皇女アストリア
クアトロたちが孤児院に戻って来たのは、出発してから二日後のことだった。
確かに目当ての薬草を入手することはできた。僅か一握りではあったが。
これで足りるのかどうか、クアトロは不安になってくる。
それに何だか凄く疲れた……。
たかが薬草を採りに行っただけなのだ。それなのに薬草が生えていた丘の形状が変わり、途中にあった森の五分の一が消滅。四分の一が焼失した。
四将の魔導師と堕天使が通った跡は、ぺんぺん草も生えていないという噂は本当なのかもしれない。
そうやって辿り着いた孤児院の前は以前と違って物々しい雰囲気だった。孤児院の敷地内も外にも武装した兵士で溢れていた。
その数、三十名程だろうか。兵士が身につけている紋章を見ると、どうやらベラージ帝国の正規兵のようだった。
「何の騒ぎだ、これは?」
そのような中で孤児院に不用意に近づくこともできず、遠巻きにそれを見ていたクアトロがマルネロに向かって言う。
「さあ……でも、孤児院で何かあった感じではないわよね」
確かに兵士達は整然と並んでおり、これから何かを行おうといった様子は見られない。
そんなことを二人で話していると、孤児院から院長のケイトが出て来た。
「あ、院長さーん」
スタシアナがクアトロに横で、ぴょんぴょん跳ねながら手を振る。院長のケイトもそれに気がついて、こちらに手を振り返した。
「皆様、無事にお戻りになられたのですね」
「はい。先ほど着いたばかりです。薬草も僅かですが、採ってくることができました」
クアトロはそう言って、薬草を差し出した。ケイトは礼を言って、それを受け取る。
「これだけあれば十分です。これであの子、エドも大丈夫です。報酬が銅貨一枚だというのに依頼を受けていただいて、本当にありがとうございました」
ケイトが重ねて礼を言う。
「いや、依頼自体はそれほど大したものではなかったですしね。お礼などは不要です。それよりもこの兵士たちは……」
「あ、そうですよね。私ったら何の説明もなく……」
ケイトがそこまで言うと、孤児院の中から三つの人影が出て来た。中央の人影は左右を騎士に挟まれている。
「院長殿、外で何かありましたか?」
中央にいる人影がそう言った。
人影は明るい栗色の髪と深緑色の瞳を持つ少女だった。歳はスタシアナより少し上に思える。十一、十二歳といったところだろうか。着ている服からして、貴族などのかなり身分が高い者のようだった。
「アストリア様、先程お話しをさせていただいた冒険者の方々です」
アストリアと呼ばれた少女はそれに軽く頷くと、深緑色の瞳を真っ直ぐにクアトロに向けた。
「私はアストリアと申します。あなたたちが薬草採取に行って下さった冒険者ですか。話は聞いております。私からもお礼を言わせて下さい。この度は、本当にありがとうございました」
アストリアはそう言って頭を下げる。幼いとはいえ高貴な身分にもかかわらず、どこの者とも知れない冒険者に向かって頭を下げることに抵抗がないようだった。
「いえ、畏ってお礼を言われるほどのことではないです。私はクアトロ。そしてマルネロ、スタシアナと申します」
クアトロに次いでマルネロも頭を下げた。スタシアナも少し遅れて、ぴょこんと金色の頭を下げる。
「アストリア様、彼らが採って来て下さった薬草がここに」
「そうですか。よかったです。これで、あの男の子も大丈夫ですね」
アストリアは小さな両手を胸の前で重ねて、安堵のため息を吐いた。
「アストリア様は、帝国の第四皇女でございます。近くの教会にいらっしゃったので、この孤児院にも様子を見に訪問されまして……」
「急な訪問で、迷惑をかけてしまいましたね」
「いえ、迷惑などと……」
ケイトがそこまで言うと、左右にいた騎士の一人が口を挟んで来た。
「アストリア様、外では何かと不都合が。兵たちも落ち着きませんので、中に入られてはいかがかと」
「ええ、そうですね。大変失礼致しました。皆様、どうぞお入り下さい」
院長のケイトは慌てたようにそう言うのだった。
孤児院の食堂と思しき部屋に皆は通された。院長のケイトが申しわけなさそうに頭を下げる。
「申しわけざいません。失礼かとは思うのですが、この人数が入れる部屋はここしかなく……」
「大丈夫です。こちらこそ外の者たちも含めて、この人数で押しかけてしまい申しわけありません」
アストリアは気にする素振りを見せずに口を開いた。アストリアの左右には変わらず騎士が立ち控えている。
アストリアは深緑色の瞳をクアトロに向けると、再び頭を下げた。
「クアトロ様、今回の一件、本当にありがとうございました」
「いや、もうお礼は十分です」
クアトロは片手を軽く左右に振った。
「いいえ。本来であれば、政を行う我々が行わねばならないことなのです。孤児院の運営においても、教会だけに任せておくのではなく、我々から十分な援助をしなければいけないのだと思っております」
「ご立派な考えでいらっしゃいますね」
マルネロが感心したように言う。加えて、どこかの王に聞かせたいとばかりにうんうんと頷いて、クアトロをちらちらと見ている。
「いいえ……」
アストリアは明るい栗色の頭を左右に振った。
「そう思っているだけです。実際は何もできておりません」
「アストリア様、そんなことはありません。アストリア様はことあるごとに私たちの窮状を訴えていただいております。少しずつですが、確実に改善しております」
ケイトが真剣な表情でアストリアに訴えている。その表情に嘘はないようだった。
「ありがとう。院長殿にそう言っていただけると、少しは心が軽くなります」
アストリアが少しだけ微笑んだ。
「今回の一件も、私が個人的に薬やお金を与えるのは難しいことではないのです。ですが、この孤児院だけに援助をすることはできません。個人的にこの孤児院を援助するのであれば、同じように帝国全土の孤児院も援助しなければなりません。そして私にはそこまでの力がないのです」
「聡明なお考えですね。政を担うのであれば、公平性が必要かと」
マルネロがそう言うと、そこで初めてアストリアは楽しそうに笑った。
「マルネロ様は先程から私のことを褒めてばかりですね」
アストリアはそう言うと、思い出したように両手を胸の前で軽く叩いた。
「そうだわ。ご迷惑でなければ、こちらを差し上げます」
アストリアはそう言って、首につけていた首飾りを外し、クアトロの前に差し出した。アストリアの瞳と同じ深緑色の石が嵌っている首飾りだった。
クアトロは宝飾品に詳しいわけではないのだが、それが安物ではないことは分かる代物だった。
「アストリア様、冒険者のような者にそのような行為をなさるのはいかがなものかと」
アストリアの横に立っていた騎士の一人がそう口を挟んだ。アストリアはその騎士に少しだけ厳しく思える顔を向けた。
「ダース卿、これは今回の報酬ではありません。それに冒険者のようなといった言い方は無礼です。クアトロ様たちはこの孤児院にとって大恩ある方々なのですよ。相応の礼を持ってしかるべきです」
アストリアにそう言われ、ダース卿と呼ばれた二十代半ばぐらいに見える騎士が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「先にも言いましたように、これは今回の報酬ではありません。首飾りはこの孤児院に限らず、他の孤児院でも今後同様の依頼があった時のために差し上げたいと思います。その時には率先してその依頼を皆様に受けていただければ嬉しく思います」
「分かりました。そういうことであれば、受け取らせていただきます」
クアトロはそう言って、首飾りを受け取った。魔族の王である自分が今回のように、冒険者組合から孤児院の依頼を受けることなど、二度とないのかもしれないとクアトロは思う。
同じようにアストリアも自分の眼前にいる冒険者が、再び孤児院の依頼を受けることがあるとは思っていないだろう。ただそれでも、この報酬によって少しでもこの少女が抱えている思いが軽くなるのであれば、それでよいとクアトロは思ったのだった。
人族の王族に生まれたアストリアが日々どのような葛藤をしているのか、クアトロには分からない。それでもこの短い邂逅の中で、少女が優しい心の持ち主であることは十分に感じられた。
クアトロは少女から首飾りを受け取ると、アストリアの思いを感じながらそっと袋に入れるのだった。
心優しく……。
そう思うクアトロだった。




