パープルヘイズ
新しく手に入れたフェレット装甲車に乗って、険しい山岳部を抜ける。車体の寸法が小さいだけで、こんなにも楽になるものか。BTRで山道を行くのは無理ゲーにもほどがあるという感じだったのに、操作系の重さにさえ慣れれば、後はお気軽ドライブ。ぼくが前いた世界で乗った記憶のある自動車は教習車くらいだけど、実寸はともかく印象としては教習車と大差ない感じ。重さは三、四倍あるけどな。
「敵は、いないようですね」
「四十の侵攻部隊を送り込んで失敗するとは思っていなかったのだろう。他者の失敗からは学ばんものだな。あるいは、ヒューミニアやケウニアの敗北が情報として入っていないか。……それはそれで度し難い怠慢だが」
「エルロティアはエルフ優越主義なんでしょう。目が曇るのは、よくあることです」
白人至上主義とその敗北は前いた世界でもあった。日露戦争とか、エチオピア戦争とか、ベトナム戦争とか?
「目が曇るというが、こんな状況を想定する奴はいるまい。これは貴様がいなければ起きない異常事態だからな。わたしが“怠慢”といったのは情報網についてだ」
「……そう、ですかね」
「ともあれ、次に待ち構えているとしたら国境線だろう。さすがに山間路を来ることは把握しているからな」
「それは、監視ですか」
「ああ。何度か斥候らしき反応はあった。射程外で逃げて行ったが」
銃座を姫様にして正解だった。ぼくは全く気付かなかった。
「マークス、その先で停止だ」
稜線の手前で停車したぼくらは、双眼鏡を持って上から周囲を確認する。この先の地形は急な下りで、周囲は鬱蒼とした森に変わるようだ。そこから先はしばらく平地が続いて、また緩やかに登ってゆく。
エルロティアの国土は、目の前に広がる巨大な山脈だ。王城はそこを登り切った先の山頂にある。
ヘリでも操縦できれば話は早かったんだろうけどな。無理だ。トライ&エラーができない乗り物は無理。最初のエラーで終わっちゃう。
「姫様、国境は……」
「平地のなかほどに森の切れている部分があるだろう? 帯状になった、あれが国境線になっているエルクス河だ」
「河?」
「ああ。いまは枯れかけているが、昔は大河だったらしいぞ。上流の生態系が崩れているのかもしれんな」
エルフの国が開発で自然破壊が進んでいるとか? 想像しにくいな。森で仙人のようなナチュラルライフを送ってるイメージしかない。どこの世界でも、リアルとリアリティは違うのかも。
「何を悩んでいる」
「現世は世知辛いなと」
「年寄りじみたことを。行くぞ」
フェレットに乗って、峠を超える。ピリッと、何か空気が変わった気がした。
「姫……」
「魔力探知だな。ずいぶんと強い。ここから先は、エルロティア側からも見られていると考えた方がいい」
「了解です」
ここからは道もしっかりしているだろうから、もっと強力な車両に乗り換えるべきかと迷み始めていたぼくは姫様に窘められる。
「貴様の考えていることはなんとなくわかるがな。戦場に出てから、あれこれ迷うな。もう備えは済ませただろう? 後は出来るだけのことをやるだけだ。」
「はい」
山地からわずかに降りると植生が密になってきた。そのせいか湿気が増している。走っているうちに、おかしな気配とじっとりした空気が車内にまで忍び込んでくる。なんだろう。敵の姿は見えないのに、違和感がある。
平地の先に広がる薄紫色の妙な靄を見て姫様が短く警告を発した。
「マスク」