邂逅
結局、クアトロたちは孤児院で一泊することとなったのだった。
用意された部屋の寝台に転がって、マルネロは大きく伸びをしている。その横ではスタシアナがちょこんと座って、寝台の外で宙に浮いている足をぶらぶらとさせていた。
「それにしても立派な皇女だったわね」
寝台に転がったままでマルネロが感心したように言う。
「そうだな。あの歳で大したものだったな」
クアトロもマルネロの言葉に頷く。
「そうですね。立派でしたねー」
スタシアナも同じなようで、感心したように頷いている。
「綺麗な皇女だったな。栗毛色の髪なんて、輝いていたぞ。あの深緑色の瞳に見つめられた時など……」
クアトロはそこまで言って、マルネロがこちらをながら口をあんぐりと開けていることに気がついた。スタシアナは、むーとした顔で見ている。
どうやら失言だったらしい。
クアトロは軽く咳払いをして言葉を続けた。
「まあ、あれだ」
「どれよ?」
「どれですか?」
たちまちマルネロとスタシアナが言葉を重ねて来る。
「立派な……皇女だなという話だ」
「そっちだったかー」
マルネロが寝台の上で上半身を勢いよく起こして声を張り上げた。
「てっきり、ろりこんふらぐは孤児院のユナちゃんだと思ってたのに、あの皇女だったとは……それともまさかの両方? 怒涛の展開なわけ?」
「何を言っている! 俺はろりこんなどではない。だから、そんなふらぐも立たん! 大体、ふらぐって何なんだ?」
「はあ……」
深いため息とともにマルネロが赤い頭を垂れた。スタシアナは変わらず、むーといった顔でクアトロを見つめている。
いや、本当にろりこんではないんだぞ。
多分、俺はろりこんなんかではないんだぞ。
クアトロは心の中で呟いてみる。
微妙な沈黙が部屋に訪れていた。その空気に押されてクアトロは口を開く。
「少し……散歩に行ってこようかな」
クアトロはそう独りごちて立ち上がった。
「ろりこんさん、変なことをしては駄目よ。衛兵さんに捕まるんだからねー」
クアトロの背後からそんなマルネロの声が聞こえてきたのだった。
孤児院を出て特に行くあてもなく歩いていると、小川にぶつかった。ここまで来るとかなり街の外れになるのだなとクアトロは思う。魔獣に遭遇することもあるのかもしれない。
それにしても今夜は綺麗な夜空だった。月光も明るく、その光が神秘的なまでに周囲を照らしている。
人族の世界に来たのは初めてだったが、魔族のそれと何ら変わることはないらしい。当たり前といえば当たり前のことではあるのだが。
勢いのままに魔族の王などになったが、このまま人族の世界で冒険者として暮らすのも悪くないかもしれない。そんなことを言い出したら仲間たち、四将と言われている彼らに叱られてしまうのだろうか。
彼らが自分を王にするために、様々な苦労をしてきたのをクアトロは知っている。時に苦しみ、時に傷ついてきたのだ。
だが、そうして王となった自分は何をするのだろうか。今は王の身にもかかわらず、気儘に人族の世界に来ているが、いずれは建国時の混乱も収まって自分は王としてあの国に縛りつけられるのだろう。それが自分の望んでいたことなのだったろうか。
ただ一方で、例え王という身分に縛りつけられたとしてもヴァンエディオがいれば、これまで通り自由気儘にやれるような気もする。
「分からないな……」
そこまで考えてクアトロはそう呟いた。分からないことは考えない。それがクアトロの主義だった。決して馬鹿なわけではないぞとも思う。
それ以上考えることを放棄した時だった。右手にあった茂みが僅かに揺れる。
クアトロは赤い瞳を茂みに向けて腰の剣に手を置いた。危険な魔獣が、街の近くに現れるとも思えないが、油断はしない方がいい。
鋭い視線を送っていたえが、茂みから現れたのは小さな人影だった。人影は胸の上で両手を重ねている。
「クアトロ様だったのですね。少しだけびっくりしました」
現れたのはアストリア皇女だった。
「皇女様でしたか。どうしてこのような所に。お一人ですか?」
クアトロは当然と言える疑問を口にした。アストリアは少しだけ恥ずかしそうに俯くと、散歩にといった言葉を口にした。
「お一人で散歩とは少々危険なのでは?」
「そうですね。でもこの辺りでは魔獣が出ることもないでしょうし、私も少しぐらいの心得はあります」
そういう問題でもないだろうとクアトロは思ったが、それを口にはしなかった。
「クアトロ様は何をなさっていたのですか?」
「私も散歩です」
まさか仲間たちにろりこん、ろりこんと攻められるのが嫌で、部屋から逃げて来たと言えるはずもない。結局、クアトロも芸のない同じ言葉を返した。
「そうですか。それでは私と一緒ですね」
アストリアはそう言って微笑んだ。月明かりに照らされた明るい栗色の髪は黄金色に輝き、アストリアを神秘的に見せているようだった。
目が眩むぐらい美しいんですけど。
この世の者とは思えないんですけど。
クアトロは心の中で呟く。
こんなことを少女に思う自分は、やはりろりこんの変態なのだろうか。
自分がろりこんである証拠を突きつけられたようで、何だか泣きたくなってきたクアトロだった。
「クアトロ様のその瞳、魔族の血を引いているのでしょうか?」
そう訊かれて、クアトロは軽く頷いた。
「魔族は……嫌いですか?」
アストリアは月光を受けて金色に光る頭を左右に振った。
「綺麗な赤い瞳だと思います。素敵だと……」
そう言ってアストリアは自分の言葉の意味に気がついたのか頬を赤らめた。
「ありがとうございます、アストリア様。瞳の色を褒められたのは、初めてです」
「クアトロ様、丁寧な言葉をそう無理に使うことは不要かと。今はあなたと私の二人だけです。誰かに咎められることもありません。クアトロ様は丁寧な言葉を使うと、顔がいつも引き攣っておられるようなので」
アストリアは微笑みながら、そう言った。そんな表情だったのかとクアトロは苦笑する。
「それでは遠慮なく。おっしゃる通り、堅苦しいのは苦手なので」
「はい。私のことは、アストリアとお呼び下さいね」
「では、俺のことも、クアトロと呼んでくれ」
そう言って、二人は微笑み合った。そして小川の斜面に二人で腰を下ろす。
クアトロが隣に座るアストリアに目を向ける。アストリアは正面に深緑色の瞳を向け、風で揺れる明るい栗色の髪を片手で押さえていた。
美しいなとクアトロは思う。この光景でそれ以外の言葉が出てこないほどに美しいと思った。
「冒険者とは……自由なのでしょうね」
やがてアストリアが口を開く。
「まあ、そうだな。自由だな」
実際は冒険者が本職ではないし、しかも初心者だ。それでもクアトロは頷いた。
「羨ましいです……」
「アストリアは、自由ではないのか?」
一国の王族なので、当然それなりの縛りはあるのだろう。自由気儘に振る舞っている自分でさえ、色々とあるのだから。
「私にはやりたいことが沢山あります」
クアトロの問いには直接答えずにアストリアはそう言った。そして言葉を続ける。
「孤児院の件もそうです。王族の身でありながら、間違っていることを何ひとつ正すことができません。王族だからこそ正さねばならないことを何ひとつ覆せない。できないことばかりです」
まだ幼いから。
いずれはそれが可能な立場になれる。
そんな言葉をアストリアは求めていない気がした。
「そうか……だが、できないと自分で決めつけることはない。できないなどと限界を自分で決めつけないで、それやり続ければいい。俺はそう思うな」
「何度、駄目だったとしても? どう考えても駄目だと思っても?」
「そうだ。諦めなければ、限界なんてありはしない」
マルネロが聞いたら、脳筋の理屈ねと一蹴するだけなのだろうなとクアトロは思う。
「クアトロさんは、きっと強い方なのですね」
「強くはない。ただ頭があまりよくないのでな。考えるのは苦手だから何度駄目でも、間違っていても、失敗しても、それをやり続けるだけなのだろうな」
クアトロがそう言うと、アストリアは優しく微笑んだ。
「私もクアトロさんのように自由になれたらと思います。そうすれば、クアトロさんのように強くなれる気がします」
「ならば、俺がアストリアをさらってやる。俺と一緒に来い。俺がアストリアを自由にする。強くする。そして、アストリアは望むことをやればいいさ」
クアトロはそう言って、アストリアに片手を差し出した。
それはクアトロの中で唐突に表れた思いだった。
だが、クアトロは間違いなくこの時、少女を助けたいと思った。
この少女を守りたいと思ったのだ。
そして……愛おしいと思ったのだった。




