幻月
全員を車内に収容した頃には、日が暮れて周囲は闇に包まれていた。エンジンを切った車内でLEDランタンを灯し、姫様にエルフの治療をお願いする。
換気用に開けたハッチの隙間から遠吠えのような声が聞こえてくるたび、互いに寄り添っていた子供たちはシートの陰に隠れビクビクと周囲を見渡す。
「大丈夫だよ、この乗り物のなかは魔物も入れないし、槍とか矢とかも弾くから」
「……ほんと?」
「うん。朝になったら、行きたいところまで送るけど」
「いきたい、ところ」
子供たちは泣きそうな顔で黙り込む。悪いことを訊いたのかもしれない。もしかしたら、帰る場所がなくなったのかも。引率者と思われるエルフの女性が目を覚ましたら訊いてみよう。
喉が渇いていたようなので、ミネラルウォーターを配っておいた。エルフの治療をしていた姫様が、手招きでぼくを呼ぶ。反対側の手には、玉のついた箱のようなものを持っている。
「確認できた傷は、すべて洗って布を巻いた。もう問題はないだろう」
「ありがとうございます。姫様、それは?」
「エルフが懐に持っていた。わたしが感じた隠蔽魔法は、この魔道具によるものだな。エルロティアの軍で使われているものだと思うが……」
「凄いものなんですか?」
「そう大したことはないが、この手の集団運用が前提な魔道具は魔力消費が激しい。気を失っていたのは、負傷して弱っていたところに無理をしすぎたせいだろう」
「目を覚ましますか?」
「魔力枯渇は、寝ていれば治る。血は足りないとしても、死ぬほどの出血ではない」
どうやら矢傷のようだと姫様はいう。鏃は抜かれているが傷は少し膿んでいるとかで、治癒魔法を掛けてくれた。母君からエルフの血を受け継いでいるクラファ殿下は、水と風と治癒魔法を使える。本人曰く、あまり上手ではないらしいけど。
矢傷、ということはエルロティアの軍に追われていたのだろうか。その辺りも、子供たちは口を噤んだまま話そうとしない。
「それじゃ、火は起こせないから簡単なものだけど、ご飯を食べようか」
「「え」」
「たべもの、くれるの?」
“金床亭”の食事ストックはふたりの前提で四食分だ。ぼくと姫様と子供が十人なので、この人数だと少し足りない。
事前調達しておいた軍用レーションの大箱を出して開封し、個別のヒートパックに入れて加熱用の水を注ぐ。人数分となると、十二個。大判ダンボールに入ったレーションは一ダースなので、数はちょうど合う。エルフの女性は、目を覚ましたら別のものを出そう。
ヒートパックは加熱中に水素ガスが出る。密閉空間では危険らしいので、作業は天井のハッチから屋根の上に出て行う。数が数だけに、結構めんどくさい。もう少し明るければ、外で大人数分の缶詰レーションでも湯煎した方が楽なんだけど。
「マークス、手伝いは要るか?」
「大丈夫です。もう少しで出来ますから、加熱せずに食べられるものから配ってあげてください」
「わかった」
「姫様も先に食べててくださいね」
温まるのを待っている間、姫様や子供たちにはレーションに入っているクラッカーや甘味類を食べていてもらう。食事としては変な順番になるけど、そんなことを気にしている場合でもない。
「おいし」
「あまい」
「おねえちゃん、これ……くだもの?」
「そのようだな。なんという果物か知らんが、食べたことのない味だ」
「すごく、おいしい」
「良かったな。たくさん食べるといい」
姫様、案外子供たちに懐かれてるっぽい。
なんだか変なことになったな、と思いながら空を見上げる。
「……なんだ、あれ」
薄曇りの夜空に、不思議な光景が広がっていた。丸い月の周囲にうっすらと光の輪が掛かり、雲に当たって月がいくつもあるみたいに見える。
「幻月だ」
声に振り返ってみると、天井のハッチから姫様がミネラルウオーターとチョコバーみたいなのを差し出してくれてた。
「ありがとうございます。幻月は、怪現象か何かですか?」
「いや、ただの自然現象だな。珍しいが、それだけだ。古いエルロティアの迷信では、吉兆とも凶兆ともいわれるが」
「……良くも悪くもある?」
「しょせん迷信など、受け取り方しだいだ。幻月は、“大きなものが分かれる”暗示でな。案外エルロティアの王城では大騒ぎになっているかもしれんぞ」
クラファ殿下は肩を竦める。
「国が割れる前兆だと」




