これは命令です
アストリアの口から自分の物とは思えない絶叫が迸った。それと同時に何かが弾ける音が周囲に響き渡り、アストリアの周囲を覆っていた半透明の球体が弾け飛んだ。
自分でも何が起こったのか分からないまま、囚われの身から脱したアストリアはクアトロの下へと駆け寄ろうとする。
駆け出したアストリアの視界の中でクアトロはゆらりと上半身を揺らした後、そのまま鮮血を撒き散らしながら大地に倒れ込んでいく。
「クアトロさん!」
叫んでクアトロに駆け寄ろうとするアストリアの片手を掴む者がいた。
「アストリア様、危険です!」
トルネオが珍しく鋭い声を発する。アストリアはそれから逃れようと懸命に身を捩るが、トルネオはアストリアの手を離そうとはしない。アストリアは深緑色の瞳をトルネオに向けた。
「トルネオ、離して。離しなさい、トルネオ。これは命令です!」
アストリアが怒りを顕わにしてトルネオに向けて鋭い言葉を放った。
「はっ!」
怒りがこもったアストリアの言葉に、トルネオは雷に打たれたように直立不動となって掴んでいたアストリアの手を離した。
トルネオの手を逃れてクアトロに駆け寄ったアストリアは、そのまま両膝を地に着けるとクアトロの頭を抱き寄せた。
「……駄目だ、アストリア。ここは危ない」
夥しい量の鮮血だった。それでもクアトロはアストリアの身を案じて、尚もそう言っていた。そんなクアトロの言葉には構わずに、アストリアは治癒魔法の詠唱を始める。
そう。いつもそうなのだとアストリアは思う。この魔族の王は自身のことよりもアストリアのことを気にかけ、いつも傷ついている。
クアトロだけではない。エネギオス、ヴァンエディオ、マルネロ、スタシアナ、エリンやダースだってそうだった。
結局は何もできない自分を守るために、皆がいつも傷ついている。
深緑色の瞳からたちまち涙が溢れ出す。
「お、おい、アストリア、泣くな。俺は大丈夫だぞ」
アストリアの涙に気がついたのだろう。クアトロが慌てたように言う。両腕を失ったのだ。他に慌てなければならないことがあるでしょう。アストリアはそう思う。
「クアトロさん、黙っていて下さい。魔法に集中できません!」
珍しく声を荒げるアストリアに、クアトロは怒られた子供のような顔になって黙り込んだ。
「……貴様、どうやって逃げ出した。何をした?」
クロエが心底不思議そうな顔をしながらアストリアを見つめている。
だが、今はクロエに構っている時ではなかった。早くクアトロの出血を止めなければ、このままでは本当にクアトロが死んでしまう。
「おい、アストリア、治癒はもういい。俺は大丈夫だ。早くここから……」
「黙っていてと言っています!」
再びアストリアに怒られてクアトロはまた黙り込む。
「おい、人族の娘。貴様は……」
クロエがそう言って一歩を踏み出した時だった。クロエとアストリアたちの間にトルネオが立ちはだかった。
「クロエさん、この辺りで止めることはできないのでしょうか。余りに横暴なのではないかと。天上とはいってもここは完全に隔離された特別な場所。まあ、始まりの場所ですからね。不死者のわたしでもここであれば、魔法を使用できるのですよ」
クロエは意味が分からないと言った態で、トルネオに向けて小首を傾げた。
「何だ、骸骨? 貴様に魔法が使えるから何だと言うのだ」
クロエがトルネオに向けて片手を翳した。するとトルネオに向かって金色の光が照射される。
トルネオはそれを展開した防御壁で受け止める。
「……あれ? 何か、不味いですね。とても魔法の相性が悪いような……」
クロエから発せられた金色の光を防御壁で受け止めながら、早くもトルネオが泣き言のような言葉を漏らした時だった。
クロエの頭上高くに紫色の魔法陣が突如として出現した。その気配に気がついて何事かといった様子でクロエが真上を仰ぎ見る。




