夜と霧
「ぼく……いえ、マークスは弓が打てたんですね」
姫様の思い出を聞いていたぼくは、場違いな感想を抱く。
「ああ。なかなかの腕だったぞ。だが、“じゅう”があれば不要だろう」
不要だし、上手に使える気もしない。ぼくと、現在ぼくの身体であるマークスとは、同じようでいて違う。いまのぼくが弓を使えたとしても、そして使う必要があったとしても。可能な限りそれは避けようと思った。
姫様にとっては、ぼくとマークスは違う人間なのだ。そして、弓の上手い、不器用で健気で献身的だった彼は、もう姫様の思い出のなかにしかいない。
「それより、すぐに来ると思うか?」
「時間の問題でしょう。今夜、遅くとも明け方までには」
ぼくらはエルロティアの隠れ里、“翼龍の住処”で夜を迎えていた。
さすがに山岳部の移動を夜間に行うのは危ないとの判断だった。重く大きなBTRならば尚のことだ。それに、いままで意識していなかった瑕疵に気付いたこともある。
BTRの深い轍を辿ってくれば、王党派の追っ手に里の位置は露呈するということ。いまさら消しに戻るわけにもいかないし、結果も労力に見合わない。
“友愛派”、あるいは“クラファ派”というらしい彼らは基本的には逃げ落ちた弱者たちで戦闘能力はほとんどない。戦えるのは実質、見張りと護衛に就いていたエルフの青年――実年齢は不明――が五人だけ。彼らは元エルロティアの兵士で、実戦経験もある。長弓と長剣を持ち、初級から中級程度の魔法が使える。
クラファ殿下は、“わたしと同程度だ”とぼくの耳元でいった。それがどの程度なのかがわからないけど、完全武装の軍集団を相手に戦えるほどではないことは理解できた。
月が中天に差し掛かる頃、ぼくらはBTRの上で敵の襲来を待っていた。
停車させた位置は、隠蔽された里の入り口から入って正面、盆地状になった平地側だ。装輪装甲車を木柵に囲まれたゲートの前に出して、侵入者から集落を守る形になる。
「クラファ陛下、見張りはこちらで立てますので、どうかお休みになってください」
クラファ殿下の信奉者であるエレオさんは、未来のエルロティア王にそんなことをさせるのは不敬に当たると気が気じゃないようだ。善意からなのはわかるけど、正直ちょっと邪魔っけではある。
「エレオ。これは、わたしたちが招いたことだ」
「いえ、陛下はわたしと子供たちを里まで届けてくださったのですから」
「ああ、必要なことだったと思っている。これもそうだ」
「エレオさん、お構いなく。きっと、すぐに済みますから」
対処に困っていたところに、見張りに立っていたエルフの弓兵ケレイドさんが駆けてきた。BTRの上まで飛び上がると、抑えた声で姫様に報告する。
「陛下、外縁部に魔力探知の反応がありました。敵の数は四十ほど。装備は短弓と細剣、探知阻害の被り物をしているようです」
「ご苦労、皆は遮蔽の陰へ。こちらの支援は必要ないが、民の守りは頼むぞ」
「お任せください」
「ご、ご武運をッ」
ケレイドさんは、エレオさんを連れて里の中心にある退避施設へと避難してくれた。
最初は自分たちも戦うと渋ってたんだけど、ぼくらが最も怖いのが誤射と流れ弾だと説明して退避に納得してもらったのだ。
「マークス、初弾は貴様だ。その後はわたし。取り零した敵がいたら任せる」
「了解です。戦闘は車内で良いですか?」
「ああ。装備が短弓ということは、毒矢だ。探知阻害の被り物をしているような奴らであれば、まず間違いない」
ぼくと姫様は暗視ゴーグル付きのヘルメットを装着して、顎紐を締める。まだ受像部は額の上に跳ね上げたままだ。BTRの屋根に突き出した砲塔の後ろで、姫様は前方を示す。
「来たぞ」
受像器を下げてスイッチを入れる。腰を落として短弓を構え、静かに進んで来る十数人の集団が見えてきた。距離は、百五十メートルほどか。
その先で起きる展開を、ぼくは期待半分不安半分で見守る。隠蔽魔法と幻視魔法が切り替わった瞬間、視界の差異が出て戸惑うはずの位置にワイヤーを張って、いくつか手榴弾を繋げてある……のだが。
先頭を進んでいた男が片手を上げて後続にトラップを示した。
すごいな。プロの斥候だ。呆気なくクリアされてしまった。解除するまでは行わないようだけど、迂回して仕掛けのない安全なルートに誘導している。
指向性対人地雷でも用意できたらよかったんだけど、遠隔操作が可能なものは“武器庫”に在庫がなかった。安くて豊富な対人地雷は、撤去の時間とリスクを掛けられないので断念。グレネードランチャーも、連射可能なものは軒並み在庫切れだ。
「こちらに気付いた」
「姫様は車内へ」
クラファ殿下が屋根のハッチから滑り込むのを確認して、ぼくは手にした武器を敵に向ける。
M79グレネードランチャー。ベトナム戦争から活躍している――そのせいか、やたらと在庫が豊富だった――シンプルで信頼性の高い単発式擲弾発射器だ。
シュポンと小気味いい音を立てて、40x46ミリ榴弾が大きく弧を描いて敵の真ん中に吸い込まれる。中折れ式の銃身を操作し、向こうが反応を見せるまで次々に弾幕を張る。跳ねたり逸れたりで周囲に流れたところで向かってくるのは敵だ。いま見えている集団の奥には、まだ姿を現していない敵がいる。
五発が着弾して破裂し悲鳴が響き渡る。こちらに矢が飛んでき始めたので、潮時と割り切ってハッチからBTRの車内に入る。
「阿呆、向こうが矢を放つ前に入ってこい! あいつらみたいなのが使うのは鏃が掠めたら死ぬような毒だぞ⁉︎」
「すみません、調子に乗りました」
「貴様の仕留めたのが二十というところか。何人か死角に逃れたな」
姫様は不服そうに呟きながら砲塔の調整用ハンドルを操作して狙いを定める。
「あれで半分ですか」
「確実に死んだのはその半分ほどだ。エルフの兵士は息の根を止めなければ、治癒魔法で戻ってくる」
その言葉を裏付けるように、先ほど敵が倒れていたあたりでパチパチと青白い光が瞬いている。何人かが立ち上がって倒木の陰に逃げ込むのが見えた。
夕刻前、姫様が置いた倒木の陰に。
「よし!」
KPVT重機関銃が轟音を上げて遮蔽を貫く。爆発炎上した焼夷榴弾がエルフの兵たちを焼き払った。松明のようになってよろめき歩いては転げ回り、痙攣して静かになる。
うわ……これはキツい。その気持ちが伝わったのか、姫様は毅然とした声でぼくに告げる。
「考えるな、マークス。一歩間違えば、ああなってたのは、こちらの方だ」