11 犯人は誰
「くしゅっ」
頑丈な身体に魂を入れられたあと元どおり水の中に戻されたクララ。痛覚などの感覚は今までと変わらないのか、ずぶ濡れだったため鼻がムズムズしてしゃみが出た。
「あ!?」
人の声が聞こえたので目を開くと、クララは誰かに身体を抱き上げられていた。
それは銀髪の男性で、クララと目が合うと困惑しながらもぐっと顔を近づけてくる。
そのせいで、思わずクララは「ひゃあ」と叫んでしまうが声にはならなかった。
男性の方も、死体だと思っていたクララの瞳が開いていたせいで驚いて、横抱きにしているクララを落としそうになる。そのため、腕に力を入れた。
おかげで密着度が増した。
(どうなっているの!? 誰!?)
「生きていたのか?」
問いかけられてクララはこくと小さく頷く。
女神から貰った身体は凍えているせいか、上手く動かせないし、しゃべることもままならなかった。
「『月の宮』へ運んで身体を温めないといけないな。誰か、毛布か何かないか」
「すぐにお持ちします。それまでは、とりあえずこの上着を使ってくださいませ」
侍女のひとりが自分の着ていたコートを脱いでクララにかぶせる。
「こんな状況でまさか生きていらっしゃるなんて。よかった……本当によかったです」
騒然としている中で、クララの耳には、自分が助かったことを喜んでいる涙声が聞こえていた。
それはクララ専属の侍女イルサ。
イルサが目を放したすきに主人が泉に落ちるという、あってはならないことが起きていたのだ。クララのことを一番心配していたのは間違いなく彼女だろう。
「このまま月の宮まで私が運んでしまった方が早いな」
「恐れ入ります、王太子殿下。クララ様のことをどうかよろしくお願いいたします。私は先に月の宮にもどり、部屋を温めておきます」
「頼む」
イルサは深くお辞儀をしたあと精霊宮のほうへと走っていった。
(この方はたぶん……)
クララを抱えている男性の正体。それは、おそらく王太子であるオーティスだろう。クララもそのことには気がついていた。
ここで侍女に命令できる人物、そして精霊宮に唯一入ることができる男性はオーティスしかいない。
しかし、クララは何を言えばいいのかわからないし、そもそも自分の身体が思うようにならないので、そのまま身を任せるしかなかった。
(身体が動かせないのは寒いせい? それとも自分の本当の身体ではないからかしら?)
指の先までかじかんでいて握りしめることもできない。
「不思議なことだ、先ほどまでは呼吸もしていなかったというのに、今は震えているのが伝わってくる」
(そんな恥ずかしいことを言われても身体がいうことをきかないんですって……)
「蘇生など何も施していないのに生き返ったというのか……」
水から引き揚げられた時点では、まだクララの入れ物である頑丈な身体は生命として起動していなかった。
そのせいで心臓が止まっていた。だから、助かるすべはないと判断されていて、泉の周辺では殺人事件が起きたと大騒ぎになっていたようだ。
王太子が抱き上げたところでちょうどスイッチが入って目を覚ましたらしい。
クララの震えが止まらないのは、女神が痛覚は人並に残してあると言っていたからだろう。
感覚がなくなり、何も感じなくなってしまえば、手に物をもつという簡単なことすら扱いが難しくなる。
何よりも生きている実感がなくなるからである
「その震えは寒さだけか?」
ん?
話しかけられたクララは見上げて王太子のサファイアブルーの瞳と視線を合わせる。
髪はマリアンヌと同じ銀色ではあっても、王太子はプラチナシルバーという光沢が強い色で、マリアンヌはスモークシルバーという落ち着いた感じの銀色なので雰囲気はまったく違う。
「別の意味で震えているのであれば、クララを泉に突き落とした犯人はすでに捕まえてある。心配する必要はない」
「は……(犯人?)」
「犯人が誰かと聞いているのか?」
声が出ないクララは瞬きをしてアイコンタクトで肯定した。
「土の宮のシェリルだそうだ。すでに拘束してある」
(シェリル様?)
「クララと廊下で会った時に、挨拶をされなかったと腹を立てていたようなのだ」
(違う、あれはシェリル様ではなかったわ。捕まっているのなら、冤罪だと伝えないと)
クララは犯人の声を聞いていた。
それは土の宮の前で言い争っていたシェリルの声とは違う。それなのに、なぜ彼女が犯人にされてしまったのか、不思議に思いながら、動きにくい口を開く。
「シェ……ルさ……はどこ……すか」
「シェリルか? 処分が決まるまでは『土の宮』に閉じ込めておくつもりだ」
「しょぶ……て、だ……れが?」
「私だ。クララは殺されかけたのだから、極刑を望んでいるのだろう。しかし、悪いが法に則って判断することになる」
「でしたら……」
(あ、声が出るようになったわ)
小さくではあるけど、クララの口は動くようになった。
「でしたら、彼女は犯人ではありません。少なくとも実行犯ではありません」
やっと聞き取れるかどうかという微かな声でクララは王太子に向かって訴える。
「シェリルではない? それは本当なのか? 私は目撃した者が数名いると聞いているのだが?」
「姿を見たわけではありませんが、私の背中を押した人は違います。彼女の声とは全然違いましたから」
「そうだとすると、もう一度最初から調査する必要があるな」
王太子であるオーティスはクララを運びながら思案にくれていた。
精霊宮の中で多少のいさかいがあることはオーティスも知っている。そうだとしても殺人事件まで発展する事件となれば、ここ何代かは起きていない。
「いったい誰が……クララには恨まれるような覚えはあるのか?」
「いえ、まったくございません。ここには以前からの顔見知りはお一人もいませんし、ハイパー家が恨まれているとなると、私には見当もつきません」
「そうか。恨みなのか悪ふざけだったのか、どちらにしろ犯人はすぐに捕まえる。クララは月の宮で……いや、精霊宮では安心もできないか。事件が解決するまでは王宮に部屋を用意するからそこで安静にしているといい」
クララの身体が温まりしだい念のため部屋を移るようだ。
月の宮に運ばれる間、クララは他の宮の七妃の目を気にしていた。
寵愛を競い合っている王太子に運ばれているのだから嫉妬されてもおかしくはない。
しかし、ほかの宮の七妃には王太子から外出禁止令が出ていたため、幸いなことに様子を窺いに来る者はひとりもいなかった。




