第五話 ドロテさんは歯止めが利かない
────ん。
懐かしくて、どこかあったかい。
そんな感触を覚えながら、俺は目を覚ます。
まだ目蓋が重く、寝ぼけているらしく目を開けてはいないが。
どうやら今俺はベットに寝かされているみたいだ。
「……そういや俺、滝に打たれて」
どうやって自分がベットに寝転んだのかの記憶がすっぽりと抜け落ちていた俺は、自分が何をしてたのかを順序立てて思い出してみる。
確か……ドロテに言われるまま、冷たい滝の水をこれでもか、というほど浴びて。
身体をブルブルと震わせていたことまでは覚えているのだが。
「あ……そうだ。滝の上から大木が落ちてきたんだっけ」
あっけらかんと言ってみるが、大きな丸太が頭に直撃していたら今頃俺は死んでいるだろう。
そう思ったらいてもたってもいられなくなり、身体の無事を確かめるために目を開けると。
「────んんっっっっっ⁉︎」
それは、ドロテの寝顔であった。
しかも鼻の頭がくっつくかというほどの超絶至近距離で。
(ちょ、ちょっと待てって?……ど、ドロテって、こんなにもイイ匂いがするもんなのかっっ?)
眠っているドロテの吐息が顔に当たり、意外にも良い芳香がすることに俺は思わず焦ってしまう。
それでも目の前には彼女の顔しかないため、まじまじとドロテの顔を凝視していくと。
(……こうやってあらためて見ると、ドロテってとんでもない美人なんだよなぁ……俺のタイプからは外れてるんだけど)
褐色の肌に、引き締まった均整な顔立ち。
少し吊り目がちなのと、最初に喧嘩を売って返り討ちに遭った負い目から、ドロテには怖い印象しか持っていなかったが。
とんでもなく美人なんだよな、彼女は。
「……うぅぅ……ん……」
そんなドロテの口から吐息と一緒に漏れる、悩ましげな寝言に。
彼女の顔をもうまともに見られなくなり、思わず俺は目線を下へと逸らしてしまった。
(お、俺だって……健康な男子なんだっての!)
だが……狡猾な罠というものはいつも安心した、と思った直後に襲い掛かってくるもので。
俺がドロテの顔から逸らした視線の先には、たわわに揺れる柔らかそうな、それでいて大容量の胸のかたまりが二つ。
しかも、一切の布をまとっていないときたら。
(おぉぉぉぉいぃぃぃぃっっ‼︎‼︎)
普段からあまり布地の少なく露出度の高い衣服や防具を着けているドロテだったが。
さすがに何も羽織ってないありのままの豊満な胸を、まだ俺は見たことはなかったからだ。
見たい、という気持ちは正直、少しはあったが。
こうやって偶然に見てしまうのは、何となく俺のことを信用しきってくれているドロテの気持ちを裏切ってしまうようだったので。
両手で顔を覆って、ドロテの胸を見ないようにしよう……そう思った時だった。
手が、動かなかった。
正確には、俺の身体を抱きしめていたドロテの両腕の力が強すぎて、俺は両腕を動かすことが出来なかったのだ。
最初こそ、寝ているドロテをなるべく起こさないように俺は配慮してはいたが。
こんな状況ではそんなことは言ってられない。
(ま、マズいっ?……こ、このままじゃ、俺は……俺はっっ!)
いくら好みではない、と言っても。
ドロテを「乱暴で怖い拳の達人」ではなく、「一人の女性」として認識してしまった以上。
こんな煽情的姿でいられてしまっては、異世界に来てから性行為の一切をしてこなかった俺の理性などすぐ限界を迎えてしまうだろう。
俺は全力を振り絞って、ドロテの拘束から逃れようとする。
「ぐううううっっっ!……はぁ、はぁ、う、嘘だろっ?」
だが俺の全力は、寝ているはずのドロテの両腕を1ミリも動かすことも出来なかった。
いくら格闘の先生みたいな立場でいるとはいえ、俺とドロテは男と女、しかも俺はどうもこの世界に勇者として呼ばれたはずにもかかわらず、だ。
「ん……もう♡……激しいな、キーレっ」
しかも、今の一連の流れで寝ぼけたドロテは、俺を抱きしめる力をより強くしただけではなく。
さらに顔を寄せて、唇を突き出してキスを迫ってきたのだ。
「お、おいっドロテ?……アンタ、実は起きてるだろっっ!」
「ほらぁ……そんなあばれるな、ちゅぅぅぅぅぅぅぅ♡」
いつの間にか唾液で濡らして、艶かしく潤っていた唇に、どうしても視線が集中してしまう。
何とか頑張って抵抗を続けているが、一瞬でも力を緩めればたちまち俺の唇はドロテに奪われてしまうだろう。
だが、俺の脳裏にふと疑問がよぎる。
(この状況って、別に……抵抗せずともイイんじゃね?)
その疑問に対する俺の回答が、俺の身体から一瞬の隙を生み出し。
ドロテの柔らかな唇の感触が俺の唇に触れ、情熱的に、そして一方的に押しつけられていたのだ。
(⬛︎ドロテ視点)
「はぁ……まったく寝顔も可愛いときたものだ」
ベットに寝かせているキーレの穏やかな寝顔を覗き込みながら。
アタシはちゃっかりその横で、上半身に衣服を纏わない裸の状態で、同じく上半身の服を脱がされていたキーレに添い寝をしていた。
──少し前。
アタシは大した事ない冷たさだ、と思ってキーレをリフニア流格闘術の修行の一つ・滝壺行を課したのだったが。
どうやらアタシの感覚は少しズレていたのか、滝の水の冷たさにキーレは耐え切れなかったのだ。
慌ててアタシは川からキーレを抱え上げ。
一番近くの街までダッシュで帰り、街で一番高級な宿の二人部屋を確保して、キーレをベットへと寝かせたのだが。
キーレの唇は紫に変わり、顔色は青白いまま、体温が一向に温かくならなかったので。
「ど……どうしよう、このままじゃキーレが……」
最悪の事態を考えてしまい、いても立ってもいられずにアタシは部屋の中をウロウロと歩き回っていると。
ふと、格闘術を教えてくれた師匠との修行で雪山を二人で登った時のことを思い出していた。
……確か、寒さで体温が下がった時はどう対処すべきか。アタシが師匠から学んだ方法は。
素肌を触れ合って、温め合うことだった。
師匠の教えでは、意識を失うほどの寒さで凍えた場合は焚き火などで急に身体を温めると逆に生命の危険に晒してしまうらしい。
だからアタシは早速、自分が着ていた薄着を脱いでキーレの横へと入り込み、冷え切ったキーレの身体へと自分の素肌を合わせたのだ。
「……悪かったな、こんなに冷えるまで。今、アタシがあっためてやるからな……っ、キーレ」
肌から伝わる冷たさなど気にするものか。
アタシは少しでも早くキーレを温めるために、ただ肌同士を合わせるだけでなく。身体を上下に動かしてキーレの肌に擦り付けていった。
こうした甲斐もあってか、キーレの顔色は徐々に血色を取り戻し、赤みが戻ってきたのだ。
「き、キーレえぇぇ……よ、よかったあぁ〜」
そこでアタシはふと、今の状況を見てみる。
いくらキーレの体温を温めるためとはいえ、衣服を纏わず露出させた二つの胸を、キーレの少し筋肉のついた胸板へと押し付けていたのだ。
それはまるで恋人同士の営みのように。
そう考えてしまうと、恥ずかしさで急に頬が熱くなる。
「あ……あ、あうぅぅ……」
キーレがアタシを「抱きたい」と望むのならば、いつだって乳房くらい見せてやってもよいのだが。
今、キーレが目を覚ましてしまったとしたら、自分から胸を露出しているアタシのことを一体どう思うのか。
考えてみればキーレは、恥じらいのないアタシの行為をあまり好ましく思っていない様子だ。
「……う、ん」
だから、体温が戻り顔色がすっかり良くなったキーレの口から声が漏れ。目蓋がピクピクと動いて、目を覚ます予兆が見られると。
(ま、マズいっ、キーレが目を覚ますっ?)
本来ならば無事を喜んで声を掛けてやりたかった気持ちよりも先に。今、裸で触れ合ってる気恥ずかしさで。
思わずアタシは寝たフリをしてしまったのだ。