるようになったので、呼びかけるために知っておく必要がある。


「精霊同士は名乗り合ったりはしませんからもともと名前はありません。わたくしたちは識別番号で判断していて、この精霊の番号はR96632ですね」

「アールキュウロクロクサンニ?」


 クララは数字の羅列を繰り返してみたが、呼びにくい以前に、精霊たちが番号で認識されているということに驚く。


「それが嫌なら精霊が好きなように呼んでいいと言っていますし、クララが名前をつけてくださっても結構ですよ」

「私が? いいのでしたらそうします。それにしても、こんな可愛い子たちを食べるなんて、精霊喰いは酷すぎますね」

「わたくしも、この世界から精霊を減らされたら困るので、クララに守ってもらいたいのです。それにそれはあなたのためでもありますしね」

「姿を見たら私も実感がわきました。女神様からもらった身体でそれができるのなら、精霊宮にいる精霊たちが犠牲にならないように頑張ってみます」


 加護もちだと言われても、今までは精霊のことを気にしたことがなかったクララ。

 それが、目に見えるようになったことで、不思議なことに月精霊との繋がりを強く感じるようになった。


「やる気がでたみたいで安心しました。精霊喰いを見つけたら、邪魔するついでに拳で直接殴ってみてください。お祓いの効果があるはずなので少しは大人しくなると思います。そのかわりに、宿主の王妃の件は、何かいい方法がないか、次に会うときまでに考えておきますから」

「精霊喰いを殴ればいいんですね。やったことはないですけど挑戦してみます」


 そう言って、握りこぶしをつくってみせるクララ。

 ところがその身体は、女神のもとを訪れた時に比べて、かなり薄くなっていた。


「そろそろタイムリミットのようですね。このまま身体と分離しているのはよくありません」


 女神がそう言うと、召使いである美しい女性がティーカップを持ってきて、無表情のままクララの目の前にガシャンと置いた。驚いて美女を見つめるクララ。


「この人って……もしかして」

「あなたが選ばなかった身体を使い魔にしてみましたの。生れたてなのでまだ躾がなっていなくて。ごめんなさいね。でも、そのお茶を飲めば身体との親和性が少しは増すしますわ」

「ありがとうございます。時間がないみたいなので早速いただきます」


 幽体離脱が何度も起きるのは困る。そう思ったクララは、用意されたそのお茶を迷うことなく一気に飲み干した。


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