鷲頭ちゃんは性格が悪い
「ちょっと、あのおっさん絶対ヅラじゃない?」
鷲頭ちゃんは、そう意地悪そうなよく響く声で言った。気持ちだけひそひそしている風に口元に手を当てているけど、周囲の人にも本人にも聞こえているだろう。
一瞬でおじさんに視線があつまった。おじさんは微動だにせず、時刻表を見ている。
「えー、ほんとだっ、っぽいよねー」
「妙に上にぼりゅーみーな感じとか、怪しいかもー」
双子の海ちゃんと空ちゃんがそう同調するけど、君たちの声も大きいよ。
「でしょでしょ! 絶対そうよ!」
同意を得られて、心底嬉しそうな笑顔になる鷲頭ちゃん。いつもながら単純だ。
「鷲頭ちゃん、本人に聞こえちゃうよ」
「なによぉ、緑。あんたはそう思わなかったわけ?」
緑、と鷲頭ちゃんしか呼ばない私のあだ名で呼びながら、不満そうに眉をしかめる。
実際にはもう聞こえていて手遅れだろうけど、ここは形だけでも気を使ってますアピールしておくべきだと言うのに。
「そうじゃないけど、声が大きいから」
「ふん! 別に聞こえたっていいじゃない。ほんとのことなんだから。鷲頭の言うことには、うんって言えばいいのよ!」
鷲頭ちゃんは、自分のことを名字でよぶ。自分のお家を自慢に思っているからだ。
「うんうん、そうだね。でも、もし聞こえて、怒られたら嫌だからさ」
「ふん。緑はほんと、弱虫なんだから」
鷲頭ちゃんはとても楽しそうに私をそう罵倒して、にやにやと笑って私の肩をついた。
それに、そうだそうだーと双子も同意してはやしたて、鷲頭ちゃんはますます嬉しそうになって、二度三度と私の肩をついた。
鷲頭ちゃんは性格が悪い。
鷲頭ちゃんは私のクラスメイトだ。一学年に2クラスなのでそこまで珍しくないけど、一年生から今年の五年生まで同じクラスだ。
初めて会ったのは小学校の入学式で、その時から鷲頭ちゃんは偉そうに自分を名字で呼び、高そうな洋服で着飾り、絵にかいたようなお金持ちの性格の悪い子と言う感じだった。
実際家はお金持ちだ。と言っても、私立の小学校に通っているので、私も他の子も貧乏なお家の子はしらないけど、その中でもわかりやすく鷲頭ちゃんはお金持ちで有名な家の子だった。
お爺さんが有名な地主で、由緒正しいお家の子だと本人は言っているけど、とてもそうは見えない立ち居振る舞いをしている。
家がちかくて最寄駅が同じなのは私だけなので、自然と私と鷲頭ちゃんは友達となり距離は近くなった。
だけど鷲頭ちゃんはとても性格が悪いので、そんな私もすぐ馬鹿にしたりする。
人に同意してもらって持ち上げられてちやほやされている時、鷲頭ちゃんはとてもいい顔をしていて、無邪気で純粋な美少女にすら見える。
だけどそんな顔を向けられて、いじめに近いようなことをされている私にとっては、その顔は特に魅力的とは思わない。むしろ、いい笑顔であるほど、いらっとする。
「緑、何点だった?」
鷲頭ちゃんがにやにやしながら、さきほど返されたテスト用紙をもってそう話しかけてきた。
どうやら自信のある点数がとれたらしい。拒否しても面倒そうなので、素直に見せる。
「きゅうじゅうはち……ふ、ふん! 緑ってほんとがり勉だよね、あー、やだやだ」
自分の答案をひっくり返してつっかえしてきた鷲頭ちゃん。ちらりと見えた点数は52点だ。正直私にしてみれば、習ったことがそのままでているのだし、そこまで低い点が取れるわけがわからない。
ましていつも90以上をとっている私に、何故その点数で自信満々で声をかけてきたのか。
まぁ、わかっている。鷲頭ちゃんは馬鹿なので、私の点数なんて覚えていないのだ。馬鹿だから、自分の点数がいつもより良かったからよすぐ調子に乗れてしまうのだ。
「さっき、先生平均点85って言ってたし、普通だよ」
とはいえ、いらっとするものはするので、自分のテストを受けとりながらそう答えておく。そうこの先生の言葉をちゃんと聞いていれば、自分のテストの点がいいなんて思うはずが、まぁ、鷲頭ちゃんに平均点の意味が分かるはずもないか。
「! っ」
めちゃくちゃ悔しそうな顔になった鷲頭ちゃんは、自分のテスト用紙をくちゃくちゃにして、ぽいとそのまま後ろに捨てた。
こんなに堂々とポイ捨てをする。それを拾われて、見られるとも思わないのだろう。それに今は休み時間。先生こそいないけど、見えるところに彼女がいるというのに。
「あ、鷲頭さん! なに捨ててるの、駄目でしょ、ちゃんとゴミ箱にすてないと」
案の定、目ざとく気が付いた毎年学級委員をしていてずっと同じクラスの田野畑さんが、そう注意しながら近寄ってきてそれを拾い上げた。
「ちっ、うっさいなぁ。いいんちょーには関係ないでしょ」
「同じ教室にいるんだから、関係あるよ。もう、私が捨てておくけど、次はちゃんとゴミ箱に捨てるんだよ」
「ふん」
優しい委員長はそう言って踵をかえしながら手元を見て、それがテスト用紙なことに気が付いて振り向いて何か言おうとしたけど、どうやら点数も見えてしまったようで、気まずそうにゴミ箱へ向かった。
あの委員長を黙らせるとは、さすが鷲頭ちゃんだ。
「まったく、いつもうっとうしいわね、あの女。ババアみたいに口うるさくて」
「そうだねぇ」
鷲頭ちゃんがババアと呼ぶのは、家政婦の人のことらしい。鷲頭ちゃんにはお母さんがいない。お父さんも滅多に家にいないので、基本的にお爺さんと家政婦さんで暮らしているらしい。
親代わりのように教育までしてくれる家政婦さんで、鷲頭ちゃんが大好きなお爺さんにも認められている存在だと言うのに、平気でそう呼ぶ。
さすがにお爺さんの前だと怒られるので家では呼ばないけど、本人の前でも呼ぶ。
鷲頭ちゃんはそのくそ度胸だけは、私もさすがに尊敬しないでもない。
「鷲頭ちゃーん、さっきのテスト何点だったー?」
「私たち、ちょーいい点だったよー」
「ふん。私は点数なんて小さなことには拘らないのよ」
「えー、すごーい」
「かーっこいー」
双子がやってきて、わかりやすいよいしょをしたので、見る見る鷲頭ちゃんの機嫌がよくなった。
「ねー、鷲頭ちゃん、今日の放課後は本屋さん行かなーい?」
「今日は、月刊少女きらりちゃんの発売日だよー」
「あら、そうだったわね。じゃ、行きましょうか」
「わーい」
「やったー」
そして放課後、私と鷲頭ちゃんたちは、駅前の大きなビル内の本屋に来ていた。あの後双子が鷲頭ちゃんと本屋言って本買ってもらうんだーと宣伝したので、もう5人ほど追加され、鷲頭ちゃんはちやほやされて嬉しそうだ。
「えー、二冊も買っていいの?」
「そのくらいいいわよ」
「やったー、ありがとう鷲頭ちゃん!」
「ふふふ! 鷲頭を誰だと思ってるのよ! 鷲頭美姫様なのよ!」
鷲頭ちゃんはその後も絶好調で、全員に本をおごるだけに飽き足らず、喫茶店でケーキもおごっている。一緒におごられている私が言うことではないけど、鷲頭さん家は鷲頭ちゃんにお小遣いをあげすぎだと思う。
「このタピオカ、めっちゃ人気だよねー」
「並ぶ価値あるけど、ちょっと高いから、なかなか飲めないんだよね」
「ほんとほんと、今日は鷲頭ちゃんがいてくれて嬉しいなー」
鷲頭ちゃんはどう見てもたかられているだけなのに、嬉しそうにニコニコしている。それを見ていると、なんだか哀れにも思えてしまう。
女の子三人が並んで買ってくれるのを待つ間、私と鷲頭ちゃんと双子は、行列に巻き込まれない反対側の通りのバス停に座って待ちながら話をする。
「あ、そう言や今日、鷲頭ちゃん、帰る前にいいんちょに捕まってなかった?」
「あ、そういえばー、なんかお話ししてた?」
「……ふん、別に、くだらないことよ。あの女は、いつも私につっかかってくるんだから、やめてほしいわ」
「ほんとだよねー」
「委員長ってそういうとこあるよねー」
鷲頭ちゃんはぼかしたけど、委員長は鷲頭ちゃんに、よかったら勉強教えようか、とこそっと言ってくれたのだ。あんなにひどい態度の鷲頭ちゃんを気遣う優しさなのだけど、当然鷲頭ちゃんにとってはたまったものではない。怒髪天をついて追い払っていた。
双子のいい加減な相槌に、一度むっとした顔になっていた鷲頭ちゃんはすぐに笑顔になる。
「ほんとよね! まったく、うっとうしいやつだわ。ねえ緑もそう思うでしょ?」
「そうだねぇ。今日はちょっとおせっかいだったねぇ」
まぁ、優しさからの声かけだろうけど、大きなお世話には違いない。やさしさが過ぎて、押しつけがましいところがあるのが、委員長が委員長なんだろうなぁ。
私も同意したことで、うんうんと鷲頭ちゃんは満面の笑顔になって、ばん、と私の背中を強くたたいた。
「けほっ」
「たまには緑もいいこと言うわよね!」
そのあまりの強さにせき込んだ私にかまわず、ばんばんとたたいてくる鷲頭ちゃんに、うれしょんする犬を連想して溜飲を下げる私だった。
○
「えぇっ、委員長! ピアノのコンクールにでるの!? すごーい!」
「田野畑さんのピアノ、合唱コンクールの時しか聞いたことないけど、私好き!」
「私も! 絶対見に行くよ!」
わいわいと、騒がしい声が聞こえる。どうやら委員長が今週末、日曜日にあるピアノコンクールに出場することがみんなに知られて話題になっているようだ。前から決まっていたのが、ついに情報流出してしまったようだ。
私はこの学校で唯一同じピアノ教室なので知っていたけど、口止めされていた。だから驚きはないけれど、クラスのみんなには嬉しいサプライズだったらしく、ざわめいている。
「ふ、ふん。いちいち宣伝しちゃって、偉そうに。嫌な感じよね」
「一週間前に決まるものじゃないんだから、ずっと前から決まってたのに今わかったってことは、本人が言ったわけじゃないと思うよ」
「はん。緑はほんと、生意気よね。はいはいって言っておけばいいのよ」
「ほんとにはいはいって言ったら怒るでしょ。それより鷲頭ちゃんには大事な予定があるんだからいいじゃない」
「ん! まあそうね。なんたって日曜日は、私の誕生日なんだから!」
そう、なんとその日は鷲頭ちゃんの誕生日なのだ。文句なしに自分が主役になれる日と言うことで鷲頭ちゃんは大盛り上がり。なんと今月に入った瞬間から何度もその話題を出し続けていて、クラスのほとんど全員に声をかけて誘っているのだ。
普段それほど鷲頭ちゃんにくっついてこない真面目系の子も、さすがにお誕生日会でとなると断りにくいのか、言われるままOKしてくれていた。
鷲頭ちゃんはご機嫌だ。今日この時までは。
それからなんと、鷲頭ちゃんのテンションは急低下していく。
正直、予想はしていた。数人の、ちょっと無理やり誘われていた真面目系の女子たちが、ごめんね、やっぱり鷲頭ちゃんの誕生日会にいけないと言い出したのだ。
濁していたけど、委員長のピアノの発表会を見に行くのは明白だ。
委員長は真面目で品行方正で教師受けがよくて、だけどそれ以上にやさしくて性格がよくて、いつも誰かを助けているので、みんな彼女と仲良くなりたいし彼女に近寄りたいのだ。しかもピアノも激うまで、学校では合唱コンクールでしか聞けないのもあって、是非そちらに!ということだろう。
そうなってしまうだろうと思っていたけど、鷲頭ちゃんはそうではなかったのか、一人一人に怒り狂い、放課後の今でもぷりぷりしている。
「それじゃー、鷲頭ちゃんばいばーい」
「また明日ねー」
「ふん」
双子の挨拶も鼻を鳴らして無視だ。そして双子も、こんな時は当然のように帰ってしまう。おかげで私と鷲頭ちゃんは二人っきりだ。
「機嫌が悪いね、鷲頭ちゃん」
「悪くもなるわよっ。なによ、あの女たち、来るって言ったくせに!」
「そうだね、急に断るとか、どうかと思うよ」
「そうよね!」
「でもまぁ、もともと仲良しでもなかったしね。他に用ができたっていうならしょうがないんじゃないかな」
「……そんなわけないでしょ! この馬鹿緑! この鷲頭美姫様より優先する用事なんて存在しないわよ!」
いやするよ、と思ったけどこれを否定すると面倒そうだ。
「でも断ってきたのは4人だけでしょ。私も入れて7人もいるんだから、十分でしょ?」
「全然足りないわよ」
「まぁまぁ、7人でも、11人分祝うからさ」
「調子がいいこと言って……絶対だからね!」
口では悪態をつきながらも私のフォローににやついた鷲頭ちゃんは、そう言いながら強く私の肩をたたいた。
○
そんな風に鷲頭ちゃんをなだめること数日。ついに、鷲頭ちゃんの誕生日がやってきた。
鷲頭ちゃんの家は、馬鹿みたいに大きい。ピンポーンとならしたベルが、どんどん遠くへとなっていく様は、なんだか現実味のないほどだ。
こんなに大きい家を、一人の家政婦さんがやりくりしているなんて信じられないくらいだ。なのにその一人娘の鷲頭ちゃんがあれなのだから、家政婦さんって大変だなぁ。
しばし待つと、家政婦さんが迎え入れてくれた。かれこれ鷲頭ちゃんとの付き合いも、5年目なので、すでに勝手知ったると言ってもいいだろう。家政婦さんも顔パスで通してくれる。
「鷲頭ちゃん、お待たせ―」
なので気楽に、鷲頭ちゃんの部屋にかるーくノックして返事を待たずにはいった。全体的に和系のお家だけど、鷲頭ちゃんの部屋は本人の要望で去年から洋室になり、開きドアなのだ。なのでノックもするけれど、以前は襖だったのでノックもしなかった。
それくらいには私と鷲頭ちゃんの付き合いは深いのだ。
ドガシャン! と派手に音をたてて、私が開けた扉にカップが当たって液体がぶちまけられた。
「ひぇっ」
普通に悲鳴がもれた。こわっ。開始時間から5分遅れたけど、電車に乗り遅れたってちゃんと連絡したのに。既読スルーだったけど。まさかそんなに怒ってるなんて。
「おっそいわよ馬鹿!」
「そんな、あー、ごめんって。電車に乗り遅れてさ」
「普通に遅刻でしょうが!」
「その通りだけど。ちゃんと来たんだから、そんな怒らないでよ」
「おっ、おこ、怒るわよっ。鷲頭は、怒ってるんだから、うっ、うわーん!!」
鷲頭ちゃんは大きな声で泣き出した。怒っているから、ではない。鷲頭ちゃんは気分屋だけど、怒って泣いてしまうほど情緒不安定ではない。
鷲頭ちゃんの部屋、すでに約束の時間を過ぎた部屋には、鷲頭ちゃん以外誰もいなかった。部屋中、まるで台風でも通り過ぎたみたいに、料理が乗ったお皿がひっくり返ったりしていて、めちゃくちゃだ。
これでは今夜眠ることなんてできないだろう。なんて余計なことを考えてしまうくらい、驚くほどに荒れていた。
私はそっと抜き足差し足で、床に散らばる料理を避けていく。幸いと言うべきか、鷲頭ちゃんが癇癪を起すのは初めてではないので、鷲頭ちゃんの使う食器は全てプラスチックにされているので、割れたりはしていない。
「鷲頭ちゃん」
普段の横暴さからは似合わない、殊勝な女の子座りをしてわんわん子供みたいに泣く鷲頭ちゃんの隣に座り、そっと背中に手を当てながら名前を呼ぶ。
「うっ、ううっ、な、あ、あああにお!? あに!?」
全然言えていない。興奮して馬鹿みたいに泣いている。鼻水も流していて、子供どころか、赤ん坊みたいだ。
「他の子、誰も来ていないんだね。もしかして、みんな用事があったのかな? 鷲頭ちゃんより大事な用事が」
「!? ううううぅあいっっ!! あんっ、あんたは! あいが言いあいおよ!!」
怒りすぎて、ろれつが回っていない。顔を上げて睨み付けてきた鷲頭ちゃんは、怒りをにじませて、だけどそれ以上に、絶望の淵にいるような涙の濡れっぷりだ。
ぞくぞくと足元から頭へと何かが駆け上がっていくような、そんなどこか不思議な感覚になる。
「べつに、ただ、みんな来ないのかなって思っただけだよ、だって、まだ誰も来ていないんだもんね。来ないって連絡あった?」
「……あったわよっ、だからなに!? どうせ、どうせ鷲頭なんか、どうでもいいんでしょ! 鷲頭の誕生日なんか、誰もなんとも思ってないのよ! 鷲頭なんか! 誰も、どうでもいいんだわ!!!」
そう言って、またわんわんと泣き出した。
手足まで降って私の手も振り払い、すべてを投げ捨てるように転がって暴れ、幼稚園児だってこんな風に駄々をこねては恥ずかしいと思うほどだ。
だけどそれを当然のように、ここで世界が終わってしまうのだといわんばかりに、恥も外聞もなく、ただただ悲しいと泣くのだ。
「っ、わ、鷲頭ちゃん……」
その、裏切りで傷ついた顔を見ると、どうしてか私は、とても一言では言い表せないくらい、気持ちよくなってしまう。
幸せだ、と言って何ら差支えがないくらい、嬉しくって楽しくって、ああ、もっとこの顔が見たい! とごまかしようがないくらい思ってしまうのだ。
こんなに弱った鷲頭ちゃんは久しぶりだ。想像以上に、なんて可愛いんだろう。今日は鷲頭ちゃんの誕生日だけど、私にとっても誕生日プレゼントを前もってもらったみたいで申し訳なくなるくらい、嬉しい。
でも、私はそんなに性格が悪いわけじゃない。だって、心からこの言葉をかけられる。
「鷲頭ちゃん、私がいるよ」
「っ、だ、だから、あにお!」
「私が、11人、ううん、100人分でも祝うよ。どうでもよくなんてない。私はここにいるよ」
私はここにいる。鷲頭ちゃんの誕生日を祝うために、ここにいる。だから誰も祝わない、なんてことはない。それだけは否定できる。
私の言葉に、鷲頭ちゃんはぐすぐす泣きながら、力なく右手をのばし、そして撫でるほどの力で私の左肩を殴った。
「な、生意気言うなああ! あんたなんか、あんたなんか、いたからって、あんなのおっ!」
「別に。ただ、私はいるって、本当のことを言っただけだよ」
睨み付ける鷲頭ちゃんは、だけどただの虚勢でしかない。力なくて、弱弱しくていつもと全く違う、死ぬ前のあがきのような怒鳴り方をする鷲頭ちゃんに、私はどうしてかぞくぞくと背筋が泡立つのを感じる。
気を抜くとにやけてしまいそうだ。可愛い。こんなに泣いてそれを隠さないくせに、私の端的な事実を言うだけの慰めには、反発して簡単にはなびかない。
そんな死にかけのくせに強く拒絶する虫みたいな可愛い鷲頭ちゃんも、だけどそろそろ疲れてきたのか、言い訳をするでもなくただ淡々と答える私に、ぐっと眉をよせて涙をとめる。
「っ……いおい…、ぐすっ。すん。う、み、緑のくせに、生意気よ! あんたが傍にいるとか、そんなの、当たり前なんだからっ」
「そうだね。当たり前だね。でも、忘れてるみたいなこと言うから」
「そ、れは……わ、わるかった、かも、しれないわ。でも……だって、だって」
「他の人がこれなかったのは残念だね」
理由をなんと鷲頭ちゃんに言ったのかは知らない。だけど実際の理由はわかる。みんな、委員長のピアノコンクールを鑑賞しに行ったのだろう。
鷲頭ちゃんの前では調子のいいことばかり言う双子でさえ、本当は委員長のことが好きなのだ。委員長の前では、鷲頭ちゃんがかわいそうだからついていてあげなきゃ、なんてことを平気で言うのだ。もちろん私もその時は合わせて言っているけど。
だから今、今日、委員長のピアノコンクールと言う晴れ舞台がある今、ここに誰も来ていなくても何の不思議もない。
そうなるのだろうと思っていた。予想通り過ぎる展開だ。だけどさすがにここまでうまくいく確率は低いと思っていたので、驚いたことは驚いた。一人か二人くらいは、約束したのだからと来る可能性があると思っていた。
私が思っていた以上に、鷲頭ちゃんの人望も信頼もなかったということだ。全くないと思っていたのに、それ以上だったとは。
「でも、料理をめちゃくちゃにして、これじゃあ、お祝いできなくなっちゃうよ」
癇癪を起すにしても、先に始めているとは思わなかった。どうせなら、鷲頭ちゃんがイライラしてキレ始めるところから見たかったのに、惜しいことをした。出がけに急にお腹痛くなって、トイレをしていたせいだ。
「……そ、それは、そうだけど……だって、緑だって、遅れたじゃない」
「私も、誰も来ないって、そう思ったの?」
もう少し、爆発するのを待ってくれてもよかったのに。そう思ってそう言うと、鷲頭ちゃんは少しだけ気まずそうに一瞬目をそらしたけど、そう睨んできた。確かにそうだけど、連絡だってしたのに。
そう責める気持ちで言うと、鷲頭ちゃんはためらうようにしながら、ゆっくりと頭を横にふった。
「……ううん。緑は、緑だけは、来ると思った」
「だよね。私は今まで、鷲頭ちゃんとの約束を破ったことないもん。なのにそう思われたなら、心外だよ」
「ちっ、遅刻したくせにっ」
「それは謝ったでしょ。5分遅刻しただけで、中止になってびっくりだよ」
「……どうして、来たの?」
「え? 約束したし」
「……馬鹿にしないで。鷲頭だって、わかってるわよ、みんな、あれでしょ? 委員長のピアノコンクールに行ってるんでしょ? あんな女のなにがいいのよ! ただのがり勉ぶりっこじゃない!」
「えっ」
本気で驚いた。まさか、それがわかっていたなんて。
委員長は人望がありみんなに好かれ人気者だ。そして鷲頭ちゃんはそれとは比べ物にならない。そもそも性格が悪いし友達だと心から思ってる人なんていないし、なりたい人だっていなくて、単におごってもらってプレゼントしてもらって嬉しいから、その時だけたかっているだけだ。
うちの学校はお金持ちの家が多いけど、子供にまでたくさんお小遣いをくれる家庭はむしろ少ないから、鷲頭ちゃんみたいに馬鹿みたいにお小遣いをもらっている子はほぼいない。
だから鷲頭ちゃんを表面的にちやほやしているだけで、委員長に誘われたわけでもないのに、こうして誕生日と言うずっと前から約束していたことすらすっぽかされる。
それが、わかっていた? 鷲頭ちゃんが、自分が本当は好かれるどころか馬鹿にされ半ば嫌われていて、大嫌いな委員長が好かれていることに、気づいていた?
「ど、どうして?」
「……山野が、そう言って断ってきたの。海とかは、ちょっと体調悪いとか言ってきたけど、でも、全員が一斉にとか、そうとしか思えないじゃない」
なるほど。事前に断られた時もだし、当日キャンセルで馬鹿正直に言ってきた子がいるなら、いくら鷲頭ちゃんでも察してもしょうがないか。
「そうなんだ。なら、そうなのかもしれないね。でも私はそんなの関係ないよ」
「……ほんとに? じゃあ、委員長のことどう思ってるのよ」
なに聞かれてるんだろう。とちょっと馬鹿らしくなることを聞かれたけど、仕方ないので正直に答える。
「別に。優秀でちょっとおせっかいな人だと思うけど。友達でもないし、好きとか嫌いとかないよ」
委員長とは習い事が同じで、始めた時期も同じなので、実はクラス内でも珍しく委員長から下の名前で呼ばれる関係なのだけど、でも私は委員長としか呼ばないし、友達とも思わない。
向こうも、友達とまで思っていないだろう。そもそも委員長の生活ってめちゃくちゃストイックで誰かと遊ぶ隙間ってほぼないし、私の感覚で友達0だ。
だから別に、特に思うところはない。ピアノは上手だし、そこは尊敬するけど、実際おせっかいな性格だとは思うし、自分ができるからって人にもできると思う、ちょっとずれたところもある。
鷲頭ちゃんにどんなに教えたって勉強なんてできるはずもないし、いつも注意してるけど態度が治るわけもないのに。
でもだからって、嫌いでもない。そのおかげで、こうして鷲頭ちゃんの絶望した顔が久しぶりに見れて、ネガティブモードを堪能できるのだから。ありがとう、委員長。
「じゃ、じゃあ……委員長の誕生日が今日でも、鷲頭のお誕生日会に、くる?」
「当たり前でしょ。友達じゃん」
「! み、みど……ん、んん! まぁ、そんなの緑なんだし当たり前だけどね! 別に、ちょっとだけ確認したくなったっていうか!」
一瞬感動したように瞳をうるませた鷲頭ちゃんだけど、すぐに頭をふって誤魔化してそう腕組して偉そうに言った。
あー、もうネガティブモード終わりか。慰めたい気持ちもあるし、そうしないと会話にならないから仕方ないけど、でも、少し残念だ。
鷲頭ちゃんは普通にしていてもとても可愛い顔をしているけど、一番美少女なのは、泣き顔なのに。
普段はどんなに可愛くても、その最悪な性格で、イラつくことばかりだ。だからこそなのか、泣いて絶望してへこんであたりちらしたりしている鷲頭ちゃんは、とても可愛くて、胸が熱くなって抱きしめたくなるくらいなのに。
「じゃあ鷲頭ちゃん、改めて、お誕生日会しようか」
「そ、そうね。すぐ用意させるから、待ってなさい! あんたの好物は来てからつくってもらうよう言っておいたから、そろそろ来るはずなんだけど」
「あ、そうなんだ。ありがとう、鷲頭ちゃん」
こういう気づかいができるなんて、鷲頭ちゃんも少し成長しているんだなって、なんだか少しだけ寂しく感じられた。美味しいものは好きだし、大好物のエビフライはマジで大好きなので嬉しいけど。
でも同時に、こんなに可愛い鷲頭ちゃんも、これからはだんだん見れなくなるのだろうかと思うと、悲しくなる。
「ふん、別に、あんたのためじゃないんだからねっ。鷲頭の誕生日パーティは完璧じゃないといけないってだけなんだから」
「うん。元気がでてきたね」
鷲頭ちゃん。性格が悪い鷲頭ちゃん。みんなの嫌われ者。乱暴で、いじわるで、自分が肯定されるためなら誰のことも攻撃して、自分が一番じゃないと気が済まなくて、すぐ癇癪を起してしまう鷲頭ちゃん。
自己中心的で、お金持ちでみんなにいろんなものを振る舞うから、表面的にはお友達がたくさんいるけど、実際のところそうではなくて、お誕生日会と言う特別でお義理でも来てくれる人がいるはずなのにみんなにすっぽかされてしまう鷲頭ちゃん。
意地っ張りで人を見下し、悪態をついて意地悪ばかりして、そのくせ自分が少し強く言われたらすぐ被害者ぶる鷲頭ちゃん。そのくせ自分が傷ついたと思えば恥も外聞もなくガチで泣く鷲頭ちゃん。
委員長はちょっとうざい性格だけど、だからって悪口を言うほどでもない明らかに善良な性格なのに、委員長を逆らうらみしてどうしようもない性格の鷲頭ちゃん。
だからって能力があるわけでもなく、頭も悪くて、運動も苦手で、どうしようもない性格ブスの鷲頭ちゃん。
そんな鷲頭ちゃんが、私は好きなのだと、思い知らされる。永遠に、このまま、馬鹿で身勝手で性格の悪い鷲頭ちゃんのままでいてほしい。
そうすればこれからも友達もできなくて、ことあるごとにそれを思い知って泣く鷲頭ちゃんが見られるのに。自分が信じてふるまう人気者の鷲頭ちゃんと言う姿が嘘でしかないと、そう知って絶望する鷲頭ちゃんは、これから見られなくなっていくのだろうか。
ずっとこのまま、この鷲頭ちゃんの泣き顔を見ていられたら、もう、他には何もいらないのに。ずっとずっと、可愛いままでいてくれたなら、私は本当に、ずっと傍にいたっていいのに。
「改めて、お誕生日おめでとう、鷲頭ちゃん」
「ふん……ありがと、まあ、今日のところは、緑だけで我慢してあげるわ」
今ここで、鷲頭ちゃんの首を絞めれば、きっとただ一人お誕生日会に参加した私の裏切りに絶望して、今まで絶対に私だけはいた状態よりもっと可愛い、最高に可愛い泣き顔をみせてくれるんだろうな。
そしてそのまま殺してしまえば、それがそのまま、鷲頭ちゃんの最後の顔になるんだ。
それは考えるだけで浮き上がってしまいそうなくらい幸せな気持ちになる。
だけどだからこそ、まだ、とっておこう。本当に最後、その瞬間までとっておこう。
まだ鷲頭ちゃんの性格は悪いから、まだまだ、可愛い鷲頭ちゃんだから、ただ傍にいよう。もっと私を信じてもらおう。
そうすれば、最期にもっと、可愛い顔を見せてくれるんだろう。
「鷲頭ちゃん、これからも私は、ちゃんと一緒にいるからね」
「そ、そんなの、当たり前でしょうが。いちいち言って、恥ずかしいやつね」
「ふふ、そうだね」
ああ本当に、楽しみだなぁ。