第四話 ドロテさんは加減がわからない
俺の名はキーレ。
突然、異世界であるここファントアに飛ばされて魔王なる存在を倒すなんて使命を背負わされたまでは理解したが。
俺は何故、今……滝に打たれているのだろうか?
「はがががががががぁぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃ」
遥か高い位置から俺の身体へと降り注ぐ大量の水に、まず押し潰されそうな衝撃が頭と肩にのしかかる。
そして滝の水の冷たさに身体が凍えて、先程から歯が震えて止まらない。
俺がまだ日本にいた頃に見たアニメや漫画にも、修行という名目で滝に打たれていたシーンがあったが。
いざ自分がやってみて初めてわかった事がある。
これは一種の拷問だ。
俺は「滝に打たれる」などという狂気の沙汰にも似た行為を提唱した張本人へと視線を向けた。
「どうしたんだキーレ? 滝に打たれるなんて、身体を鍛える時の常識じゃないか」
滝つぼ溜まりの縁にある岩の上に腰掛けて、俺の様子をあっけらかんとした様子で眺めていたのはドロテだった。
「ぎぎ、ぎぎぎぎぎ(ガチガチガチガチ)」
こちらがドロテの言葉に異議を挟もうにも。
頭上からのあまりの水圧と、冷水に晒され続けて冷え切った身体がガチガチと震え、歯を鳴らしてしまい。
一言も言葉が出てこなかったのだ。
この異世界、ファントアにやってきた当初は「自分は勇者である」と女神を名乗る声から聞いていたこともあり。世話になった村では敵無し、と息巻いていたのだったが。
次に向かった大きな街でこのドロテに喧嘩を売り、見事に返り討ちにあった時に。彼女に弟子入りを懇願し、手っ取り早く戦闘技術を学んではいたのだった……が。
このドロテという女格闘家、一つ困った癖があって。
普段は嫌気が差すくらいに俺を甘やかしてくる癖に、いざ特訓となるとまるで別人のようにスパルタに変貌するのだ。
そう、まるで今回の滝行のように。
「ふむ……つい先日、野盗どもを討伐に向かった時のキーレの身のこなし、剣の腕前ならばいけるかと思ったのだが」
ドロテさん。
ファントアに、日本と同じく四季という概念があるかどうかは知りませんが。
今の気温は、日本でいうならば十一月半ばといった具合です。
……不用意に水浴びしたら風邪を引くレベルで寒いし、水も川河の上流なのでめっちゃ冷たいです。
「唇も紫だし、そろそろ限界か」
少し前だったら自分から滝から脱出して、近くの木に最近覚えたての火の魔法で焚き火を起こして冷えた身体をあっためることも出来たのだったが。
今は、水の中に居続けた事で冷え切った身体の震えが限界に達し、滝から抜け出すことが出来ずにいた。
「ぎ、ぎぎ、ぎ……ぎぎぎぎ……(カチカチカチカチ)」
滝の外にいるドロテに助けを請おうにもあまりの寒さに、既に俺は言葉が口から出ない状況だった。
(や……ヤバい、俺……死ぬかも)
そんな状況にもかかわらず、いつもなら「おお、こんなに身体が冷えてしまって、私があっためてやるぞ」と言い出しそうなドロテの視線が俺の上を見ていたので。
俺も身体の震えを何とかしながら、滝の上を見ると。
勢いよく落ちてくる水流でよく見えなかったが。
何か長く太い棒状の黒い物体が滝から落ちてきていた。
「何が流れてきたと思ったら丸太じゃないか」
あ、死んだわ俺。
だって俺、ここから一歩も動けないんだから。
頭に丸太が直撃するか、滝の水の冷たさに凍死もしくは溺死するか。
そうだ、もしこの馬鹿げた異世界で死んだら元の世界に帰ることは出来るのかもしれないな。
……などと、俺が死ぬまでの猶予、残された時間に色んな事を頭に浮かべ。
覚悟を決めて目を閉じようとしたのだったが。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ……」
俺に過酷な滝行を強いたドロテはというと、突然目を閉じたかと思えば。
大きく息を吐き出しながら両手で拳を作り、自分の胸の前で一度交差させてから低く落とした腰へ構えていくと。
────刮目。
低い体勢のままで何と、流れ落ちた滝の水が溜まった泉の水面を身体が沈むことなく走ってくるではないか。
そして。
「うおぉぉぉ! 《昇竜閃》っっ!」
勇ましい掛け声とともに水面から跳び上がったドロテは右腕を真上へと振り抜き。
あろうことか滝を真っ二つに切り割いたのだ。
丸太ごと。
「ば、化け物かよドロテ……俺、必要なのかな……」
一瞬だけ見えた空に、俺は自分が喧嘩を売った相手がどれ程に実力に違いがあったのかを思い知らされるとともに。
あの時、滝を二つに割った技を使われていたら今頃生きてはいなかっただろうという幸運を噛み締めながら。
何はともあれ降り注ぐ滝の水から一瞬だけ解放された俺は、何とか身体を動かしてその場から離れると。
滝を拳で真っ二つにしたドロテの腕が、俺を抱き止めてくれたのだった。
「悪かったキーレ……どうも私は鍛錬となると自分を基準に考えてしまうみたいだ」
「は、はは……俺……助かったみたいだな──」
俺はドロテの胸の谷間に顔を埋めながら、助かった安堵感からか意識が遠くなっていくのを感じ。
不意に、視界が真っ暗になった。
(⬛︎ドロテ視点)
──まったくの誤算だった。
アタシを始めとする格闘家という連中は、体内に巡る生命力を制御し自在に操作することで。
拳を強化して木の盾や石壁を破壊する威力を出したり、身体の一部を瞬間的に硬くして武器を弾く……といった真似をするのだが。
剣を主体で戦うスタイルのキーレには、生命力を制御する方法をまだ伝授していなかったのだ。
元々「女神に選ばれた勇者」を自称していただけはあって、アタシが教えた技術を土に水が染み込むように次々に吸収したことで。
アタシは、キーレが格闘家ではなく普通の身体を持った少年だった、という事をすっかり失念していたのだ。
だとすれば、もう寒さ厳しくなるこの時期に冷たい滝の水をこれだけ長時間浴び続ければどうなるのか……子供だって想像がつくというものだ。
「唇も紫だし、そろそろ限界か」
冷静だ。
頭を冷やせ。
あくまで冷静であれ、ドロテ。
私はそう自分に言い聞かせながら、なるべく心を落ち着かせ。心の焦りをキーレに悟られまいと、淡々と話してはいたが。
内心では身体が滝の水で冷え切り、唇がすっかり紫色に変わってしまったキーレを。今すぐに滝から出して、この身体で直にギュッと抱きしめ温めてやりたかった。
今まではアタシがどれだけ誘っても、頑なに断り続けてきた裸の付き合いだったが。
アタシの認識の甘さが招いた事だとはいえ、今回は非常事態なのだから仕方がない。
そう……仕方がないのだ、ぐふふ。
『ほら……こんなに身体が冷えているなキーレ……もっと近くに寄ってアタシの温もりを感じ取るがいい』
『ど、ドロテさん……み、耳に息を吹きかけられたら、お、俺っ──』
『どうしたキーレ……身体が小刻みに震えてるぞ、ふふふ』
『うあっ……ど、ドロテさぁん、俺、実はドロテさんのことがぁ、す、す、す──』
『ほら、ハッキリ言ってくれないとやめてあげないぞ……ふふふっ♡』
────などと。
キーレには聞かせられない内容の妄想に耽っていると。
「な……あ、あれはっ?」
滝の上から大きな流木が流れ落ちていくのが見えたのだ。
おそらくは滝の上流となる山で木こりたちが切り落とした丸太が偶然、川へと転がり落ちてきたのだろうが。
このままでは寒さで身動きの取れないキーレの頭に、落下してきた流木が直撃するのは間違いない。
時間はもうない。
ならば────方法は一つしかない。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ」
アタシは「息吹」と呼ばれる、体内の生命力を高めていき、身体全体に張り巡らせて身体能力を飛躍的に向上させる動作を行ない。
高めた生命力を右腕に集中させながら、キーレの元へと水面の上を駆け出していく。
今、アタシが放とうとしているのはリフニア流格闘術の奥義、《昇竜閃》だ。
この奥義とは、生命力を集中させた拳を真下から一気に真上へと振り抜くことで、自分の前方から上空へ凄まじい拳撃と共に衝撃波を放つ。
師匠である祖父からは「不用意に奥義を他人に見せるな」と言われていたが、事情が事情だ。師匠も許してくれるだろう。
アタシが愛するキーレの生命の危機なのだから。