第二話 ドロテさんは興奮を抑えきれない
あれからオレは、女格闘家ドロテと寝食を共にしながら、戦い方のイロハを手取り足取り教わっていた。
つい最近まで平和な日本で過ごしてきたオレは、今やドロテの鍛錬のおかげで剣の腕や近接戦闘の立ち回り方を身につけ。
そして、今。
オレはドロテと二人で、街で噂を聞いた賞金首の野盗の本拠地へと乗り込んでいた。
「はぁ……はぁ……な、何だこのガキはっ!」
力任せに長剣を振り回す野盗のボスの攻撃を、オレは難なく目の前で捌いていく。
その間にも何度か攻撃を叩き込める隙はあったが、オレは敢えて隙を見逃して防御に専念するのはドロテから「合図があるまで攻撃するな」と言われていたからだ。
……まったく厄介な注文をつけてくれる。
「舐めてんじゃねえぞこのガキが!」
オレの背後から、部下の野盗がもう一人剣で切り掛かってくる。
向こうは不意を突いた、と思っているのだろうが、余裕をもって攻撃を捌いていたオレは、背後から迫る気配に最初から気付いていた。
だからオレは慌てずに身体を少しばかり横に移動させて部下の男の剣を回避し、空振りしたところに自分の剣を合わせて叩き落とし。
「──そろそろだね。いいよ、キーレ」
遠巻きに木の幹にもたれてオレと野盗の戦いを見学していたドロテ。
彼女が攻撃を解禁する合図を飛ばすのを聞いたオレは。
「……やれやれ、ようやくかよ」
返す刀で目の前にいたボスの剣を強めに弾くと、ガラ空きになった顔面に拳を叩き込む。
その一撃でグラリ、と揺れた頭に今度は蹴りを放ち、直撃したボスの身体がその場に崩れ落ちる。
「最後の一人、逃がすかってえの」
背後から切りつけるのに失敗した部下の野盗が、ボスが倒されたのを見て逃げようと背中を向けたので。
オレは間髪入れずに飛び掛かり、無防備な背中を剣で斜めに切り裂いていく。
断末魔の叫びを上げ、野盗は地面に倒れる。
二人が戦闘不能になったのを確認したオレは、大きく息を吐くと。全力で身体を動かした疲労で、思わずその場にペタンと座り込む。
疲労したのは、何も身体を動かしたからだけではない。
何しろこの世界にやってきて、初めて人間を手にかけたのだ。
まあ……話ではこの野盗どもは何人も人殺しをした連中みたいだし、現代日本でもオレは「人殺しをしたなら殺されても文句は言えない」と考えていたので。
そんな連中を手に掛けたことに、後悔の念などというものは不思議と湧かなかったが。
それでも多少は心に堪えたみたいだった。
「……ふぅ」
「あはは、危なかったねえキーレ」
合図を出してすぐに野盗二人を沈黙させたことに、見ていたドロテも満足そうな表情を見せていた。
当然ながら野盗はこの二人だけではないが、その他十数人の連中は休憩しているドロテによって、既に全員が血反吐を吐いて地面に転がっていた。
にもかかわらず、彼女は息一つ切らしてないのだ。
「……まったく。剣を教わってるオレが言うのもなんだが、とんでもない実力の差だぜ」
「はっはっは、そりゃあキーレと私とじゃ年季が違うからねえ。まだ数日しか教えてないアンタに実力越されたら、今度は私が落ち込んじまうよ」
「は、言ってろ。オレは勇者だ、いずれはドロテより強くなってやるからな」
「はいはい、そういう立派なセリフはまずは立ち上がってから言うもんだよ」
オレの強がりを鼻で笑うドロテが、笑いながらこっちへと歩み寄ってきて屈み込むと。
突然、オレの身体がふわりと地面から持ち上がる。
「う──うおぅ?」
ニヤリと笑うドロテが、オレの背中と膝に腕を回し、地べたに座っていた身体を軽々と抱き上げたのだ。
俗に言う「お姫様抱っこ」の体勢に。
「や、やめろっての!……こ、こんなの誰かに見られたら恥ずかしいだろっ?」
この世界に迷い込んだオレの身体は、決して立派な体格をしているわけではない。小学生よりは成長しているが、高校生ほどではないレベルだ。
そんなオレがせめてもの抵抗で、手足をバタバタとさせてみるが。
ドロテは全然びくともせずに、顔色一つ変えずに街へと歩いていく。
「いいから暴れんなっての。疲れてるんだろ?」
「そ、それでも歩けないほどじゃ──」
文句を言いかけたオレの顔に、ドロテの柔らかな胸がぽよん、と押し付けられる。
口を塞がれるカタチとなり、言葉を遮られ「むーむー」としか言えなくなったオレに微笑んできたドロテだったが。
どうも様子がおかしい。
「な、なあキーレ、そ、その……胸を懸命に吸われても、困るんだ……♡」
なんか頬を赤らめてるし、鼻息がふんふんと荒い。
それだけじゃなく、オレは懸命に呼吸しようとしている吐息が胸に当たるのを楽しんでいる様子なのだ。
反論しようと口を動かすが、結局は「むーむー」と言葉にならず、逆にドロテを喜ばせてしまう。
「う……ん、激しいな、宿まで待てない……そう言いたいのかキーレ。まったく……仕方のないヤツだなお前は♡」
「むー!……むーむぐむぐむぐぅ!」
(違うっ!勘違いするな発情女!)
艶めかしい声を漏らしながら身体をくねくねと悶えさせるドロテの態度にムキになり、大声を出そうとするが。
顔に押し当てられる柔らかなドロテの胸の圧力がさらに強まり、反論することも許されない状況だ。
「なら────急いで宿に直こ……い、いや、街に帰るとしようか!」
そして興奮のあまり目が眩んだドロテは。
オレを抱きかかえたまま、凄い速さで街へと駆け出していく。
出来れば、まずは野盗を始末したことを衛兵たちに報告して賞金を受け取ってくれるとありがたいのだが。今のドロテにそんな理性が働くのを期待するのは間違っているのかもしれない。
……ともかくだ。
本当にこのままドロテが欲情したまま宿に連れ込まれ、ベットに押し倒されようものなら。
果たしてオレは、自分の貞操を守り切れるのだろうか。
(⬛︎ドロテ視点)
キーレの背後から襲い掛かる野盗の男の動きにも、アタシは一切声を掛けずに傍観していた。
「馬鹿め、アタシのキーレにそんな攻撃が通用するか」
そう呟いたアタシの言葉通り、キーレは後ろに目がついているかのように素早く攻撃を回避し。
そのまま二人をアタシ仕込みの格闘術と剣技で沈黙させる。
「……大体キーレのヤツは、アタシが気配を殺して背後から抱き着こうとしても半々くらいは避けられてしまうのだからな」
アタシはあくまで師と弟子のスキンシップの一環として、背後から抱きしめてやろうというのに。
こちらの気配を察知してか、キーレはだいぶ嫌そうな顔をして避けられるのだ。
──だが、そんな連れない態度も愛おしい。
しかもこの短期間で剣の腕前もだが、アタシの格闘術までもの凄い早さで吸収していってるのだ。
さすがはキーレ、異世界からやってきた勇者だ。
いずれは勇者として魔王を倒して世界を救い、アタシの元を離れて由緒ある身分の女性を花嫁に迎えるのだろう。
ならば。
一番最初にキーレに出会えた特権として、高貴な女性と一夜を共にしても恥ずかしくない体験と技術を教えておくのも師たるアタシの役割だろう。
「そう、役割なんだから仕方ない……仕方ないのだ、キーレ……はぁ、はぁ」
今夜、初めて依頼をこなしたという名目で。
一緒の寝床で色んなコトやアタシの身体の隅々までを手取り足取り、それこそ朝まで教えてやるとしよう。
「……ま、不味いぞ、興奮が、抑えきれん」
野盗を背中から斬った、その返り血を浴びたアタシ好みの幼さ残る少年の姿を見たからなのか。
アタシは興奮のあまり鼻から垂れる血を腕で拭いながら、疲れて座り込んでいたキーレに近づいていくのだった。