喪われた母国
エルロティアの密使から手紙を受け取ったクラファ殿下は、“金床亭”の部屋に入ったまま夕食にも姿を見せなかった。
少しひとりになりたいとのことだったので、サシャさんの部下で腕の立つ女性に護衛を頼んで、ぼくは女将さんに今日は大部屋で寝ると伝えた。王様の提案で続き部屋を確保してもらったのが裏目に出たな。
「構わないよ。しばらくアル王と部下たちで貸し切りだからね。好きなとこで寝るといい。食事は食堂で、風呂は裏手の大浴場を使っておくれ」
なんと露天風呂だという。姫様の重大事が気掛かりではあるのだけれども、それはそれとして思わず嬉しくなってしまった。
広々した岩風呂で血と汗の匂いを落としていると、洗い場にひとの気配がした。
風呂の脇に置いておいたM9自動拳銃に手を伸ばしかけたが、すぐに警戒を解く。
「失礼します。マークス様」
「ああ、ええと……カーマインさん、でしたか」
サシャさんが姫様に付けてくれた護衛だ。年齢は不明だけど、二十代だろう。ドワーフの血が濃い、小柄で筋肉質な印象の女性。
「クラファ殿下はサシャの護衛で王の部屋におります。マークス様にも御同席いただきたいと仰せで、大変失礼ながらお呼びに参りました」
「わかりました、すぐ行きます」
拳銃、見られちゃったな。
立ち去るカーマインさんを見送りながら、ぼくはしょうもないことを考えていた。
◇ ◇
「だから、エルロティアがどうなろうと知ったことではありません!」
「待てクラファ、少し落ち着け」
思った以上に、姫様の状況は重大になってた。階段を上がっている途中から、口論に近い様子がぼくの耳に聞こえてくる。怒りに震える姫様の声など、知り合ってから聞いた覚えがない。
「失礼します。マークス様をお連れしました」
許可を得て入室すると、アルフレド王はあからさまにホッとした顔になった。
「マークス、お前からも止めてやってくれ。クラファはアイラベルの……母親の祖国を滅ぼそうとしている」
「わたしを殺そうとした父の国は、もうすぐ滅ぼせます。母の国を滅ぼして何が悪いのですか。そもそも、我が母を殺したのは、その祖国ではありませんか」
「え?」
思わずアルフレド王に目をやると、彼は苦い表情で首を振った。
「違う。“エルロティア”ではなく、“アイラベルの弟”だ」
「現在はエルロティアの王です。姉殺しで父殺しの、王位簒奪者です」
「国と王を混同するな。為政者としての道を誤るぞ」
「……構いません。わたしが身を置くべき国は、もうどこにもないのですから」
クラファ殿下は、表情を消してぼくを見た。
「貴様には世話になった。これが、最後の主命……いや、頼みだ」
「あの、姫様……」
「“じゅう”を出してくれないか、マークス。そして、わたしを放っておいてくれ」