魔王の花嫁
部屋を出ると城内は想像以上に酷い有り様だった。いたる所が崩れ、煙を上げ、負傷者で溢れている。
その中にはすでに動かない者がいるであろうことも容易に見てとれた。特に建物の外、城門付近は酷かった。城全体でどれ程の負傷者と死者がいるのか想像もつかない。
あまりの惨状にアストリアは自身の血の気が引いて行くのが分かる。助けを求める負傷者に手を差し伸べる者などなく、それはまさに地獄と呼べる惨状だった。
破壊しつくされた城門の前でアストリアは足を止めた。アストリアの手を握っていたクアトロの足も必然的に止まる。
「クアトロさん、これは……」
アストリアの声が震える。
「すまなかった。アストリアの国をこんなことにしてしまって。穏便にとはいかなかった」
クアトロは顔に苦渋の色が浮かんでいる。
アストリアはクアトロの手をそっと離した。
「クアトロさん、ごめんなさい。私は一緒に行けません。これを目にして、無視して一緒に行くことはできません……」
アストリアは強く唇を噛み締める。そうでないと涙が溢れてしまいそうだった。
クアトロと一緒に行けないこと。
自分のために城の者たちが傷つき、死んでしまったこと。
それらの光景や思いがアストリアの頭の中で渦を巻いて考えがまとまっていかない。
でも、クアトロだけを一方的に非難できないのも分かっている。クアトロは自分を助けるためにこの惨状を生み出したのだ。それこそクアトロ自身も命を懸けて……。
そんなアストリアを見てクアトロが口を開いた。
「アストリアは……きっとそう言うだろうと思っていた」
「何を……思っていたと言うのですか?」
自分の口調がクアトロに対して非難めいたものになってしまう。
それがアストリアは嫌だった。だがこの惨状を目の当たりにすると、そう言わずにはいられなかった。
「スタシアナ、すまない。力を貸してくれ」
クアトロは自分の背後を振り返り、そう声をかけた。背後からスタシアナが、とてとてと現れる。次いでマルネロも姿を現した。
アストリアの前に現れたスタシアナは、むーといった顔でアストリアを見ている。そのスタシアナの背には漆黒の翼があることにアストリアは気がついた。
「ぼくとしては、かなり複雑なんですよ。でも、クアトロがそうして欲しいと言うから、仕方なくするんですからねー」
「すまないな、スタシアナ」
「これを使うと三日は立てなくなりますからね。クアトロがしっかりとぼくの面倒を看て下さいね」
「ああ、分かってる。宜しく頼む」
クアトロはそう言って、視線をアストリアに戻した。
「アストリア、安心してくれ。彼女は堕天使だ」
先程気がついたばかりであったが、確かにスタシアナと呼ばれる少女の背中には、前に会った時にはなかった漆黒の翼が揺れている。
「堕天使ゆえに、元天使だから使える魔法もある」
その言葉が終わると同時にスタシアナは呪文を唱え始める。やがて、スタシアナの体を黄金色の光が包み込む。
少しだけとはいえ、同じ神聖魔法を使うアストリアには分かる。これは紛れもなく神の力だと……。
「蘇生……零式」
スタシアナを包んでいた黄金色の光が、スタシアナを中心にして一気に膨れ上がった。そして城全体を包み込んでいく。
やがて黄金の光が薄れると同時に、スタシアナが崩れ落ちる。それをクアトロが優しく抱き止めた。
「さすがだな。ありがとう、スタシアナ」
クアトロは抱き止めたスタシアナに優しく語りかけている。クアトロの腕の中で、金色の頭が、僅かに頷いたようだった。
やがて少しずつではあったが、動き始める人の気配が、あちらこちらで感じられる。
「これで傷ついた者たちの傷は完治したし、死んだ者もこれで復活する。もつとも復活した者たちは、暫く立ち上がれないがな」
広範囲に渡る回復と蘇生の魔法。それは紛れもなく、神の力を代行すると称する天使の力だった。
「皆が無事にとは言え、俺たちがアストリアの国の人々を傷つけ殺したのは事実だ。本当にすまないと思っている」
クアトロがそう言って頭を下げる。アストリアは溢れてくる涙を堪えて、それでも嗚咽を漏らしながら、頭を左右に振ったのだった。
「だから、何でお前までついて来るんだよ!」
クアトロ一行は自分たちの国、エミリアス王国へと戻る途中にいた。
クアトロとしてはもっとアストリアの傍にいて彼女と色々な話をしたいのだが、それを何かとダースが邪魔をしてくるのだった。
大体、クアトロはダースについて来ていいと言った覚えはない。ダースが知らない間に勝手について来たのだ。
「私はアストリア様の護衛騎士だからな。アストリア様について行くのは当然だ」
「護衛騎士? 金魚の糞の間違いだろう」
生真面目に答えるダースにクアトロが憎まれ口を叩く。
「糞とは何だ。騎士を糞呼ばわりするな。失礼だぞ!」
ダースが怒りの声を上げる。
「この、う○こ騎士」
「う、う○ことは何だ! 貴様、叩っ斬るぞ!」
「面白い。やるのか? う○こ騎士!」
先頭の二人がそんな言い合いをしているのをアストリアは苦笑しながら見ていた。そんなアストリアにマルネロが声をかける。
「アストリア、本当にいいの? 皇女の地位を捨てて、あんな馬鹿ちん王の花嫁になるとか言って? 今、う○こを連呼してる、史上最低の国王なのよ?」
そう言われてしまうと、アストリアには苦笑を返す他にない。一方で、花嫁と言われると頬が上気するのが自分でも分かる。
でも、照れや羞恥はあるものの、自分の中に後悔といったものは一切ないとも思っていた。
「はい。私は魔王の花嫁となるために、一緒に来たのですから」
「そっかあ。これで本当にろりこん王の誕生よね」
クアトロがろりこんと言われて否定したいのだが、その一因が自分にあるのでアストリアに返す言葉がない。
気づくと堕天使のスタシアナが、むーといった顔でアストリアを見ている。
「えっと、スタシアナさん、何だか目が怖いんですけど……」
アストリアが、あたふたと両手を上下に振る。
「クアトロは、ぼくのことが大好きなんですよ」
「はい……」
アストリアが、しゅんとなる。
「ちょっと、スタシアナ、あまりアストリアを虐めちゃ駄目よ」
マルネロがそんな二人の間に割って入ってきた。
「ふん、いーっ、だ!」
スタシアナはそう捨て台詞を残してクアトロの方へ、とてとてと駆けて行く。そして不意に振り返ると、マルネロに向かって叫ぶ。
「マルネロのおっぱいお化けー。ばかー。う○こー」
マルネロに怒られたのが悔しかったのか、スタシアナはそう叫んで再び、とてとてと駆けて行く。
「あのろりこんばばあ……」
マルネロが怒りを噛み殺すように呟いている。
「嫌われてしまいました……」
とてとてと駆けて行くスタシアナの背を見ながら、アストリアはそう言った。新参者としては皆と仲良くしたいとの思いがあるのだが……。
「アストリア、余り気にすることないわよ。スタシアナは、あざといだけだから。あのろりこんばばあの半分は演技よね。いえ、ほぼ全部が演技かも。見た目は十歳、言動は五歳、実際の歳は……って感じだからね。あの堕天使は……」
マルネロはそう言って、笑いながら片目を瞑って見せた。
「あ、危ね! お前、本当に剣を抜きやがったな。やる気か? やるのか? やれんのか? このう○こ!」
クアトロのそんな声が聞こえてくる。
「貴様、せめて騎士をつけろ!」
「うるせえ。この、う○こ、う○こ、う○こーっ!」
「あーもう、あんたたち、うっさいのよ! いつまで子供みたいな喧嘩をしているつもりよ!」
マルネロがそう言いながら、先頭で子供のように揉めている二人の下へと駆けて行く。
何かと騒がしいけども、本当に楽しい旅だとアストリアは思う。王宮にいた頃には想像できなかったぐらいの楽しさだった。
正直、魔族はまだ少し怖いし、その魔族の国に行くことに不安もある。でも、マルネロやスタシアナ、護衛と称してついて来てくれたダースがいれば大丈夫だとも思う。
そして何と言っても、傍には自分を救ってくれた魔族の王、クアトロがいるのだ。
気づくと少し遅れたアストリアを心配してなのか、クアトロが足を止めて自分に手を振っている。
綺麗で優しい赤い瞳だとアストリアは思う。
アストリアはそれに笑顔で答えて足を早めるのだった。
そう、自分は魔族の王、魔王の花嫁となったのだ。




