囚われの姫と肉の盾3
まさか、これほどあからさまだとは思わなかった。
呼び出された遠乗りの当日。王城前に停められた馬車は、トリリファの乗る装甲馬車と、もう一台だけ。荷台に簡素な幌を被せた分解寸前の物が、道の端に打ち捨てられていた。
ご丁寧に馬まで違う。装甲馬車を引いているのは軍で管理する大型の騎兵用が四頭、幌馬車のは老いた痩せ馬が一頭きりだ。
「悪いなクラファ、軍馬は魔物の臭いを嗅ぐと暴れてしまうんだ。お前にお似合いの駿馬を見繕っておいた」
下卑た笑いに兵士たちが一斉に笑う。
追従めいた媚びへつらいに満足げなあたり、こいつに人気があるのは頷ける。誰だって、担ぎ出す神輿は軽い方がいい。
「くだらん御託は結構だ、トリリファ」
気にせず掛けたわたしの声に、周りの兵たちが色めき立つ。
「偽王女の分際で、第二王子を呼び捨てに……!」
「貴様も、貴様のお友達もだ。いつまでお喋りをしているつもりだ? さっさと今日の獲物を教えろ。目標の討伐数と、算定に必要な部位もだ」
「……あ? 討伐数?」
トリリファは、ようやく笑みを消してわたしを見た。事前に立てた計画が上手くいっているのかいないのか、迷っているように見えた。
自分で立てた計画ではないからだろう。こちらの質問には、わずかに目が泳いでいる。
「まさか女子供と一緒に、森の散策をするほどの腑抜けでもあるまい? “王族として、臣下の者たちに文武の才を併せ持つところを見せねば示しがつかない”と大言を吐いたのだからな」
「……くッ」
「まさか、考えもなしに遠乗りを提案したわけでもなかろう? 何を狩る? どれだけ狩るのだ?」
問われて答えられないと無能の烙印を押される。王宮での習慣がトリリファの焦りを煽る。
「……こ、国益を損なう、ゴミの討伐だ。選り好みなどしない。魔物、ケダモノ、混じり者もだ。お前は、上手くお仲間を仕留められたら、右の耳を拾ってこい。こちらには、数を偽わるような者はいないが、念のために同じ決まりにしておいてやる」
「国益を損なうゴミ、か」
さすがに、わたしの我慢にも限界はある。トリリファに笑みを浮かべると、兵士たちに指を向けた。
「だとしたら……もう、狩りを始めても良いのか?」
「「うわぁッ⁉︎」」
兵士たちとともに飛び退ったトリリファは、騎兵を率いて装甲馬車で立ち去る。負け惜しみめいた捨て台詞を吐いていたようだが、聞く耳を持たないようにして準備を進める。
「姫様、この馬は病気です。臓腑が痛んでいて、後ろ脚の怪我もひどい」
「……ふむ。ハイゲンベルまでは行けそうか?」
「遅くても良ければ。ですが、無理をさせると帰ってこれません」
「うちの屋敷の厩舎にも駄馬がいただろう」
「軍の演習で使うと拒絶されました」
「まったく、用意周到だな」
「彼らの狙いは姫様なのでしょう? 逃げる訳にはいかないんですか?」
「それは最後の手段だ」
すぐにそのときは来るだろうが、まだ早い。成人前の、子供から大人に変わる時期だ。その差は大きい。いま逃げても生き延びられる確率は低い。だが少しでも蓄え、備え、鍛えておけば、いざというときの生存確率が上がる。
「いまは苦難を凌いで成長の時間を稼ぐ。わたしも、貴様もだマークス」
「はい、姫様」
わたしは老馬に歩み寄り、身体を調べた。目を見て、歯を見て、蹄を見る。牡馬で、年齢は三十近いか。ずいぶんなお爺さんだが、状態はともかく素性はそう悪くない。病気というよりも、ほぼ寿命だ。
彼も、自分が捨てられたことは理解しているようだった。なにかが燻っているような、鬱屈した目をしていた。
「もういっぺんだけ、走る気はないか? 森までの五十ファロン、それで最後だ」
わたしの声を聞いて、老馬は嬉しそうに嘶く。承諾したのだと、受け取っておく。
お返しは、いまのわたしに出来うる限りの治癒魔法だ。
「姫様?」
「マークス、軛を外せ。“最後の疾走”に余計な荷は要らん」
「しかし、水や食料や、武器は」
「後の備えよりも、いまは時間と速度が重要だ。敵が罠を張る前に、森に入る必要がある。もう先陣は待ち受けているだろうが、トリリファが到着するまで攻撃の準備はしていないはずだ」
武器は、母から授かった細剣さえあればいい。マークスは弓をふた張りと矢筒を三つ、背負っている。
「マークスも、弓は上手くなったな」
「姫様の指導のおかげです。剣は、まったく上達しませんでしたが」
「あれほど緊張感がなくては伸びるものも伸びん。貴様は、不死者の力を過信しすぎだ」
話している間にも、わたしは老馬に治癒魔法と回復魔法を施す。身体強化魔法も重ね掛けして、準備は万全だ。
わたしが馬の前に乗り、マークスがその後ろに張り付く。
「できるだけしっかり掴まれ。落ちても拾いに行けんぞ」
「は、はい!」
鞍はない。手綱さえない。こちらを殺すと決めたためか、トリリファも妨害は徹底していた。
それでも、できることはあるのだ。わたしは老馬の首筋につかまり、用意が出来たことを伝える。張り詰めた筋肉はゆっくりと収縮を繰り返し、熱を持った背からは、ほのかな湯気が上がり始めている。
「さあ、行こうか」
ひん、と高く鳴いた老馬は足元を確かめるようにゆっくりと、次第に速度を上げやがて一直線に駆け始めた。
ばふばふと呼吸音が高まり、そのまま大きく吸い込むと歓喜の嘶きを上げた。
「そうだ、そのまま行け! お前は、もっと走れる!」
「姫様、無理です! この馬は、死に掛けてたんですよ⁉︎」
そんなことは知っている。わたしも、老馬自身もだ。それでも彼は走ることを選んだ。そして、わたしは彼に強いることを選んだのだ。わたしには彼を励まし支える以外に、出来ることはない。
森に向かう街道沿い、川のほとりにいくつか伏兵の気配があった。このまま進めば、攻撃を受ける可能性がある。トリリファたちが通過した後は、おそらく追い縋る者はすべて敵と判断される。
「もっとだ、もっと速く!」
疲労を治癒して身体強化を掛ける。能力を無理に上げて限界近いことはわかっているが、ここで長引かせたところで何も良いことはない。
見上げると数十の鏃が打ち出されて飛来する。老馬に更なる身体強化を掛け矢の雨を躱す。曲射を外したとなれば、次は直射が飛んで来るはずだ。わたしは風魔法で可能な限りの矢を逸らし、出来うる限りの回避を試みる。
「いいぞ、もう少しだ!」
馬の息が切れ始める。強化の限界か、治癒と回復で嵩上げした体力も尽き掛けて揺り戻しが来たか。トリリファの装甲馬車が街道を行くのが見えた。馬車の入れない小道を選んで、わたしたちは森に踏み込む。わずかに近道だが鬱蒼と茂った樹木で視界が塞がれ、死角や遮蔽が多い。
「あと十ファロンだ、それだけで良い」
老馬は最後の力を振り絞り、全力疾走を掛ける。木の根や起伏が多い路面を、もつれさせることもなく確かな足取りで駆ける。
ときおり通過するこちらに反応する生き物の気配が感じられたが、速度と勢いが勝って攻撃を受けることはなかった。薄暗い森を抜けて、再び街道と合流する。飛んできた矢が、馬の胴体を貫いた。
「姫様!」
「しッ!」
わたしとマークスは減速した馬の背から飛び降り、老馬を遮蔽まで走らせる。どうと倒れ込んだ馬はぶるると身を震わせて息絶えた。鏃によって殺されたというよりも、命の火は既に消えていたように思える。
「ありがとう。素晴らしい走りだった」
老馬の命は燃え尽きたが、その顔は満足げに見えた。願わくば、わたしも。
こんな最期を迎えられたら。
「彼は自分の役割を果たしてくれた」
「はい」
「……今度は、わたしたちが死力を尽くす番だ」




