襲撃
脈絡もないに近いクアトロの急な申し出にアストリアが驚いた顔をしている。そんな顔も可愛らしいとクアトロは頭の隅で思う。
驚いた顔を見せたものの、アストリアは微笑を浮かべて片手を伸ばした。そしてクアトロが差し出した手を握る。次いでもう一方の手を重ねてクアトロの片手を両手で包み込む。
そのままアストリアは明るい茶色の頭を少し下げて俯いてしまう。
少しの時が流れた。
やがてアストリアは優しく、ゆっくりと両手で包み込んでいたクアトロの手を押し戻す。
「ありがとうございます。私もあなた方と冒険者になれたらどんなに楽しいかと思います。冒険者になって、色々な冒険をしながら困っている人を助けて。ええ……とても楽しいでしょうね」
「では俺と行こう」
アストリアは明るい栗色の頭を左右に振った。
「私はもうすぐ、ジスガリタ王国の王と婚姻を結ぶのです」
「婚姻……」
思いもよらなかった言葉が出てきて、思わずクアトロの声が跳ね上がった。
それを見てアストリアが少し微笑む。
「驚く程の話ではないです。私はもう十二歳になります。王族や貴族の婚姻では珍しくもない年齢です。それに婚姻といっても、相手の第六妃になるだけです」
「第六妃……」
「私の婚姻は互いの国同士で思惑が合致した証です。簡単に言えば、同盟のための人質ですね。もっとも側室の子で第四皇女の私に人質としてどれだけの価値があるのかは分かりませんが……」
アストリアが自嘲気味に微笑む。クアトロはアストリアにそんな顔をさせたくないと瞬間的に思う。
「アストリアはそれでいいのか?」
いいはずがないというのを分かりながらも、クアトロはそう訊かざるを得なかった。
「王族に生まれた者の役目だと思っています。だからこそ、今まで何不自由なく私は育てられてきたのですから……」
その時だった。クアトロは片手でアストリアの言葉を制した。
迂闊だった。
すでに囲まれていることにクアトロは気がついた。人数は三人か四人といったところだろう。
魔導師がいると厄介だなとクアトロは思う。すでに呪文の詠唱が始まっているかもしれない。
自分一人であればどうとでもなるが、魔法攻撃から他者を守るのは難易度が高い。ここにスタシアナたちがいれば、その対処も容易なのだったが……。
幸い一撃目の攻撃は魔法ではなかった。宙を三つの影が舞い、それぞれの手には短剣が見える。
クアトロは一人を空宙で、片手から放った火炎魔法で吹き飛ばす。火炎を受けた影は絶叫を上げながら後方へと吹き飛んで行く。
火炎を放つと同時にクアトロはアストリアの片手を掴んで場所を移動する。残る二つの影は着地すると、一歩、二歩とクアトロたちを追って走り出した。
三歩目の時、クアトロは振り向きざまに長剣を一閃した。一つの影が肩口から一気に斬り下げられる。それを見て、残る最後の影が後方へと飛んで間を取った。
「クアトロさん!」
背後にいるアストリアが短く叫ぶ。
左手を見ると、氷の刃が向かって来ている。
「爆炎!」
その瞬間、クアトロの右手側から炎の渦が出現し、クアトロとアストリアに向かって飛来する氷の刃を全て飲み込んだ。
「あらあら、少し腕が鈍ったんじゃないかしら?」
どこか間延びした、それでいて芝居がかった声がする。やがて茂みからマルネロが姿を現して、クアトロとアストリアの前にやって来た。次いでスタシアナも、とてとてと歩きながらクアトロの傍に来る。
「いちゃいちゃしているから、つけられてることも、囲まれていることにも気がつかないのよ」
別にいちゃいちゃしていたつもりはなかったのだが、マルネロのその言葉に反論はできなかった。スタシアナは、むーといった顔でクアトロを見ている。
「マルネロ、来るぞ!」
クアトロがそう注意を促す。再び左手から、今度は爆炎が迫って来る。
「うっさいわね! 爆炎はこうするのよ!」
マルネロはひと声叫んで迫りくる爆煙よりも二回りは大きい爆炎を放つ。マルネロが放った爆炎は迫り来る爆炎を難なく飲み込んで、そのまま術者ごと飲み込んでしまった。
術者の絶叫が辺りに響いた。その絶叫が終わると同時にスタシアナが、とてとてと残る一つの影に向かって進んで行く。
「スタシアナさん、危ないです!」
アストリアがそう叫んだ。スタシアナの姿はそれだけを見ればほぼ幼児なのだ。だからアストリアの反応も当然だった。
最後の影が近づくスタシアナを目がけて短剣を横に払った。
「クアトロを虐めちゃ駄目なんですよー」
その短剣をスタシアナは軽く上半身を逸らしただけで避けてしまう。
「消滅……」
叫ぶまもなく最後の影は金色の光に包まれ、金色の光が霧散した後には僅かな煙以外は何も残っていなかった。
「まあ……こんなもんよね」
マルネロがそう言ってアストリアに顔を向けた。
「皇女様、お怪我はなかったでしょうか?」
「大丈夫です。ありがとうございました。お二人とも、凄く強いのですね」
アストリアがマルネロに向けて頭を下げている。
「それよりもこいつらは?」
クアトロの言葉にアストリアが少しだけ考える素振りをみせた。
「おそらくは……ジスガリタ王国との同盟に反対する者たちかと。私を亡き者にすれば、同盟も成立し難くなるでしょうから」
「そうですか。色々と一筋縄ではいかない事情があるようですね」
マルネロは興味なさげに言葉を返していた。実際、人族の争いなどにマルネロは興味ないのだろう。
「アストリア、アストリアはこれでいいのか?」
クアトロが長剣を鞘に収めながら、アストリアにそう尋ねた。そして、言葉を続ける。
「この先もこうして狙われて続けるのか? だから俺たちと来い」
クアトロは再び片手をアストリアに差し出した。
「はあ? クアトロ、あんた何を言い出すの? 皇女様に向かって」
マルネロが驚きの成分を多分に含んでいる非難の声を上げた。
「ありがとうございます、クアトロさん。あなたに会えて、私も少しは強くなれた気がします。だから、きっと大丈夫です。マルネロさんもスタシアナさんも本当にありがとうございました」
アストリアはそう言って頭を下げた。クアトロは差し伸べた手を宙で強く握りしめる。そんなクアトロをアストリアは少しだけ悲しそうな顔で見つめたあと、口を開いた。
「彼らをこのままにもできませんね。あとのことは私にお任せ下さい」
月明かりの下でベラージ帝国第四皇女はそう言ったのだった。
「ちょっとクアトロ、まだ落ち込んでいるの?」
相変わらず何をしても、ふにゃふにゃしているクアトロにマルネロがそう言った。
ベラージ帝国第四皇女のアストリアが襲われた夜から一か月近くが経っている。すでにあの時からマルネロたちはギルドで三つの依頼をこなしている。
だが、クアトロは終始こんな感じであった。マルネロに言わせれば、全く役に立たない状態だ。いい加減、自分の苛つきも限界を越えそうだとマルネロは思っていた。
今日も何か依頼がないかと、いつもの食堂に来たのだが、クアトロはずっとこんな感じだ。
「なりたかった冒険者になったんでしょう? それなのにこれじゃあ……」
「俺はもう駄目なんだ。会ったばかりの女の子に、二回も振られたんだぞ」
クアトロが全く覇気のない声で言う。
「女の子って……まだ子供じゃない。このろりこん王」
マルネロがそう言ったものの、クアトロはいつものような言葉を返してくることはない。ふにゃふにゃしているだけである。
スタシアナはそんなクアトロを相変わらず、むーといった顔で見ている。
駄目だ、こいつらとマルネロは思う。そんなクアトロだったが、気がついたように不意に口を開いた。心なしかその赤い瞳に力強さが戻っている。
「マルネロ……帝都はここから遠いのか?」
マルネロは嫌な予感を即座に感じた。これは……馬鹿ちん王が考えることを止めた瞬間だ。
「駄目よ、クアトロ! 下手なことしたら、冗談じゃなく魔族とこの国のとの戦争になるのよ。クアトロは魔族の王なんだからね。もし戦争なんかになったら、ヴァンエディオに目茶苦茶怒られるわよ!」
「うるさい、行くぞ! もう考えていても分からん!」
クアトロが勢いよく立ち上がる。
「あっ! ちょっと待ちなさいよ!」
どんな捨て台詞よとマルネロは思いながらも、クアトロについていこうと慌てて立ち上がる。スタシアナも次いで立ち上がって、むーといった顔で、とてとてとついて行くのだった。
アストリアが何者かの刺客に襲われた翌日、アストリアは帝都へと旅立った。その道中は一人で外出したことを終始、護衛の騎士ダースに叱られることになった。
帝都へ向かう揺れる馬車の中で、ダースはまだ小言をぶつぶつと繰り返している。護衛としてのダースの気持ちも分かるので、アストリアは申し訳ないと思いつつも、その小言を聞き流していた。
あの夜、あの時、クアトロの手を握っていたのならどうなっていたのだろうか。彼らと一緒に冒険者として、自由に思うまま生きていけたのだろうか。
本音を言えば魔族と聞くと、ちょっとだけ怖い気もする。でもクアトロたちは、たったあれだけの報酬で孤児院を助けてくれた人たちなのだ。きっと優しい人たちなのだろうと思う。
実際にあの夜も皆で自分を助けてくれたのだ。
スタシアナも可愛い少女だった。あまり話すことはできなかったけれど、あのような妹がいてくれたらきっと日々が楽しいものになるのだろう。
そんな彼らと、もし一緒に行っていたのなら……。
そこまで考えて、スタシアナはそれを否定した。所詮は夢物語なのだろう。
人質に出される第四皇女とはいえ、自身は帝国の皇女。皇女がいなくなれば、当然帝国は探すはずだ。
帝国がその気になって探せば、例え冒険者の中に紛れ込んだとしてもすぐに見つかってしまう。その際、近くにいるクアトロたちがどんな咎を受けてしまうのか……。
皇女誘拐ともなれば、死罪は免れない罪のはずだった。
差し出した手をアストリアが拒んだ時の赤い瞳。悲しみに満ちていたとアストリアは思う。
クアトロは前後も考えず、純粋に自分を助けようとしてくれたのに……。
あのような形でクアトロを悲しませたくはなかったと、強くアストリアは思うのだった。




