15 精霊喰い
『夢って、ありえないことや辻褄が合わないことが多いとはいえ、王妃様になんて会ったこともないし……いろいろありすぎて頭がどうかしちゃったのかしら』
クララが自分の心配をしていると、今度はとり憑いていた侍女の身体から突然ポンッと外に弾き出された。
『え、なんで? また勝手に動いている』
侍女たちに会う前のようにクララの身体はまたどこかに向かって移動を始めた。そして廊下から壁をすり抜け外に出てしまう。
『まるで幽霊みたいだわ。もう、なにがなんだかわかんないけど、きっとまた思ってもみないことが起こるのよね』
おかしなことの連続で、クララは現状を真面目に考察しても意味がないことを悟る。だから、とりあえず様子を見ることにした。
身体はどんどん進んでいき、そして、ある場所にやってきた。
それは聖域。女神が住まう泉。
音もなく泉に吸い込まれるクララ。
「あら、こんなに早く訪ねて来てくだったのね。歓迎しますわ」
クララの身体は出迎えた泉の女神を目の前にして、やっとその動きを止める。
「今度は女神様? 確かに印象深い出来事だったけど、でも私はどうしてこの場所に来たのかしら。本当に意味がわからない夢だわ」
「夢ではありませんよ」
クララの言葉を泉の女神がすぐに訂正する。
「夢じゃない? 人にとり憑いたり、壁をすり抜けたりしたのに」
「それはクララが霊体だからですもの。きっとあの身体にまだ馴染んでいなかったのね。定着できなくて抜け出してしまったのだと思いますわ」
「霊体? 夢じゃないんだったら私が見聞きしたことは本当だったって言うんですか?」
「ここに来るまでに何があったのか、わたくしにはわかりませんが、あなたの身におきていることはすべて現実ですよ。クララは幽体離脱をしたせいで、もとの身体を求めてここまでやってきてしまったのではないかしら」
どうやら疲れはてて眠っていたところ、もらった身体から霊体だけが抜け出してしまったらしい。
クララはそれが現実だと知って息を飲んだ。だって、恐ろしい真実を知ってしまったのだから。
「それが本当なら私はどうしたらいいんでしょう。会ったこともない王妃様に、月精霊の加護があるってだけで、命を狙われているみたいなんです。今日、私が殺されかけたのも王妃様の命令によるものらしいんです」
霊体で精霊宮を彷徨っていたために、偶然、侍女の話をを耳にすることになった。そして自身の危機を知ってしまったクララ。
「あら、それは大変ですわね。それでもクララのあの身体なら大丈夫ではないかしら。物理的はもちろん毒や病でも害することはできませんから」
「そうなんですか?」
困惑しているクララ本人は気づいていないけど、その身体は幽霊のように透けている。女神が言うには、入れ物である身体は『月の宮』のベッドで死体のごとく横たわっているそうだ。
そんな普通ではない姿をしているクララが色っぽい部屋着姿のまま相談をしていて、一方女神のほうはというと、光沢のある白い生地にたくさんのクリスタルが縫い付けられてる豪華なドレスを身につけている。
ふたりは座り心地のいいゆったりとしたソファーに座って会話をしていた。このちぐはぐな状況にお互い何の戸惑いを見せていないのは、二度目だということもある。
命の危機を感じている現在のクララには気持ちに余裕がなく、今さらそんな細かいことを考える気にもならなかったし、女神はクララの来訪をとても喜んでいた。
その証拠に、あられもない姿のクララを約束通り「いらっしゃい」と自分の暮らしている空間に女神は気さくに招き入れている。
実はクララが泉の女神と知り合ったのは、月精霊がクララに与えた加護のよるものが大きい。
人外とちょっとだけ縁があるという加護が作用したおかげか、クララは溺れて一度はあの世に逝きかけたというのに、ある条件を満たさなければ、話をどころかその姿を見ることもできない泉の女神の手によって生き返ることができたのである。
「あの身体に弱点がないわけではないけれど、狙われていたとしてもそれほど問題はないと思いますわ」
「問題がなくても、弱点は念のため知っておきたいです」
命を狙われている以上、今後何があるかわからない。
「簡単なことですよ。生命活動に必要なことを妨げなければいいだけですから」
「それは、食事とかですか」
「あとは、息をすることもです。それでも、通常の人間に比べれば百倍は頑丈ですから心配することはまずありませんよ」
極端な話、一年近く絶食しても平気だし、二時間以上息を止めることができるのだと言う。絶対に出られない部屋に閉じ込められるとか、土に生き埋めにされるとか、重りをつけて水に沈められるようなことがない限りはほぼ無敵らしい。
「寒さや暑さ、痛みなどは普通に感じますが、命に係わることはありませんから安心してください。そんなことよりも、クララに憑いている月精霊がちょっと気になる情報をもってきましたの」
「情報?」
いくら丈夫でも、寒かったり痛かったりするのは嫌だなと思いながらも、女神の話が気になったクララ。
「王妃様のこと以外にですか?」
「月精霊が王宮にいる精霊たちの中に嚙み傷があるものがいたと言っています」
「嚙み傷?」
「ええ。あなたが命を狙われているのは、きっとそれが原因なのだと思いますわ。実際に狙われているのは、おそらくクララではなく月精霊のほうでしょう」
「月精霊がどうして?」
「きっと王宮に精霊喰いがいるのでしょうね」
「精霊喰い? って何ですか?」
初めて聞く単語に首を傾げて聞き返す。
「精霊を食べて、吸収した力を自分のものにする共食いの精霊のことですわ」
「うわあ、そんな精霊がいるんですか」
共食いと聞いて、普段は意識的に無表情でいるクララが、珍しく顔をしかめる。
「発生するのは三百年に一度くらいかしら。滅多に現れることはありませんし、精霊喰いの宿主は悪辣な性質の者が多いので、今まではすぐに人間の法で裁かれて処分されていました。ですからそれほど問題になったことはないはずです」
普通の精霊は宿主がいなくなると、次の宿主を探す。しかし、禁忌を犯した精霊喰いは宿主と一緒に消滅する。
「今回の宿主って、状況的に王妃様なのでは!?」
「たぶんそうだと思います。身分からして、どんなことを犯したとしてもきっとそう簡単には罰せられないでしょう。そうだとしたら、ちょっと困ったことになりそうですわね」
共食いを続けて強力になった精霊喰いの宿主はいくつもの加護を得ることができるそうだ。
「加護の力の影響がたとえ少しだとしでも、塵も積もれば山となると言いますもの。厄介なことにならなければいいのですが」
「王妃様はその精霊喰いの影響を受けているんですか?」
「影響とは少し違います。精霊は宿主がいない状態でいる時が一番弱いのです。過去に、精霊喰いが狙いやすくするため、精霊喰いの宿主が手伝うことがありました」
「月精霊の加護が欲しい王妃様に、私はこれからも命を狙われ続けると? そんなこと嫌ですし、憑いてる精霊喰いだけ消す方法とか他に何かないんですか」
「ありますよ」
「え? そうなんですか」
あるとは思っていなかったので拍子抜けするクララ。だったら王妃から引き離してしまえばいい。
「だったら、教えてください」
「簡単なことです。この泉に、宿主である王妃をぶち込めばいいのです。そうすれば、わたくしが精霊喰いと宿主の悪意をすべて祓って差しあげますわ」
期待したクララに対して、優しく微笑みながら女神はとんでもないことを告げたのだった。