イニュアヴァイス
「見えてきました」
「え?」
高山ルートを進むこと小一時間。エレオさんは窓から前方を指す……けれども。
ぼくの目には、まったく何にも見えてこない。
ゴツゴツした岩肌が連なったなかに転々と草木があって、小さな滝になってたりスロープ越えたら断崖絶壁になってたり、高低差とバラエティに富んだ地形というか、脈絡も節操もない岩山という、一周回って似たような光景がどこまでも折り重なるだけ。
思ったほど路肩が脆そうという感じはしないが、そろそろBTRの車幅と全長が限界に近い。何度かターンするとき岩壁に車体を擦っている。頑強な装甲兵員輸送車だけあって削れたのは岩肌の方だけど、問題は車体の傷ではない。
「マークス様、そのまま、真っ直ぐです」
「ちょッ⁉︎ 真っ直ぐ、って、崖……」
「大丈夫です、そのまま」
「ええええええぇ……ッ⁉︎」
目の前には、高さ十五メートル幅二十メートルほどの渓谷。橋も掛かっていないそこを、真っ直ぐに突っ切れといわれているのだ。そんな無茶な。
「マークス、偽装用の隠蔽魔法と幻視魔法だ。地面は、ある」
「……は、はい」
姫様にいわれて覚悟を決める。自信満々で笑顔のエレオさんに比べて、クラファ殿下はいくぶん緊張の面持ちではあるのだけれども。
頭でわかっていても、何もない空間に踏み出すには勇気が要る。まして生身ではなく十数トンの車両ごととなれば、落ちれば百パー助からない。
BTR-70の鼻先を虚空の先に乗せると、何もないはずの場所で木の板らしきものがギシッと鳴り足元が揺れる。背筋から股間がヒュンとなる瞬間だ。
「エレオさん、こッ、この先、吊り橋とかじゃないですよね? BTR、装甲馬車の何倍も重いので崩落しますけど⁉︎」
「大丈夫です、橋じゃありません。ちゃんと地面があります」
信じるしかない、と思ってBTRをゆっくり前進させる。フッと視界が白く瞬いて、目の前の光景が切り替わった。周辺にバリケード用の木材が転がっていたから、さっき踏んだのはその一部だったのだろう。
「お、おおぉ……?」
そこに現れたのは、岩山に囲まれたサッカーコート二面分ほどの平地だった。丸太で組んだ高さ二メートル半ほどの柵に囲まれ、大きな木を中心にして大小の建物が点在する小集落になっている。
侵攻への備えはしているらしく、二箇所に組まれた櫓から、弓持ちがこちらを見ている。入り口から集落まで、わずかに見下ろしになっているのが防衛上ちょっと気になるところだ。
「いま戻りましたー」
警戒を解くためエレオさんが屋根のハッチから手を振ると、櫓のエルフたちが引き絞っていた弓を緩めた。
「エレオさん、お帰りなさい」
槍を持って入り口ゲートを守っていたエルフの青年が、エレオさんに声を掛ける。
ぼくと姫様もハッチから出て、子供たちが這い出るのに手を貸してやる。次々に現れる獣人の子供たちを見て、避難民だと理解したのだろう。エルフの青年は、どこかに手伝いを寄越すよう合図してくれた。
「……しかし、すごい乗り物ですね。エレオさん、こちらの方は?」
エレオさんが姫様を振り返って、最終的な意思確認をする。クラファ殿下は、静かに頷きを返した。
「お話ししたいことがありますので、手が空いている皆さんに集まっていただけますか?」
「了解です」
エレオさんは屋根から降りて、やってきたエルフの女性陣に子供たちを引き渡す。ぼくと姫様は装甲兵員輸送車の屋根に残って、隠し里の住人たち集まってくるのを待つ。何事かという顔でやってくるなかには、エルフだけでなくドワーフや獣人、混血なのか人間としか見えないひとも混じっている。見張りや警戒要員は配置したままだけど、総数で百は超えそうだ。
クラファ殿下が、小さく息を吐いた。
「わたしはともかく、貴様はこれで良かったのか。いままでは、わたしの……わたしたちだけの問題だった。だが彼らは、違う。いちど背負えば、もう降ろせなくなるぞ」
わかっていた。ぼくも、姫様自身も。弱音を漏らしているように見えて、これは単なる既定事項の確認なんだと。それでも、あえて口に出す。ふたりで、共有する。そして。
「わかりません。ですが、ぼくは姫様の隣にいますよ。何があっても、どんな結末であっても。あなたの行く末が陛下でも殿下でも」
分かち合うのだ。良いことも、悪いことも。みんな。
「ただのクラファさんであっても、です」
無礼と知りつつそういうと、彼女は笑った。
「百人力だ」




